隊員たちからは不評だった?新撰組の羽織の模様は実は「忠臣蔵」の浪士たちのオマージュ

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浅葱色の地に袖口と裾に白い山形のデザインが入った羽織。新撰組といえば、このようなデザインの羽織を身に着けているイメージが強い読者も多いと思います。このような模様を段だら模様といいます。

新撰組を題材とした映画やドラマでおなじみのこのデザイン、実は『仮名手本忠臣蔵』に出てくる赤穂浪士たちが着ているものをオマージュしたもの。そもそも地色になっている浅葱色は、武士が切腹するときに着用する裃の色で、そこには常に死を意識して尊王攘夷に邁進するという彼らの覚悟が込められています。

確かに錦絵に描かれた「忠臣蔵」は、ダンダラ模様ですね。

このデザインの羽織は、新選組創設時のメンバーの芹沢鴨によって採用されたスタイルだったと伝えられています。芹沢は『忠臣蔵』が大好きだったらしく、芹沢の芝居に出てくる赤穂浪士たちへのリスペクトが、このようなデザインの羽織を作らせたのでしょう。

自分が気に入っていたり、尊敬している有名人にちなむデザインを、音楽バンドやスポーツチームのユニフォームに取り入れる。現在でもよく見られる光景ですよね。

このように芹沢の肝いりで作られたこの羽織でしたが、結成当時は資金があまりなかったせいか、あまり上等な素材を使って作られたものではなかったそうです。

また、京における彼らの中心的な仕事は、「市中見回り」でした。当然彼らを憎む連中も現れてくるはずです。そのような剣呑な雰囲気の中で、浅葱色に段だら模様ではかえって目立ちすぎるため、隊員たちの間でも不評でした。まあ、今風にいうところの「ダサい!」という感じでしょうか。

結局、素晴らしいコンセプトが織り込まれたこの羽織も、尊皇派の志士を襲撃して彼らが名前を挙げた池田屋事件を最後に着られる姿がほとんどみられなくなります。そして、新撰組結成から一年足らずで廃止されてしまったそうです。

それ以降の新撰組の服装といえば、羽織も袴も全身黒ずくめの衣装だったといいます。

新選組局長 近藤勇

実際に着用されていた時期があまりにも短すぎたせいか、この段だら模様の羽織の実物は現在一着も発見されていないそうですが、近い将来どこかの蔵からひょっこりでてくるかもしれないですね。

それにしてもこのようなエピソードから、幕末のピリピリした時代にあっても、イケてるデザインに追求した彼らなりの美意識を感じ取れるような気がしてしまうのは、筆者だけでしょうか。

参考:土方歳三のすべてが知りたい!、ひすとりびあ