母は隠さず「奇形児やから」と…“アヒルのガーコ”と呼ばれた難病の女性(51)が明かす、40回以上の手術と“鼻を作る”決断をした理由〉から続く

 先天性の難病「顔面動静脈奇形」で鼻と上唇が変形し、40回以上の手術を受けてきた河除静香さん。現在は見た目による差別を受けてきた体験を芝居にし、地元・富山県を中心に上演会も行う。

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 そんな河除さんに、学生時代に受けたいじめや、就職時の困難などについて話を聞いた。


河除静香さん 

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「鼻ってこんなに空気が入ってくるんや」という驚き

――これから鼻を作る手術をされるということですが、今呼吸がしにくいとかはないですか?

河除静香さん(以下、河除) 鼻がぺちゃんこになる前から鼻呼吸はしづらいほうではあったんですけど、今はよりしにくいですね。たまにピンセットとかで鼻の穴を広げるとすごく空気が入ってきて、「ああ、メッチャ息が吸いやすい」ってなります。

 実は私自身8年前に初めて知ったんですけど、左の鼻の穴がなかったんです。

――見た目に穴はあるけど、実際には穴がなかった?

河除 洞窟みたいに途中で終わっとったというか。私もずっと知らなかったんですけど、開通してなかったみたいです。で、8年前に左の鼻を開通してもらったら、「鼻ってこんなに空気が入ってくるんや」って驚きました。

 ただ今はそれもぺしゃんこになってしまったので、改めて鼻を作る手術をするということです。

――嗅覚に変化はありましたか。

河除 嗅覚は20年ぐらい前に失ってしまって。放射線の治療をしたんですけど、その副作用でにおいが分からなくなってしまったんです。

 次男坊が生まれた時、うんちのにおいがしとるのか分からんくて、長男に「おむつ臭い?」とかって言って確かめてもらっとったがですよ。

 その時はなんでか全然分からんかったがですけど、徐々に完全ににおいがしなくなって、「あっ、放射線の治療のあれや」と分かったんです。

においがわからない寂しさ

――においがわからないことで生活に支障が出たことも?

河除 めちゃくちゃ不便いうのはないですけど、人との会話で困ることはありますね。職場は中学校なんですけど、「今日の給食いいにおいするね」って言われると、「(小声で)うん、そうやね……」って(笑)。

 言う時は正直に言うんですけど、ちょっとした会話の中で全部理由を話すわけにもいかんので、そういった場面で難しさを感じることはありますね。

 あと、ガスのにおいとかが分からんがは怖いですけどね。

――危険なにおいが感知できないのは怖いですよね。

河除 今うちはIHなんですけど、焦げ臭いとかが分からんので困るっちゃ困るけど、どうしても困るというのは、ないと言えばないです。ただ、寂しいのは寂しいですね。

――そうですよね。

河除 徐々ににおいがなくなったから、ご飯がおいしくないとかはないですけど、やっぱり一番寂しいのは、子どものにおいですかね。とにかくあらゆるもの全てのにおいを、もう一生嗅ぐことはできんのやと思ったらすごく怖くなることがあって。

 突き詰めて考えると失ってしまったものの大きさを直視することになるから、考えないようにしてます。

「基本的人権はない」と言われたショック

――機能的な面だけでなく、特に学生時代は「見た目」で苦労されてきたというお話もありました。

河除 保育園の時からいじめられたり仲間はずれにもされたし、小学校に上がったらいろんな保育園の子も集まってきて、その中でもやっぱりいじめられて。で、中学校になったら中学校になったで狡猾ないじめになっていったりと、いじめの変遷みたいなものがありましたね。

――「いじめの変遷」とは。

河除 小学校までは直接的に「気持ち悪い」とか「ばい菌」って言われたり、叩かれたりとかいう分かりやすいいじめでしたけど、中学校になると先生に分からないようなかたちの嫌がらせになっていって。

 たとえば給食の時間に男子たちが私の机を取り囲んで、「これくれよ」って言ってきて。私も嫌と言えんで、「いいよいいよ」って返したら、食パン1枚しか残らんかったいうことがありました。

 一番ショックだったのは、社会の時間に「基本的人権」について習った時、「お前に基本的人権はない」と言われたことです。

――ひどいいじめですが、どうやって乗り越えるというか、日々を過ごしていたのでしょうか。

河除 親にも先生にもいじめのことは言えんかったです。内弁慶やったので、弱いところを見せたくないというか、いじめられていることが恥ずかしくて言えんくて。先生から「何か困ったことはある?」と聞かれても、「ないです」って強がって。

