中堅社員:部下を変える前に、まずは自分を変えよ −実例「私がやる気満々になった!」上司の声かけ−【2】富士フイルム/TDK
■「できる上司」より「できた上司」
富士フイルム→「多面診断」で自己評価とのズレを知る
うまく言葉にできないけれど、何故かこれまでのような一体感を抱くことができない。不満はないが、いまひとつマネジャーとしての自分に自信が持てない――。
富士フイルムのエンジニア・小山田孝嘉主任がそう感じるようになったのは、長年在籍した部署から他部署に異動した4年前のことだった。
入社以来、足柄の研究所でレントゲンフィルムの開発を続けてきた。その頃はチームの年齢層が自分と近く、仕事に対する「一体感」も感じることができていたのだが……。医薬品開発を行う現在の研究所に移ると、10人ほどの研究メンバーの平均年齢がぐっと下がったのだという。
「チームの若手たちは指示を出せばしっかりとこなしてくれるし、研究開発のスケジュールが遅れているわけでもありません。ただ、以前は一つ方針を言うだけで、みんなが自然に後から付いてくるという感覚があった。その感覚がなくなって、年上の自分だけが1人で突っ走っているような気持ちが強くなってきたんです」
ちょうどそんな思いにかられていた2年前、小山田さんはある研修に参加した。同社では課長級の社員1200人に対してチェンジマネジメントプログラム(略称CMP)を実施している。これはマネジャーの意識改革を目的とする研修で、2泊3日の合宿で個々の現状の課題を抽出し、6カ月後と1年後にその課題に対してどう向き合ったかを再評価する。他部署の課長職と過去の「ベストジョブ」について語り合ったり、部下や上司が48項目の設問に回答した「多面診断」を分析したりしながら、自己評価と他者評価のずれを浮かび上がらせていく。
そのなかで小山田さんが気付いたのは、自らが抱いてきた「理想の上司像」を軌道修正しなければならない、という思いだった。
「多面診断に部下が匿名のメッセージを書く欄があるんです。読むと、自分の弱さを見せたほうがいいのではないか、という意見が多かった。もっと僕らにも相談してくださいよ、と若手たちは考えていたんですね。私の目指すマネジャー像は、かつての自分の上司の姿にありました。すべてに正解を持っていて、何を聞いても答えてくれる“できる上司”。でも、それだけではダメなんだ、と気付かされた思いでした」
CMPの担当者である人事部の蔦永秀樹部長は、小山田さんが抱いたこの問題意識が、同社の多くのマネジャーに共通するものだと指摘する。
「40代の管理職の胸の中には、自分を育ててくれた昔ながらの上司像が深く根付いています。悩みや弱みを決して見せずに、指導力を発揮する強い上司。そういう上司を見てきて、自分も同じようにならなければならない、というプレッシャーを強く感じてしまう」
しかし商品開発のペースが当時より速くなり、内容も多様化するに連れて、そのイメージはもはや通用しなくなってきたのではないか。それに応じて会社側がマネジャーに求める資質も、状況の「変化」に柔軟に対応し、課題をチーム全体で解決する力へと変わっていったところがある。また、近年は同社でも大きな事業構造の改革があり、今や一つのプロジェクトに様々な専門性が求められてもいる。「すべてに答えを持つ上司」を目指すことは、当事者にとって大きな重圧になりかねない。
「明確な答えを持つ“できる上司”を目指すのではなく、チーム全体の意見を聞きながらともに考える“できた上司”になろう」
そう思ったとき、自らのマネジャーとしての新しい役割が、明確な形になって見える気がした。小山田さんにとって、それは研究開発のリーダーとしての自信を取り戻すきっかけとなる。
「もちろん最初は上手くいったりいかなかったり。でも、研修での気付きを原点にしながら、少しずつマネジメントの手法を変えてきました。一つの上司のイメージにこだわらなくてもいい。そんなふうに選択肢を自分の中に持てるようになったことが、働くうえでのモチベーションに繋がったんです」
■叩いての箱詰めに「僕は心が痛い」
TDK→現場改革の戸惑いを払拭する「伝承塾」
こうした富士フイルムの取り組みに対して、「変化の時代だからこそ、会社のDNAともいえる精神を伝えなければならない」という危機感を抱くのがTDKだ。
海外での生産が今や8割を超えるTDKでは、以前は自然と伝承された創業当時の精神がこの数年、現場で働く社員に伝わりにくくなっているという。
中国で工場長を務めていた山崎雅之・静岡工場フェライト磁石BU統括課長は語る。
「日本のモノづくりというのは、ねっちり、じっくり、時間をかけて伝承するものでした。『俺の仕事を見て、おまえも考えろ』という形で、10年かけてだんだんと覚えていくものだったわけです」
例えばTDKの主力製品・フェライトであれば、「海のものとも山のものともわからないものをコツコツと開発し、電子部品にとってなくてはならないものに育て上げた」というように。しかし、海外へ工場を展開して事業を広げていく現状では、時間をかけて一つの製品を作り上げる経験が得難い。
「技術や精神の伝承に10年もかけていられない。日本の4倍、5倍の速さであらゆることが変わる中国で“TDKの伝統”といっても、そう素直には伝わらないですから」
現地にいるあいだ、彼は常に不安だったと続ける。
自分たちがいくら頑張っても、中国製の部品がより安い価格で市場に出回ってくる。品質が向上するペースも速い。この会社で働くうえでのバックボーンが揺らいでいる――そんな感覚がどうしても消えなかったという。
「工場で改善や改革について考えていると、心細い気持ちになってくるんです。正直、自分の考えが合っているのかどうか、不安になってくる」
工場長育成のための同社の研修「モノづくり伝承塾」は、こうした不安を抱く社員に対して“TDKの精神”を伝えようとするものだ。会長や役員の講話を聞くだけではなく、実際に勤務する工場の視察も行われる。
山崎さんがこの研修に参加したのは、静岡工場に戻ってきたばかりの今年5月のことだった。とりわけ胸に響いたのは、36年を同社で勤め上げ、工場を知り尽くした加藤富夫・TDKモノづくり伝承塾長に、現場で様々な助言を受けたことだったという。
「加藤塾長がうちの工場のラインを見て、まずこう言ったことが忘れられません。『あなた、その作業を見ていて何とも思わない? 僕は心が痛い』。というのも、最終工程で製品を箱詰めするとき、少し箱に膨らみができていたのを、ラインでは手でぽんぽんと叩いて直すことがあったんですね。それを見て、塾長は言ったわけです」
加藤塾長は次のように話す。
「工場の課題というのは、“モノ”の立場から見ていると実によく見えてくるんです。叩かれれば製品も痛いでしょう。そして、そのような状況が生じるのはどこかに無駄や改善点があるから。今は確かに変化の時代です。でも、その変化についていくためにこそ、かつて我々がそうしてきたように、現場でのちょっとした気付きを粘り強く積み重ねていかなければならない、と思うんです」
どのような時代になろうとも、具体的な一つひとつの改革は「ビスの並べ方から考える」ことから生み出される。現在に連なる自社の姿勢の原点を加藤さんが語るのを聞きながら、山崎さんは心強く感じたと話す。グローバルな競争の中でどれだけ焦りや不安を感じても、工場長としての自分が今なすべき課題の本質は変わらない。その課題に粘り強く向かっていけば、自ずと次の改善点も無数に見えてくるのだ、と。
「すると現場でのスピード感も上がっていった。会社から一つの方向性を示してもらったことで、自分の選択や決定に自信を持てるようになったからでしょう」
※すべて雑誌掲載当時
(稲泉 連=文 大杉和広=撮影)
