成長する人と、停滞する人は何が違うか。経験を自分への栄養に変える人は、ある技術を持っているという。人材コンサルタントの瀬田千恵子さんによるビジネスノベル『完璧なリーダーをやめたら、人と組織が動き出した』(加藤洋平監修・解説、日本能率協会マネジメントセンター)より、紹介する――。
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■正しさで人は動かない、評論家になるな

登場人物紹介
大石慧:成長著しい情報通信事業会社の事業戦略部チームリーダー。
山本拓海:事業戦略部の若手。

あじさいが色づき始めた6月の午後。窓にしとしとと当たる雨音が、今の慧の穏やかな心と重なっていた。

大石慧のデスクの上には、この1年間で使い切った5冊のノートが積み重なっている。

一番下のノートは、表紙が薄汚れ、角が丸くなっている。それを手に取ると、まだ誰かの「借り物の言葉」でしか語れずに悩んでいた頃の、迷いと焦りに満ちた自分の跡が現れた。

上司の言葉を真似しても、部下には響かない。自分の言葉はどこにあるのだろう?

この問いの答えは、まだ見つからない。

ページをめくると、インクの滲みや、乱暴に書き殴った跡が目に入る。それは、営業の佐伯の革靴にいくつも刻まれた傷を見て、現場の痛みが見えていなかった自分の不甲斐なさを省みた、あの春の日の記録だ。

正しさで人は動かない。現場の痛みを知らないリーダーは、ただの評論家だ。

■本当のリーダーシップへの気づき

そして、一番上の新しいノート。そこには、アディと大森が画面越しにぶつかり合い、互いの正義を闘わせた、あの日の思いが文字として残っている。

内を整え、外が動き出す。人の心はそれぞれの背景を聴くことで開かれる。

読み返すと、当時の心の痛みや、手のひらの汗の感覚までもが鮮やかに蘇るようだ。

慧は気づいた。ここにあるノートは、単なる感想ではない。自分が何を恐れ、警戒し、そして直面した出来事をどう乗り越えてきたか。その「葛藤」と「心の動き」のすべてを刻んだ、気づきの記録なのだ。

湿り気を帯びた風が、窓の外の木々を揺らしている。

リーダーとして歩んできた道は、決してスマートな一直線ではなかった。壁にぶつかり、立ち止まり、時には引き返して逡巡し続けたこともあった。

しかし今、こうして振り返ると、あの失敗も、あの後悔も、すべてが今の自分になるために必要な「意味のある経験」だったと思える。

――リーダーシップとは、すごい成果や立派な肩書きのことじゃない。目の前の現実をどう受け止め、どう意味づけて歩いてきたか。その「生き様」が育むものなんだ。

そう確信した慧の胸には、リーダーシップの旅の途上で見つけた灯火のような温もりが宿っていた。

■出来事ではなく、「解釈」が人を形づくる

人は、起きた「出来事」そのものによって変わるのではない。その出来事をどう解釈し、自分の中でどのような「意味」として記憶するかによって変わっていく。

慧はかつて、大規模なプレゼンテーションでの失敗を「恥ずべき記憶(消したい過去)」として封印していた。

しかし数年後、若手との研修でその未熟さをあえて口にし、「あの失敗があったから、準備の本当の意味を知れたんだ」と語った瞬間、その記憶は「ただの失敗談」から「成長のための重要な転機」へと姿を変えた。

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過去の事実は変えられない。しかし、その意味づけは、今の自分がどう語るかでいくらでも変えられる。それが、過去を単なる記録から「現在を生きるための資源」に変えるということだ。

慧は、自分が無意識に行ってきた「出来事の意味づけを書き換える手順」を整理した。

・事実を見る(点):何が起きたのか。感情と切り離して、客観的な事実だけを認める。

・意味づけを変える(線):それは「ダメなこと」だったのか、それとも「必要な試練」だったのか。自分の価値観でポジティブな解釈を加える。

・未来へ使う(面を活かし、向かう矢印の方向を決める):その経験を教訓にして、今日からどんな行動を取るか決める。

この視点を得てから、慧のリーダーシップは根本から変わった。成果や実績は時間が経てば色あせる。

しかし、そこから汲み取った「教訓(意味づけ) 」は、語り継がれることで人の心に残り、進化し続ける。

■未来の結果を変える「失敗の受け止め方」

例えば、昇格試験に落ちて「もういいや」と投げやりになる山本拓海に、慧はこう声をかけた。

「不合格という事実は変わらない。でも、それを自分には能力がないとして終わらせるか、それともこの経験を高いジャンプをするための一時の沈み込みと捉えるか。その意味づけを決めるのは、試験官じゃなくて山本さん自身だよ」

