神奈川県横須賀市の三笠公園に保存されている戦艦「三笠」(画像提供:横須賀市)。

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3月3日に、フィリピン沖のシブヤン海で発見されたという戦艦「武蔵」。注目を集めていますが、実は「武蔵」だけではなく、それ以外にも多くの戦艦が海に沈んでいます。また話題になっているその引き上げについても、様々な問題があるようです。

発見されている主力艦はわずか4隻

 去る2015年3月3日(火)、フィリピン沖のシブヤン海水深1000mの地点において、旧帝国海軍の戦艦「武蔵」が発見されました。「武蔵」は帝国海軍の切り札だった史上最大の戦艦「大和型」二番艦であり、1944(昭和19)年10月24日に米海軍艦上機の猛烈な航空攻撃を受け沈没。それから実に約70年ぶりで、その存在が確認されたのです。発見者はアメリカのマイクロソフト社を創業したポール・アレン氏であり、彼の趣味の一環として「武蔵」の捜索が行われていました。

 帝国海軍の戦艦および正規空母といった主力艦のうち、完全な状態で現存しているのは、1905(明治38)年の日本海海戦で旗艦を務めた「三笠」が横須賀に残るのみです。ほかはすべて、沈没ないし解体されてしまいました。

 現在も海底に沈んでいる艦のうち発見されているのは、今回の「武蔵」とされるものを除いて以下の4艦しかありません。

・戦艦「大和」
九州南西、東シナ海。1945(昭和20)年4月7日、アメリカの空襲を受け沈没。

・戦艦「長門」
ビキニ環礁。1946(昭和21)年7月29日、アメリカの核実験で沈没。

・戦艦「陸奥」
瀬戸内海。1943(昭和18)年6月8日、爆発事故で沈没。

・戦艦「霧島」
ソロモン諸島サボ島沖。1942(昭和17)年11月15日、砲撃を受け沈没。

 停泊中に沈んだ「長門」と「陸奥」は港や環礁の極めて浅い海域であったことから、最初から正確な位置が知られています。「大和」は1985(昭和60)年に水深345mで、霧島は1992(平成4)年に水深900mで発見されました。

 未発見の戦艦は「扶桑」「山城」「金剛」「比叡」です。「比叡」を除けば水深100m程度の比較的浅い海域に沈んでいると考えられるため、いずれ発見されるかもしれません。また正規空母は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」「大鳳」「雲龍」「信濃」の9艦が沈んでおり、まだ見つかっていません(「加賀」は一部のみ発見とされる)。

ユネスコで採択された沈没艦は「文化遺産」という考え

 太平洋戦争中は先述の主力艦のみならず、多数の補助艦艇やそれ以上の数の輸送船が沈没しました。今回発見されたという「武蔵」をはじめ、これらの船を引き上げることは可能なのでしょうか。

 可能か不可能かでいえば、可能なことも多いと思われます。水深1000mともなるとダイバーを使った作業はできませんが、ロボットを活用すれば、技術的にできない話ではありません。

 しかし、だからといって引き上げが実行されるかどうかは別問題です。仮に主砲塔だけ引き上げるにしても、駆逐艦ほぼ1隻分の2760トンもあり、数百億円からの費用が必要となるでしょう。6万4000トンにも達する艦体となると、天文学的な数字かもしれません。

 そして、もうひとつ問題があります。「大和」は2740名、「武蔵」は1023名が艦と運命を共にしました。そのため現在も、多くの遺骨が残っているはずです。「沈んだ艦は戦死した者たちの墓標として扱うべきだ」という意見があり、そうした考えに基づけば、艦の引き上げは墓を荒らす行為にほかなりません。そのため反対の声は決して小さなものではなく、日本政府も遺骨の収拾は尊厳が失われた場合に限り行うとしています。

 2009(平成21)年に、呉市商工会議所(広島県)などが中心になって「戦艦大和引き揚げ準備委員会」という団体が発足した際にも、抗議の声がありました。

 また2001(平成13)年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)において採択された「水中文化遺産保護条約」では、沈没艦を保護すべき文化遺産と定義しており、遺物の引き上げや売買を禁じています。

 日本はこの「水中文化遺産保護条約」を批准していませんが、「武蔵」のような艦はみだりに引き上げず後世へ残すべきだという考え方が現在、世界で存在感を増しています。