ブランド回復までの長い道のり フィアットを救ったオリヴィエ・フランソワ氏:エディターズ賞(前編) #AUTOCARアワード2026
音楽業界とのつながりも深い人物
いくつもの大きな誤解や、解任の危機がなければ、オリヴィエ・フランソワ氏がフィアットのCEOになることは決してなかっただろう。
【画像】新世代のパンダファミリーを牽引するリーダー【フィアット・グランデ・パンダを詳しく見る】 全30枚
フランス人のフランソワ氏は、現在ではマーケティングの専門家として名高いが、自動車業界に足を踏み入れた当初、マーケティングについてほとんど知識がなかったことを認めている。自動車そのものについても、本当の意味では理解していなかったという。

フィアットのオリヴィエ・フランソワCEO
彼が情熱を注いでいたのは音楽だった。イタリアのポップスター、アリアナ・ベルガマスキと結婚し、レゲエ界のレジェンドであるシャギーとは親しい友人関係にあり、バチカン市国で史上初のコンサートの企画を手伝った人物でもある。特筆すべき経歴の持ち主だ。かつては上司たちに隠していたが、今では自身の詩集を出版したことも明かしている。
しかし、並外れた意志力と、不利な状況でも最善を尽くす才覚によって、彼は自動車業界の頂点へと這い上がってきた。
米『ブルームバーグ』はかつてフランソワ氏を「クライスラーのドン・ドレイパー」と呼んだ(翻訳者注釈:ドン・ドレイパーはテレビドラマ『マッドメン』の主人公)。そして今日、彼は、数十年にわたり存続の危機に瀕していたフィアットを健全な状態へと立て直した功績により、AUTOCARの2026年エディターズ賞(自社の成功に最も大きな影響を与えた個人に贈られるアワード)を受賞した。
グランデ・パンダは15年前から構想
フィアットは、ここ数十年で最も強力な製品ラインナップを揃え、ついに欧州で成長軌道に戻りつつある。『グランデ・パンダ』は、まるで水からワインを作り出すようなもので、質素なオペル/ヴォグゾール・フロンテラをベースにしながら、はるかに魅力的なクルマへと変貌させた。『500』には、待望のガソリンエンジンがようやく復活した。そして、目立たないティーポに代わる、パンダをモチーフにした2台の新型ファミリーカー『グリズリー』が発売を控えている。
しかし、フィアットの不死鳥のごとき復活劇は、決して突然の出来事というわけではない。フランソワ氏は2011年、セルジオ・マルキオンネ氏の要請により同ブランドのCEOに任命された。

フィアット・グランデ・パンダ
フランソワ氏は、指揮を執り始めて最初の数週間で、伝説的なまでに厳格なマルキオンネ氏(後のFCAトップ)に提示したスライド資料をこう振り返る。
「セルジオにこう言いました。『あのクルマは作るべきではないと思います。これとあれを作るべきです』と。当時のラインナップ全体が、今でもわたしの古いパソコンに残っています。その1つは、15年前のグランデ・パンダのようなものでした。あなたもきっと『なるほど!』と思うはずです」
しかし、彼が実際にこれらの計画を実行に移すためのリソースを手に入れたのは、2021年にFCAがPSAと合併してステランティスを結成してからのことだった。
シトロエン・イタリアでも手腕を発揮
自動車業界での第一歩は、決して順風満帆なものではなかった。彼が頭角を現し始めたのは2001年、シトロエンのイタリア部門責任者に就任した時だ。
当時のC2とC3は潜在能力を十分に発揮できておらず、彼はその可能性を引き出す任務を与えられた。そこで、現在最も得意としている(ただし、当時はほとんど知識がなかったという)イタリア市場向けの特別マーケティングキャンペーンの策定に取り組み始めた。

シトロエンC3
上司たちは呆気にとられ、シトロエンの市場シェアが目標の3%を突破できなかったため、就任から9か月後に彼をパリに呼び出した。しかし、タイミングが良かったおかげで、最初の解雇の危機を免れた。
「その月に3.1%を達成していたので、解雇の話は結局持ち出されなかったのです」
シトロエンのイタリア市場シェアを「驚異」の7.4%へと導いた功績は、フィアット・グループの経営陣の注目を集めた。彼はこう語る。
「わたしには2つの大きな不安がありました。1つは、彼らがわたしを『厄介者』扱いして、現在のポストから追い出そうとしているのではないかということ。もう1つは、フィアットは経営状態が悪く、働くには適さない会社だということです。今となっては政治的に正しい発言とは言えませんが、それが真実でした。非常に暗い時期だったのです」
そこにマルキオンネ氏が登場する。
信頼を得て廃止間近のランチアへ
「セルジオから電話がありました。わたしは彼のことをよく知りませんでしたし、もし思いもよらない理由で電話をかけてこなければ、おそらく面接には行かなかったでしょう。彼はわたしにこう言ったんです。『君は素晴らしい人物だが、詩について語ろう』と。もしフランスの上司たちが詩のことを知ったら、残っていた信頼も失ってしまうに違いないと思いました。しかし、彼はわたしの詩作を知り、大いに気に入ってくれたのです。そうして彼はわたしを説得したのです」
フランソワ氏はランチアブランドの責任者に任命されたが、それは簡単な仕事ではなかった。

ランチア・イプシロン
「ランチアは廃止される予定でした。そして彼(マルキオンネ氏)の意図は、『マーケティングの能力も少しは持ち合わせた、この奇抜で芸術的な感性を持つ男が、わたしの考えを変えられるかどうか見てみよう』というものでした」
フランソワ氏は、自動車メーカーの堅牢性は、どれだけのモデル数で失敗を許容できるかで測れると説明する。
「時には1台の失敗で終わります。2台、3台で終わることもあります」
「(フィアット・グループの)弱点は、数年前、あと2台で破綻という状況にあり、そのうちの1台がランチア・テージスだったことです。フィアットは破綻まであと2台というところで、そのうちの1台がランチアでした。そんな状況でランチアのCEOに就任して、人気者になれるわけがありません。投資提案を持って取締役会に行くと、彼らは『冗談だろう?』という目で見てくるのです」
(翻訳者注釈:この記事は「後編」へ続きます。)