 ただ、いじめられとったけど、明るいキャラではあったんです。だから、その明るいキャラの自分に似合わないことをしたくない、みたいなところもありました。

退院した後に学校へ行くと「きれいになったな」と…

――当事者が声をあげるのは大変ですよね。

河除 「いじめっ子が死ねばいいのに」と願ったことは数しれずですし、デスノートじゃないですが、ノートに「死ね死ね死ね」って書いて発散するくらいしかできんかったです。

――いじめに対して怒ったりしてくれた大人や友人はいましたか。

河除 怒ったり励ましてくれた先生は3人だけ覚えてます。手術して退院した後に学校へ行くと、毎度「きれいになったな」って言ってくれる先生がいて。実際は全然、見た目は変わってないんですよ。でも、すごく嬉しかったです。

 あとは、私がいじめられとるのを見て、今では絶対許されんけど、いじめっ子にビンタした先生もいました。その後、ビンタされた2人が私のところに来て「ごめんね」って謝ってきて。だからといっていじめがなくなったわけでもなかったけど、寄り添ってもらえるいうことは、今でも覚えとるぐらい大きい出来事やったです。

 友だちでいうと、いじめてくるのは男子ばっかりだったんですが、女の子とは普通に仲が良かったですよ。これで女子からも総スカンやったら、本当に学校に行けてなかったと思います。

 ただ、親も休むことは絶対許さんかったです。

――昔の親って、何が何でも学校行け、でしたよね。

河除 でも、休ませてもらえないから恨んどるとかはなくて。休ませてもらえなかったからこそ培ったど根性みたいなところはあるかもしれないです。

――学生時代、病気が原因でできなかったことや苦手だったことはありますか。

河除 私は今演劇をやっとるんですけど、本当は昔からやりたいという気持ちはあったんです。けど、自分は表舞台に出たらダメな人間なんやとずっと思っとって。歌番組のコンテストの予選に行ったりしたこともあったがですけど、絶対に自分は選ばれることはないと、自分の中ではっきりとした諦めはありました。

 あと、高校生の時も、ビームライフルクラブという、高校で初めて取り入れられたクラブにテレビの取材が来たんですけど、放送を見たら自分の手前でピタッと映像が止まって、映ることはなく。「ああ、そういうことなんやな」って。

――周囲からの扱いによって諦めの気持ちが育っていったというか。

河除 いろいろ挑戦する人間ではあったんですけど、お芝居とか歌とかそういうのはやったらダメなんやな、みたいな感じでは思っていました。

「あなたのような見た目の人を採用することはできない」と言われて

――その後、就職活動でも苦労があったのでしょうか。

河除 周りの皆が内定が出る中で、自分はやっぱりなかなか希望の職種には受からんくて。自分でもダメやと思いながらも受けに行く、みたいなのを繰り返しとったんです。

――どういうお仕事を希望していたんですか。

河除 ブライダル業で、結婚式場とかで働きたかったんですけど、面接すら進めず履歴書が返ってくるばっかりで。

 でも1社だけ面と向かって話してくれた会社があって。「私たちの仕事はお客さんに接する仕事やから、申し訳ないけどあなたのような見た目の人を採用することはできない」とはっきり言われました。

 でも、今思えばすごく親切な人たちだなと思うんですよ。

――怒りを覚えそうですけど、逆にありがたいと思われたんですね。

河除 その時は分かってなかったです。まだ20歳ぐらいだったんで、「なんでこんなこと言われるんやろう」って、自分でも受け入れられんかったですけど、何年も経ってからわかったというか。

 面接してくれたのは親世代の人だったんですけど、きっとこの子が同じことを繰り返さんように、かわいそうやけど、この業界で働くのは難しいことを伝えてくれようとしたんだろうな、と思ったんです。

――その後は進路を変更されたんですか?

河除 そこが私の前向きなところというか単純いうか、ブライダルが駄目なら「冠婚葬祭」の「葬」、葬儀の方に行こうと思ったんです。

写真=細田忠/文藝春秋

〈仲人から「写真を見たら鼻が黒い感じが」と…鼻と上唇が変形して生まれた難病の女性(51)が語る、20代の婚活と夫との出会い〉へ続く

(小泉 なつみ)