元外交官が振り返る、私が29歳のときに他界した父が、高校留学を反対した日。残してくれた言葉の意味
2026年3月に発表された世界幸福度調査で、日本は141か国中61位と後退した。日本版を翻訳・編集して発表している日本ウェルビーイング学会は、幸福度に重要なのは以下の6つだと伝えている。
1 人生の自由度: 自分の人生を自分で選択できているか(自己決定)
2. 社会的な支え: 困った時に助けてくれる人がいるか
3. 一人あたりGDP: 経済的な豊かさ
4. 寛容さ: 他者への思いやりや寄付の精神があるか
5. 腐敗の少なさ: ビジネスや政治において不正が少ないと感じるか
6. 健 康 寿命: 心身ともに健康でいられる期間
2025年から2026年は特に1と5について大きな影響を与えているという。自己決定ができるためには、それを許す環境も大切だし、自らこうしたいと考える主体性も重要だ。
岡田武史さんが創設したFC今治高校里山校には、主体性を学ぶHC講座という授業がある。その講師のひとりが、今治出身の原ゆかりさんだ。
原ゆかりさんは東京外国語大学を卒業後、外務省に入省。在職中の2012年にガーナ北部ボナイリ村を拠点にNGO MY DREAM. orgを設立し、村の発展に伴走してきた。2015年、外務省を退職後は、NGOの活動と並行し、三井物産ヨハネスブルク支店での勤務、アフリカ企業での勤務を経験。2018年独立し哲学とストーリーのあるアフリカの高品質商品を取り扱うProudly from Africaを運営している。まさに主体的に海外で学び、仕事を選んできたひとりだ。
原さんはFC今治高校里山校にて「10の項目」から主体性を学ぶ授業を行った。その内容からさらに掘り下げてお伝えする連載第1回では、「(1)自分のルーツを尊敬し、誇れる自分でありたい」をテーマにお届けする。
3年前の春に誕生した高校
3年前の春、2023年に愛媛県今治市に新しい高校が誕生しました。FC今治高校里山校は、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが創設した学校です。全国各地から1期生27名、2期生78名、そしてこの春入学の3期生83名の三学年が集い、在校生人数は188名となりました。
「命をつなぐために、生きることの本質を問い、実践する」ことを建学の理念に掲げ、ますます不確実性の高まる世の中を、主体性を持って困難に立ち向かい、仲間と助け合いながら未来を切り開くことのできる人財を輩出するべく、実学や実践中心の創意工夫を凝らした教育に取り組んでいます。
私は今治出身というご縁もあり、構想段階から本学の立ち上げに伴走し、1年生向けのヒストリック・キャプテンシップ養成講座*などに講師として参画しています。
*ヒストリック・キャプテンシップ養成講座(HC講座):ヒストリック・キャプテンシップとは、正解のない世界の中でも、自分の信念をもって目標に立ち向かい、次の歴史を切り開く、FC今治高校が理想とする新しい形のリーダーシップ。みんなの上に立って引っ張っていく従来の強いリーダー像ではなく、仲間の隣に立ち、ともに悩み、同じ目線で同じ方を向いて考える。強さだけでなく弱さもあわせ持ち、人間くさく、たくさんの人に応援されて前に進んでいく。ーそんな生き方をしてきた各界の先駆者をゲスト講師に招き、対話を行っています。
1年目、2年目の反省や教訓を活かしながら試行錯誤し、悩みながらも等身大の自分で臨んだ、今年度4月のHC講座。自分自身のこれまで歩んできた40年を振り返ると、私の生き方を形作っているのはキレイゴトではなく、数えきれないくらいのエラー&ラーン、そして間違いに気づいて思い込みを正していくアンラーンの積み重ねでした。その過程で多くの人々が関わってくれており、たくさんの心に残る叱咤激励をもらってきました。その一つ一つが、私の主体性(= MY AGENCY)を形成するカケラだと感じています。
「FC今治高校が重要視する「主体性」とは、誰かに言われたからやるんじゃなく、自分がどうありたいか、意思に基づいて動くこと。人生のドライバーになること。教科書に答えは載っていない。誰も正解を与えてはくれない。主体性の発見と発揮は、自分らしさのピースを集める作業」...と前置きし、私の主体性のピースの話で、講座を構成しました。「拾うもスルーするもみんな次第、自分なりの主体性を考えるヒントになれば」と伝え、失敗・挫折とそこからの学びのエピソードを紹介しました。数回に分けて、その内容を綴りたいと思います。
