「私は自分を信じない」資産7億円・元経営者の70代両親、息子に高級老人ホームを勧められるも、断固拒否。父が明かした驚愕の〈余生計画〉【FPが解説】
十分な資産があれば、老後の不安はなくなるのでしょうか。施設に入る余裕がありながら、自宅介護を選んだ元経営者のAさん。そこには、介護費用よりも重く捉えていた「あるリスク」がありました。本記事ではFPオフィスツクル代表の内田英子氏が、Aさんの事例をもとに、老後の暮らしを支えるリスクマネジメントについて考えます。※本記事の事例は複数の相談をもとに、プライバシー保護のため脚色を加えています。税務・法務等の個別判断は各専門家にご相談ください。
元経営者夫婦が下した終の棲家の選択
70代のAさんは、長く事業を率いてきた元経営者です。親から事業を引き継ぎ、相応の資産を築いてきました。現在の資産額は7億円。望めば、設備の整った高級な老人ホームへの入居も、費用面では十分に選択肢に入ります。そんな状況にありながら、Aさんも妻も、少しずつ介護の手を必要としはじめていました。
お金の心配はいらないのだから、手厚いケアの受けられるところへ。家族の負担も軽くなるし、なにより安心だ。息子たちは当然のように、施設への入居を勧めます。しかし、Aさんが選んだのは、介護保険と公的医療を土台としながら、自費で家政婦や会員制の介護サービスを組み合わせ、住み慣れた家で暮らし続けるという道でした。
住み慣れた家を離れる不安もありました。ただ、理由はそれだけではありません。
Aさんが最も避けたかったのは、自分や妻の判断能力が低下したあとに、想定していなかった事態への対応を迫られること。「私は老いた自分を信じていないんです。過信していないというか」。
心身の状態や支援者の状況が変われば、サービスの変更や住み替え、新たな契約が必要になるかもしれません。そのとき、誰が、なにを基準に決めるのか。Aさんにとっての問題は、お金が足りるかどうかではなかったのです。
選択の背景にあった「リスクマネジメント」
Aさんが自宅での介護を選んだのは、長年の経営で培ってきたリスクマネジメントの発想から行き着いた結果でした。
計画を立てるとき、予定どおりに進む場合だけでなく、うまくいかなかったときの対応まで考えてきたAさん。老後の暮らしについても同様に考えたのです。
特に重く考えたのが、「住み替え」の判断でした。施設に入居した場合、入居時点の契約と施設側の運営方針が、その後の暮らしの前提になります。心身の状態が変わり、その施設の対応範囲を超えれば、退去や転居、つまり「住み替え」の判断が必要になる可能性があります。そのときに本人の判断能力は低下しているかもしれません。Aさんは、この点の不確実性を避けるために、住む場所を固定できる在宅介護を選びました。
「自宅を軸に支援者や契約を配置しておけば、状態が変わっても、家を起点にサービスを足し引きすればいいですから」
Aさんにとって在宅介護は、想定外が起きたときにも、できる限り自分たちの意向に沿って対応しやすくするための選択でした。
判断能力の低下は、誰にでも起こりうる
判断能力の低下は、特別な人だけに起こることではありません。
厚生労働省の資料では、認知症の高齢者は、2030年には約523万人、2040年には584万人に達するとの推計結果が示されています。また、同資料では2022年時点で65歳以上では、約8人に1人、90歳以上では2人に1人が認知症という結果が。認知症の有病率は年を重ねるにつれて上がる傾向がうかがえます(※1、2)。
さらに、民間の試算では、認知症の方が保有するとされる資産は2020年時点で金融資産と不動産を合わせて約255兆円にのぼり、2040年には349兆円に増えるとの推計が(※3、4)。判断能力が衰えると、本人名義の資産を必要なときに動かしにくくなる、いわゆる「資産凍結」が起こり得ます。預金の引き出しや不動産の売却、施設入居のための契約に、本人の意思確認が求められる場面は少なくありません。
生活設計の視点でみると、老後に向けて「お金を用意しておくこと」と、「お金を使える状態にしておくこと」は、まったく別の課題です。
Aさんのように十分な資産があっても、判断能力が低下して資産が凍結されれば、手厚いケアの費用を拠出しようにも自分の意思では動かせなくなる可能性があります。加えて、在宅であれ施設であれ、介護には費用が継続的にかかります。収入で賄えない場合はどのくらいのペースで資産を取り崩し、どう備えておくのか。必要な資金設計と、「そのお金を動かせる状態を保つ備え」は、セットで考える必要があるのです。