その言葉を聞いて山本は、意気消沈していた顔を上げた。失敗を「ダメだった結果」として引きずるのではなく、「次はどうすればいいか」を考えるための材料として捉え直し始めたからだ。

過去をどう受け止めるかで、次に選ぶ行動は変わる。「自分は失敗ばかりだ」と嘆くか、「この経験があったから強くなれる」と考えるか――。その違いが、未来の結果を変える。

メンバーが失敗して傷ついたとき、その出来事をただの「挫折」のままにせず、「次へ進むための糧」に変える手伝いをすること。

それもまた、リーダーの大切な役割だと慧は強く心に刻んだ。

■経験の意味づけを変える「三段階の整理」

とはいえ、起きた出来事の意味づけを変える力は、ただ漫然と仕事をこなしているだけでは育たない。慧自身、かつては多忙な日々の中で、次々と起こるトラブルをただ「処理」し続けるだけで、記憶の断片として失っていく自分に愕然としたことがあった。

経験を自分への栄養に変え、未来への橋を架けるには、意識的な「振り返りの技術」が必要なのだ。

そこで慧が取り入れたのが、週末のノートに綴る「三段階の整理」というシンプルな習慣だった。

出来事(事実):今週、何が起きたのか?(感情を入れずに書く)
解釈(意味づけ):そのとき、どう感じたか? それを自分にとって意味のある意味づけに変えられるか?
行動(未来):それを教訓にして、来週から何をするか?

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例えば、先週、あるプロジェクトで「大口案件の失注」という痛い出来事があった。

マネージャー以前の慧なら「失敗してしまった。申し訳ない」と落ち込んで終わっていただろう。

だが今は、ノートにこう書ける。

出来事(事実):提案が断られた。
解釈(意味づけ):悔しい。だが、こちらの熱意が空回りし、顧客の真の課題を把握しきっていなかったことに気づく「必要な痛み」だった。
行動(未来):今後の提案では、事前に企画チームも営業担当に同行し、顧客ヒアリングを徹底する。

こうして内面の揺れを言語化することで、ただの失敗は「顧客との対話の本質を学ぶチャンス」へと姿を変えた。

■チームで「意味づけ」を共有する

この営みは、自分ひとりのノートだけに留まらなかった。慧は定例会議の冒頭に、あえて数字の進捗報告ではなく、最近の経験を共有し合う時間を設けた。

「数字の報告の前に、少しだけ時間をください。今週、仕事をしていて一番心が動いた瞬間はいつでしたか? 失敗でも、嬉しかったことでも構いません」

最初は「何を話せばいいのか」と戸惑っていたメンバーも、慧が自分の失敗談を話すにつれ、次第に口を開き始めた。

「実は、お客様の何気ない一言に救われて……」
「自分のミスで落ち込んだけど、先輩のフォローで気づきがあって……」

事実の報告だけでは見えてこなかった「体温のあるエピソード」が共有されると、組織の中に、数字や計画だけでは生まれない一体感が定着していった。

メンバーそれぞれが、「自分の仕事には意味があるんだ」と再確認する時間が生まれたのだ。

さらに慧は、社外のリーダーや異なる背景を持つ人々の話を聴く時間も大切にした。

他者の経験に触れることで、自分の解釈の幅が広がり、新しい視点が書き加えられていく感覚があったからだ。

新しいプロジェクトで困難にぶつかるたび、慧はチームメンバーにこう問いかけるようになった。

「このピンチは、将来、自分やチームにどんな新しい強さを与えてくれるだろうか?」

出来事をただ受け止める側から、未来への意味を語る側へ。

その視点の転換こそが、変化の激しい時代を生き抜くリーダーの力となる。

■物語は共有されてこそ力になる

さらに慧は、ノートに意味を書き記すだけでは不十分だと感じ始めていた。

瀬田千恵子(著)、加藤洋平(監修・解説)『完璧なリーダーをやめたら、人と組織が動き出した』(日本能率協会マネジメントセンター)

