従業員100人にも満たない小さな製薬会社・京都薬品工業の2代目社長となった北尾和彦は、50億円もの資金と8年余の歳月をかけた新薬の開発に大失敗した。屋台骨を揺るがしかねない事態に、北尾が考えた苦肉の策はアライアンス戦略だった。しかし、アライアンスによる新薬開発でも簡単には成功せず、今度は社運を賭けた新工場建設に挑戦する。


京都薬品工業社長 北尾和彦

 京都薬品工業は現社長・北尾和彦の父親、誠二郎が終戦直後の1946(昭和21)年に設立したものだが、その母体である京都製薬合資会社まで遡ると、創業は1901(明治34)年12月と109年の歴史を持つ会社である。その歴史ある会社の社長に北尾が就任したのは、1987(昭和62)年のことだった。

 1971(昭和46)年に京都薬品工業に入社した北尾だったが、すぐに大阪大学大学院薬学研究科に入学、研究に没頭した。そしてようやく77年に博士号を取得して会社に復帰した。

 その後、主に新薬の開発を担当し、10年目での社長就任だった。京都薬品工業は小さな薬品会社ながら、大企業でも難しい新薬の開発に取り組むユニークな会社だった。従業員は研究開発要員と製造部門だけで、営業担当社員は1人もいなかった。

 新社長となった北尾は、まず今ある薬品の改良に取り組んだ。注射剤を経口剤や坐剤にすることで、注射の痛みから解放しようとしたのだ。そして、ペニシリン系抗生物質で開発に成功する。当時、抗生物質で小児の大腿四頭筋短縮症が社会問題になっており、坐剤であればその心配はなかった。これらは住友製薬(現大日本住友製薬)などから発売された。

 このような地道な開発を行ないながらも北尾は、大型新薬の開発に燃えていた。なにしろ当時、100人に満たない会社ながら半分近い従業員が研究開発要員だったのだ。

 86年から開発に取り組んでいた高血圧治療剤が最初の大きなテーマだった。87年には日本商事と共同開発をスタートさせ、92年からはシェリング・プラウも共同開発に参入、基礎研究・臨床試験に8年の歳月が費やされた。

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