勝俣州和「自分で決めたルールを守り切れ」…柳葉敏郎と哀川翔が背中で教えてくれた “人生の哲学”

勝俣州和
「この店は美味しいうなぎを食べさせてくれるだけでなく、俺にとっては哲学を学ばせてくれた大切な場所なんですよ」
勝俣州和が「うなぎ 色川」と出合ったのは約25年前。あるテレビ番組のロケ撮影で訪れたことがきっかけだった。
「嫁さんとつき合っていたころから来ていて、亡くなった大将には結婚式にも出席していただきました。毎年、三社祭では『色川』の半纏を着て神輿を担がせてもらうくらい縁の深いお店です」
文久元年(1861年)創業の「色川」は都営浅草線浅草駅から徒歩2分。ふっくらと、かつ香ばしく焼かれたうなぎには、江戸の粋が詰まっている。
「昔、大将に『江戸っ子の粋ってなんですか?』って聞いたことがあるんですよ。
簡単に言うと、仲間、近所、町の人、お客さんのような、まわりの人たちのために、惜しげもなく才能や心を尽くすことなんだそうです。
大将は本当に粋でした。毎回料理を出すときは、一対一の真剣勝負。いつも本気の仕事で迎えてくれましたから。
これって、俺たちの仕事にもすごく共通することなんですよ。お客さんが一人でもいたら、その一人を笑わせるために全力を尽くす。100人いても同じで、一対一の真剣勝負を100人とやって全員を笑わせる。心の遣い方が同じなんだという発見がありました」
20代のころからバラエティ番組で活躍し、30年以上、芸能界の第一線で戦ってきた。だが、勝俣にとって、この世界に入ることは特別望んだ道ではなかったという。
「この仕事を始めて、家族は驚いていましたよ。『いちばん芸能界から遠い人間』と言われていましたから。なぜって、俺、家だと口数が少ないほうなんです。親父が(明石家)さんまさんみたいにおもしろい人で、毎日夕飯の時間は “踊る! オヤジ御殿!!” になっちゃう。家にさんまさんがいたら、そりゃ口数減りますよ(笑)」
勝俣が夢見ていたのは、ドラマで見る「熱血教師」だった。
「小学6年生のときの担任が、杓子定規ではない考え方を話してくれるおもしろい先生で憧れました。それで教師を目指して進学したんです」
だが、その思いが全否定される出来事が。大学4年生の春、勝俣は大学の職員室へ「僕は教師になれますか?」と相談に行った。
「そうしたら担当の先生が……『成績が上から3番までに入っていないから無理だ』『教師に大切なのは、不良やイジメられている子たちの話を聞く、コミュニケーション能力じゃないんですか?』『マニュアルどおりやればいいからそんなのはいらない』と。
当時の世間一般の教師は、自分の憧れとは違ったんですよね。それで、翌日に大学をやめました。
さて、何をしようかと考えたときに『劇男一世風靡』に入団しようと思ったんです。あのなかで揉まれたら、根性つくんじゃないかな、と。一世風靡をやめたら、地元の御殿場に帰って就職しようかなと考えていました」
そして「劇男一世風靡」で2人の男に出会う。
「柳葉敏郎さんと哀川翔さんは、当時もいまも変わらないからカッコいい。あの2人に共通したすごさって、自分で決めたルールを守り切るところなんです。嘘をつかない、言い訳をしない、弱音を吐かない、人のせいにしない。単純だけど、すごく難しい。20代のころのルールを、60代のいまも変わらずに守っているのがまたすごいんですよ。
時代や流行に合わせて生きていく方法もあるけれど、ひとつの武器を研ぎ澄ます方法もあるんだと、先輩たちは背中で教えてくれました」

「劇男一世風靡」時代の勝俣州和
■欽ちゃんと出会いテレビスターに
そして、転機が訪れる。「劇男一世風靡」に入って約2年が過ぎたころに、萩本欽一の番組『欽きらリン530!!』(1988年、日本テレビ系)のオーディションを受けたのだ。
「言われるがままに会場に行ったら、受かっちゃった。これが俺の芸能界デビューです。その番組でCHA-CHAが結成されました」
CHA-CHAは歌って踊って、お笑いもできるアイドルグループとして世の中を席巻する。
「グループに入って、世界が変わりました。知らない人が、俺のことを知っているんですから(笑)。大学時代なんて一切モテなかったのに、ステージに出たら、指さされてキャーキャー言われる。信じられなかったですね。
それよりも人生を変えられたのは、テレビで見ていた欽ちゃんに、直接お笑いのことを教えてもらえたということ。毎日稽古つけてもらえるんですよ。こんなに幸運なことはないです」
1992年にCHA-CHAが解散した後、勝俣はアイドルからバラエティタレントになり、テレビ番組に引っ張りだこに。
「『息が長いタレントになるにはどうしたらいいですか?』と聞かれることがあるんですが、秘訣なんてありません。俺はまかせてくれる人がいるおかげで出られているだけですから。
昔、欽ちゃんに『手を抜かずに一生懸命やっていたら、誰かが絶対に見てくれている。ただし、手を抜いたのを見ている人もいる』と教わったんですよ。
要は、どんな小さいことでも、大きい仕事と比較せずに、手を抜くなということ。それを守っているから応援してくれている人が声をかけてくれるんだと思います」
2020年春から、新型コロナウイルスが蔓延した影響で、テレビ業界も大きく変わった。
「一度めの緊急事態宣言のとき、大半のタレントたちは暗い顔をして、下を向いていました。それを見て俺は逆に『チャンスだ』と思ったんですよね。
みんなが下を向いているときこそ、俺は上を向こうと。時間があり余っていたから、ふだん読まないようなジャンルの本を読んだり、溜まっていたネタをブラッシュアップする時間に充てました。
仕事がなくなったり、オファーが減ったりする時期は誰しもあることで、落ち込む必要はないんです。いまは、 “波待ち” の時間。この時間を有効活用して、好きなことを掘り下げていけば、コロナ明けにビッグウエーブが来るかもしれません。ワクワクするでしょ」
現在56歳。昨年11月に著書『全力疾走するバカになれ』(小学館)を上梓するなど、アラ還になってもチャレンジ精神と好奇心は高まり続けている。
「これも欽ちゃんの教えですが『一生懸命頑張ってきた人には、3回ブームが来る』と。俺の場合はアイドル、バラエティときたから、最後はどんなチャンスが来るのか楽しみ。引退はまったく考えないです。引退というのは、人から求められなくなったときのこと。自分では決められません。
だから最期の瞬間まで、持てる技術をすべて使って、みんなを笑わせていたい。命を使い切って、棺に収まりたいです。あ、でもまだ死ねないな。俺、恐竜と宇宙人は死ぬ前に見ておきたいんです(笑)」
かつまたくにかず
1965年3月12日生まれ 静岡県出身 「劇男一世風靡」に入団。1988年にテレビ番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)で、司会の萩本欽一に見いだされて芸能界デビュー。番組内で結成されたアイドルグループ「CHA-CHA」のリーダーとして活躍。以降、多数のバラエティ番組に出演。2021年11月に著書『全力疾走するバカになれ』(小学館)を発売
【うなぎ 色川】
住所/東京都台東区雷門2-6-11
営業時間/11:30〜14:00 休日曜、祝日ほか不定休
※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間、定休日が記載と異なる場合があります。
写真・木村哲夫