自分が苦しみの中で見つけた「教訓(意味づけ)」は、物語として言葉にして誰かに届けなければ、組織の新しい力にはならないからだ。

ある日の全社ミーティング。通常はKPIや成果指標の数字のみが淡々と語られる場だが、慧はあえてスライドを閉じ、プロジェクトの裏側にあった「正直なプロセス」を語ってみた。

「結果として成功しましたが、正直に言うと、途中で逃げ出したくなった瞬間がありました。でも、佐伯さんが『どんなに揉めても、顧客が喜ぶものを提供したい気持ちはみんな同じはずじゃないの?』と踏ん張ってくれた。その一言が、私の心に再び火を灯してくれたんです」

ミーティング終了後、メンバーの一人が近寄ってきた。

「数字の報告だけなら聞き流していたと思います。でも、裏側にあった葛藤のいきさつを聞いて……自分はこのプロジェクトの一員になって良かったと、本気で思えました」

この出来事を境に、慧は「プロセス」を共有する場を意図的に増やした。打ち上げでは「成功要因」だけではなく、「一番しんどかった瞬間」や「迷い」を分かち合う時間を設けた。

すると、メンバー同士が互いの背景を理解し、信頼が深まる循環が組織の中に浸透し始めた。

慧は気づいた。経験を話すことは、単なる情報の共有ではない。語り手があえて「弱さ」や「揺れ」を見せることで、聞き手の中に「自分も完璧じゃなくていいんだ」という安心感が生まれる。その余白があって初めて、人は自信を得て動き出すのだ。

息を吸うように他者の話を受け取り、息を吐くように自分の経験を差し出す。

この循環が続く組織は、閉塞感に窒息することなく、常に未来へと開かれた状態を保てる。

慧はペンを置き、窓の外の雨をしばらく眺めた。

表紙が薄汚れたノートには、「借り物の言葉」ではなく、自らの足で歩き、悩み、見つけ出した「自分の言葉」が詰まっている。

自分を良く見せるためではなく、関わる人々と共に未来を作るために、慧はこれからもこの学びの経験を語り続けると決意していた。

その連鎖こそが、組織をいきいきと成長させる土壌になると信じて。

窓を静かに叩き続ける雨音。

その音は、新しい一歩を踏み出す前の深呼吸のように聞こえた。

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加藤 洋平(かとう・ようへい)
成人発達学者
一橋大学商学部経営学科卒業後、デロイト・トーマツにて国際税務コンサルティングの仕事に従事。退職後、米国ジョン.エフ・ケネディ大学にて発達心理学とインテグラル理論に関する修士号(MA. Psychology)、および発達測定の資格を取得。オランダのフローニンゲン大学にてタレントディベロップメントに関する修士号(MSc. Psychology)、および実証的教育学に関する修士号を取得(MSc. Evidence-Based Education)。日々の研究に並行して、心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」を毎週土曜日に開講している。著書:『なぜ部下とうまくいかないのか』『成人発達理論による能力の成長』『人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋』(以上、日本能率協会マネジメントセンター)など。翻訳書:『心の複雑さに向き合うとは、どういうことか 〜成人発達理論がひもとく痛みと成熟の心理学〜』『「人の器」を測るとはどういうことか 成人発達理論における実践的測定手法』(以上、日本能率協会マネジメントセンター)
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瀬田 千恵⼦(せた・ちえこ)
リーダーシップ開発コンサルタント、チームボックス 代表取締役COO
全⽇本空輸(ANA)での旅客サービス業務を経て、⼩売業界で⼈事職を経験。その後、⾹港に渡り、現地⽇系外⾷グループにて採⽤・⼈材開発業務に従事。帰国後は⼤⼿⼈材会社にて⼈材派遣、採⽤、コンサルティング業務、新規事業の⽴ち上げなどに携わる。外資系消費財企業でのHRアシスタントマネージャーを経て独⽴。現在は、株式会社チームボックスにて代表取締役COO(最⾼執⾏責任者)として、営業戦略から組織運営、⼈材開発に⾄るまで幅広い業務を統括。成⼈発達理論に基づくアプローチで、多くの⽇本企業のリーダー育成に携わっている。
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(成人発達学者 加藤 洋平、リーダーシップ開発コンサルタント、チームボックス 代表取締役COO 瀬田 千恵⼦)