1)自分のルーツを尊敬し、誇れる自分でありたい
2)独りよがりな「正義」に求心力はない
3)愚痴る前に、まずは信頼される自分になる
4)無知を自覚する、驕っていないか問い続ける
5)当事者を置き去りにしない
6)解決策に飛び付かず、問題・課題発見を大切にする
7)レジリエンス高く生きる
8)自分の思考に責任を持つ(AI等にドライバーシートを譲らない)
9)助手席で寄り添う存在でありたい
10)モヤモヤの奥にはニーズがある
では1の「自分のルーツを尊敬し、誇れる自分でありたい」ということを高校生たちに伝えたエピソードをご紹介します。
中学生のときに見たNHKのドキュメンタリー
私のキャリアの軸には、いつも国際協力への想いがあります。その発端は、中学生の頃に見たNHKのドキュメンタリー番組。フィリピンのスモーキーマウンテンで、自らの食い扶持となる、お金に換わるゴミを拾い集める女の子の姿を見たことがきっかけでした。正直なところ、ただ単に番組を見ただけであれば、今につながる生き方のモチベーションにまではつながらなかったかもしれません。そうなったのは、8歳年下の妹が私の隣に座っていたからでした。
ふと隣に目をやると、テレビの向こうの女の子と同じくらいの年齢の妹。「この子がこんな生活をするの?」と、遠い世界に思えた現実が、急に自分ごとに引き寄せられました。助けたいとか、正したいとか、そんな殊勝な想いではなく、ただただ「嫌だ」と、強く感じたことが私の原点です。
とはいえ、小さな女の子がゴミクズを集めて命を繋ぐような生き方をしなくてもいい世の中のために何ができるのか、どんなことをすれば貢献できる大人になれるのか、到底見当もつきません。当時の私は、「とりあえず英語だ」と思い、両親に頼んで英会話教室に通い始めました。そして、その教室に置いてあったTIME誌や英語の本の数々に強く興味をそそられ憧れを覚え、高校から留学したいと思い始めるまでに時間はかかりませんでした。
留学を反対されて大泣きした日
ある日、家族でファミレスに食事に出かけました。どんな文脈でいきなりそんな話をすることになったのかはあまり覚えていないのですが、その席で私は父に、高校から留学したい思いを口にしました。大概のことは応援してくれる父が、その時だけは、反対しました。
「日本語で自分のことや、自分のルーツである日本のことすら語れん状態で留学しても何者にもなれんよ。もう少し日本で基礎をしっかり固めて、語学力を身につけてからでも遅くないんやない?」
なんの準備もせず無邪気に高校留学をしたいと話してしまった私は、ばつが悪く感じつつも、父親の言うことはもっともだと思いました。それでもなんだか悔しくて、人目も憚らず大泣きし反発したことを覚えています。けれど、内心は、その通りだと感じていました。そしてこのファミレスでの一件が、「それならやってやる!」と英語の勉強に一念発起するきっかけとなりました。
自分のルーツをもっと深く知っておきたい
そしてもうひとつ、自分のルーツ。こちらは実はその時はしっくりきていなかったのですが、その数年後外務省を志し始めた頃から、日本人として、愛媛県今治出身の人間として、そしてたくさんの人たちが繋いできてくれた命の先にある自分のこと、そのルーツをもっと深く知っておきたいと思うようになりました。
ご先祖様一人一人がどんな人で、どんな仕事をしていたのか、家族に話を聞きながら、手書きで家系図を作成してみました。起業家だった曽祖父が公共事業にも熱心に取り組んでいたことは、幼い頃から祖父などから聞いていたのでなんとなくは理解しており、憧れのようなものも抱いていました。ですが、遡ってみると、曽祖父だけではなく、貧しい人々に無償で医療を提供していた人や、当時は珍しい女性の労働組合長として労使協定に携わっていた人...国際協力を志した自分の血は、この人たちから受け継いでいるのかな?と思うような話がたくさん出てきました。
さらに家系図の両端には、「村上水軍」と「来島水軍」の文字。織田信長を敗ったこともあるという戦国時代の海賊衆としての軍事的な活動の他に、海上安全保障、水先案内、物流などを担った存在としても記録が残っています。時には瀬戸内海を飛び出し、海外との交易にも関与していたといいます。中学生の頃から海を越えたところへ意識が向いていたのは、水軍のDNAによるものなのかなと、初めて知った時は誇らしいような嬉しいような気もしつつ、「海賊...?」と複雑な心境でした。