制度はあるが、万能ではない
こうした事態に備える制度は、もちろんあります。判断能力が不十分になった方を支える成年後見制度や、財産の管理をあらかじめ家族に託しておく民事信託、いわゆる家族信託などです。
ただ、これらはあくまで制度であり、それぞれに得意・不得意があります。
成年後見制度
財産管理に加え、介護サービスや施設入居など、本人の生活のための契約を担える一方、原則として本人の財産保護が目的です。家族の都合や資産の積極的な活用を踏まえた利用は想定されていません。
家族信託
財産管理の方法を比較的柔軟に設計できる反面、介護や医療に関する同意や契約まで、すべて担えるわけではありません。
それぞれに一長一短があり、いま制度や契約を整えても、将来の本人の状態や家族関係、必要となる支援の変化まで、必ずしも対応しきれるわけではないのです。
なお、成年後見制度や家族信託の適切な活用方法は、本人の状況や家族関係、保有資産、希望する暮らしによって大きく異なります。利用を検討する際は、各制度に詳しい専門家に相談することをお勧めします。
Aさんは、長年付き合いのある弁護士や税理士、医療・介護の専門家から意見を聞き、自分たちにとって今後の道筋を見通しやすい方法を検討しました。その結果が、住む場所を変えず、自宅を中心に支援者や契約を配置するという選択だったのです。
老後に必要なのは「前提が崩れたあと」の設計
現実には、これから介護を支える人手そのものが不足していくと見込まれるなか、自費でケアサービスを手配できる人はさらに限られていくでしょう。その意味で、Aさんの選択は誰もが真似できるものではありません。一方で、「判断能力が低下したあとに、自分の意思をどう反映させるか」というお金だけでは解決できない課題は、資産の多寡に関係なく、誰にでも当てはまります。
まず確認したいのは、自分たちの老後計画が、なにを前提に成り立っているかです。「自分が倒れたら好きにしてほしい」という人は少なくないですが、医療や介護、財産管理では、本人の同意や契約、各種の手続きを求められる場面が少なくありません。制度やサービス利用を前提とするなら誰がその対応を担えるのか、事前に確認しておく必要があります。
本人の意思がわからない状態だと、対応の担い手が直面するさまざまな選択は、一気に重いものとなります。だからこそ、そういった担い手の負担を少しでも減らすためにも、元気なうちに、自分がどのような暮らしを望むのかを考え、周囲に伝えておくことは大切です。
「誰がなにを担うのか」「その人が対応できなくなったらどうするのか」「どの状態になったら見直すのか」先々のことを見通すことは難しいですし、想定外をなくすことはできません。それでも、事前に考えておくことで避けられる混乱や、軽くできる負担はあるはずです。
頼る人や制度、住まいの前提が崩れたときにも、自分にとって望ましい暮らしを立て直す道筋をつくっておくこと。老後も安心して暮らし続けるために必要なのは、資産の額だけでなく、こうしたリスクマネジメントの視点なのかもしれません。
〈参考〉
※1 厚生労働省「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」
https://www.mhlw.go.jp/content/001279920.pdf
※2 九州大学「令和5年度老人保健事業推進費等補助金 」
https://www.eph.med.kyushu-u.ac.jp/jpsc/uploads/resmaterials/0000000111.pdf
※3 三井住友信託銀行 調査月報 2022年5月号 経済の動き 〜 膨らむ認知症高齢者の保有資産
https://www.smtb.jp/-/media/tb/personal/useful/report-economy/pdf/121_1.pdf
※4 高齢者の資産をめぐる2つの問題(財務総合政策研究所)
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f10_51.pdf
内田 英子
FPオフィスツクル 代表
ファイナンシャルプランナー

