ネットに時間を使いすぎ

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この記事はhidamalarさんのブログ『おとなのじかん』からご寄稿いただきました。

■ネットに時間を使いすぎ
ネットは時間を消費する。ブラウザ立ちあげてネットをざっと見ているだけのつもりだったのに、いつの間にか1時間経ってしまっていたなどという経験をしたことがないだろうか。ネットは時間をくいやすい。

ネットが出てきてからライターの原稿料が下がった話がある。その原因の一つはネットが無償の書き手ばかりで構成されているからだろう。無償の書き手で溢れている時代に、それなりの金を払ってライターに書いてもらうことには躊躇してしまう。それができなくとも、せめて原稿料は落としたいと思ってしまう。ここで問題となるのはネットビジネスでは収益があがっていることだ。ネットではどんな情報でも大抵のものは無料で読めるが、そこには広告ビジネスなどが絡んでいて金が動いている。ネット広告の市場は年々伸びてる。ネット全体の市場も伸びている。ネットでもそれなりの会社ならば、それなりの規模のビジネスが展開される時代だ。なにが言いたいのかというと、ライターの原稿料が下がっているのは企業収益が最大の要因ではなく、心理的要因が先行した費用の削減ではないかということだ(もちろん、ただ資金がない会社もある)。

話が少しそれるが、まとめサイトでは2ちゃんねるの一つのスレッドがまとめられ一つの記事とされるが、2ちゃんねるとはそもそも一人一人のレスの集まりでしかないのだ。書き込む側に金銭的なメリットはなく、ただ書きたいから書き込んでいるだけである。だが、そんな無償の書き手たちのレスをまとめることで金になるのがまとめサイトというもので、ここには編集者は存在してもライターが存在しない。

ネットにはこのようなものも溢れており、このような遠因が積み重なりライターに対して金を払うことに躊躇っている現状が出来上がっていると私は考えている。金を払わずに文章を読むことに慣れてしまった人間は、金を払って文章を書いてもらうことに違和感を持ちやすい。プロの書き手の価値が揺らいでいるのではないか。

ここまで主に支払う側の話をしてきたが、次に読み手の問題点をあげる。まず、読み手の最大の問題は文章に対して金を払う意識が希薄になったことだ。ネット上の文章は基本的にタダで、辞書がなくてもネットで検索すれば時には辞書以上の理解をもたらしてくれるのこともあるのが今のネットだ。わからないことがあればググって調べれば初歩的なことはそれでわかってしまう。ネットが普及する前は、本で調べたり人に聞いたりしなければいけなかったことも、ネットはその必要性を消した。まず、ここで資料的価値としての本の価値が相対的に下がる。そして、ネットの文章がタダで読めることが原因で、文章を読むのに金を払うことに対しての消費者の心理的ハードルが上がる。

基本的な問題はこの2点だが、私はもうひとつ問題があると思っている。結論から書くと、消費者の読書量の限界だ。わかりやすく書こう。私の話で恐縮だが、以前私が見ていたブログやサイトは100前後あった。RSS(サイトが更新したら知らされる機能のこと)という便利なツールのおかげで時間の節約はそれなりに出来たが、一週間サイトの巡回を溜めたら、全部見終えるのに一日かかった。一週間で更新される記事の数は1000を超えていた。実際に読むのは100程度だったが、それでも十分すぎるほどに時間がかかる。

問題は余暇時間は限られること。自分で言うのもなんだが、私は多趣味家である。ネット巡回以外にも好きなことは数多くある。写真を撮ったり落語を聞いたりアニメを見たりラジオを聞いたりスポーツを見たり本を読んだりすることが趣味。だが、それらすべてをやるには時間が足りなさすぎる。ゆえに優先順位を付けたり、なにかを削ったりしているわけだが、これは皆同じだろう。