『第2期マザー・テラサワ講義録5巻-ジャン=ジャック・ルソー「社会契約論」』を2026年7月20日に発売--哲学芸人が「一般意志」の逆説を読み解く
本書は「哲学芸人」を標榜するマザー・テラサワが、近代政治思想の古典中の古典、ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』を独自の視点で読み解いた講義録です。「人は自由なものとして生まれた、しかしいたるところで鎖につながれている」。理不尽な支配を何とかしようと編み出された「社会契約」と「一般意志」という概念装置は、なぜ今度は、そこから取りこぼされる存在を生む別の歪みへと転じてしまうのか。18世紀の一冊をめぐる議論は、全体主義、政教分離、徴兵と良心的兵役拒否、そして「人民の人民による人民のための政治」の空洞といった、私たちの足元の問題へと地続きにつながっていきます。
【目次】
起源を忘れないということ/「社会契約」とは何か/わからないものを神が埋める/フランス革命前夜/ホッブズとルソーの「自然状態」/一般意志と社会的自由/一般意志はどう形になるか/主権は誰のものか/全体意志と一般意志の違い/徴兵と自由/アーレントと一般意志の影/王権神授説と政教分離/神棚と仏壇の国・日本
巻末付録 【学習ノート+演習問題3問】
【編集部解題】
本書は、哲学芸人・マザー・テラサワが主宰する定例読書会の記録である。本講義が開催されたのは2020年8月30日、東京・高円寺北区民集会所和室。コロナ禍のさなかでの開催であった。
今回取り上げられたのは、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)が1762年に世に問うた『社会契約論』である。フランス革命の理論的支柱となり、近代の民主主義・国民国家の観念そのものを準備した一冊として、「ロック、ルソー、モンテスキュー」と公民の教科書に並ぶ名は誰もが一度は聞いている。だが、その名の高さゆえに、肝心の中身は「なんとなく知っているつもり」で素通りされやすい。契約とは何か、自然とは何か、自由とは何か。あまりに当たり前になって誰も考えなくなったその言葉の、最初の一歩に立ち返るところから、マザー・テラサワは講義を始める。
本講義の核心は、ルソーの「一般意志」という概念がはらむ逆説にある。一般意志とは、個々人の私的な利害(全体意志)の寄せ集めではなく、共同体全体の善を志向する意志である。それは、王や強者の理不尽な支配を断ち切り、人々が自由なまま共に生きるための装置として、ルソーが渾身の力で編み出したものだった。ところが、とマザーは問う。その「みんなの意志」が一つにまとまっていく前提そのものが、そこからこぼれ落ちる少数の存在を、いったいどう扱うのか。理不尽を正すために作られた概念が、今度は別の理不尽を生んでしまう。マザーはこの逆説を、ハンナ・アーレントの全体主義論、徴兵と良心的兵役拒否のジレンマ、そして「人民の人民による人民のための政治」の空洞といった具体的な場面に引きつけながら、結論を急がずに掘り下げていく。
もう一つの軸は、宗教と政治の関係である。ルソーが説いた政教分離の原則は、世俗の権威と内面の信仰を切り分けてこそ一般意志が成り立つ、という洞察に支えられている。だが、その原則は日本という土壌でどう働くのか。日本は近代を移入するとき、それを「自国に合うよう」つくり変え、大日本帝国を組み立てた。近代化しながらも、独特の「日本的な精神構造」を温存したまま来てしまった。大江健三郎が「あいまいな」と呼んだその構造のもとで、はたしてルソーの一般意志は成り立つのか。マザーの問いはここに向かう。