ルーツをたどりながら、父によく話を聞きました。高校留学こそ反対されたものの、その後は他の科目を犠牲にしながら(それはそれで良かったのかという悔いも若干ありますが...)英語の勉強に没頭し、ご先祖様のことを調べる私を認めてくれたのか、大学以降に海外に飛び出していこうとすることは応援してくれていました。
実際、英会話教室の先生に準備の多くをサポートしてもらいながら、高校卒業後はカナダの大学に進学する準備をしていました。当時愛媛県ではTOEFLの試験が受けられなかったので、何度も県外に泊まりがけで足を運び、試験を受けたことを覚えています。
高校を卒業してからの半年で日本の大学へ
ところがここでもまた父の一言に、なるほどと思い立ち止まることになりました。「カナダの学校が始まるのは9月、高校卒業してから半年の空白がある。日本の大学を半年経験してからでもいいんやない?」...今にして思うと、当時の私はまだどこか海外への憧れの強さから、日本を卑下するというか、ダメだとレッテル貼りするような傾向がありました。日本の大学よりも、海外の大学の方がいいに決まっているというような思い込みがありました。おそらくそんなことも察しながらの勧めだったと思うのですが、案の定、今治から東京に出てみると自分の視野がいかに限定的だったかを実感する出来事の連続で、世界が大きくひらけました。
特に大学入学後にすぐに没頭したのは、模擬国連(Model United Nations)の活動。国連の各種会合を、学生たちがシミュレーションする活動です。日本のことだけを考えて臨むのではなく、例えばアメリカ、中国、コンゴ民主共和国、ニカラグア、ルワンダ等...様々な国を代表する立場を真似るために、膨大な資料を読み込み、スピーチを用意したり、ディスカッションを繰り返しながら決議案を作成しました。日本から出なくても、こんなに博識で英語が堪能で、知らないことをたくさん教えてくれる先輩や同級生がいる。そのことに衝撃を受けました。そして数ヵ月後には、どうして今すぐに留学が必要なのかわからなくなってしまいました。目の前の学びの可能性が、どんどん魅力的に感じられるようになりました。
考え抜いた結果、留学を見合わせることにしました(その数年後大学院留学することになる話は、また別の回に)。両親や英会話教室の先生をはじめ、手続きを支援してくださった皆さんには大変なご迷惑をおかけしました。ですが、あの時思い切って目の前の機会を選択したことに後悔はありません。その後も模擬国連に打ち込み、国際協力に携わる様々な分野で働く人々に出会う中で、進路の選択肢を身近に知り得たこと、公務員試験に挑戦する仲間を得られたこと、そしてファーストキャリアの外務省への就職に道が開けたことは、今も大切な宝物です。そんな一つ一つの決断を、節目に助言してくれながら、自ら選ぶことを支え続けてくれた家族には感謝してもし切れません。
29歳で他界した父が残した言葉
中でも自分らしさを模索していく中で最も衝突しながらも信頼していた父は、私が29歳、10年前に突然他界してしまうのですが、それまで事あるごとに伝えてくれていたメッセージがあります。
「いくら考えても思う通りにいかないのが人生。
今、ベストだと思える決断を重ねていけば、道は拓けてくる。
自分の信念に従って生きることは素晴らしい。
誰もその人の人生の羅針盤にはなれないのだから。」
「大概のことじゃ死にゃあせん、やけんやってみい。」
高校留学に反対されて大泣きし、反発したあの頃から今に至るまで、私の生き方選びの指針はここにあります。確かに羅針盤ではないかもしれない。けれど、自分を知り、信念を見つけ、自ら切り開いていく勇気は、これまでもこれからも私を支え続けてくれるお守りです。たくさんの先人の先に与えられた命と人生を、そのルーツに感謝し誇りを大事に、これからも恐れず切り開いていきたいと思っています。
FC今治高校生からのコメント
「常に自分の信念を大切にしているつもりでいたが、新しい環境になってから自分を見失うことが増えてきたのもあり、「自分の信念に従って生きることは素晴らしい」という言葉にとても励まされた気がする。自分の信念に従っていても、そうでなくても、言いがかりをつけてくる人はどうせでてくるんだから、自分の「好き」や「やってみたい」に正直な人間でありたい」
「私もその時々でベストと思える選択を、たくさん考えたうえで決めるようにしていきたいです」
7月11日(土)公開予定の第2回では「独りよがりな「正義」に求心力はないということを伝えた授業と、高校生からの反応をお届けします。

