(※写真はイメージです/PIXTA)

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定年後の地方移住は、自然に囲まれた穏やかな暮らしを求める人にとって魅力的な選択肢です。住居費を抑え、都市部の慌ただしさから離れたいと考える人も少なくありません。しかし医療、交通、地域との関係、冬場の暮らしまで見通さなければ、理想と現実の差に苦しむことがあります。

「ここで第二の人生を始めよう」…勢いで決めた移住生活

康夫さん(仮名・65歳)と妻の美奈子さん(仮名・64歳)は、康夫さんの定年を機に都市部のマンションを売却し、地方の町へ移住しました。退職金は約2,200万円。夫婦の年金収入は月27万円ほどで、移住先では中古の戸建てを購入しました。

都市部より住居費を抑えられるうえ、庭のある暮らしができることに魅力を感じたのです。

きっかけは、定年前に訪れた旅行でした。山が見え、空気が澄み、地元の人も親切に感じられました。美奈子さんは「ここなら静かに暮らせそう」と話し、康夫さんも「退職後はこういう場所で過ごしたい」と思うようになります。

しかし、旅行で見る町と、毎日暮らす町は違いました。

移住して最初の数ヵ月は、新しい生活への高揚感がありました。庭で野菜を育て、近くの直売所で買い物をし、夕方には夫婦で散歩をする。都市部では味わえなかった時間の流れに、二人は満足していました。

ところが、1年ほど経つと不便さが目立ち始めます。買い物には車が必要で、病院も近くありません。康夫さんが運転できるうちは問題ないと考えていたものの、雪の日や夜間の運転には不安がありました。美奈子さんが体調を崩したとき、専門医のいる病院まで片道1時間以上かかったことも大きな不安になりました。

総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の夫婦のみ無職世帯では、可処分所得約22.2万円に対し、消費支出は約26.4万円となっており、平均で毎月約4.2万円の不足が生じています。康夫さん夫婦の年金月27万円は平均的な支出に近い水準で、余裕があるとは言えません。

移住2年目には、屋根の補修と給湯器の交換が重なり、退職金の一部を取り崩しました。安く暮らせると思っていた地方生活でも、戸建ての維持には想定以上のお金がかかったのです。

「こんなはずじゃなかった……」

美奈子さんがそうつぶやいたのは、冬の朝、凍った道路を見て通院を諦めた日でした。

移住生活を続けるかどうか…夫婦が選んだ次の暮らし

夫婦をさらに悩ませたのは、地域との距離感でした。近所の人は親切でしたが、長く続いてきた地域のつながりの中に入るのは簡単ではありません。

自治会の行事や草刈り、近所づきあいもあり、康夫さんは「静かに暮らせると思っていたけれど、思ったより気を使う」と感じるようになりました。

内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、高齢期の社会参加や人とのつながりが、生きがいや安心に関係するとされています。ただし、つながりは多ければよいというものではなく、本人に合った距離感で続けられることが大切です。康夫さん夫婦にとって、移住先の人間関係は負担になっていました。

3年目の春、夫婦は移住生活を続けるかどうかを話し合いました。売却すれば購入時より価格が下がる可能性もあります。それでも、医療や交通への不安を抱えたまま年齢を重ねることのほうが怖いと感じました。

二人が選んだのは、都市部に近い地方都市の賃貸マンションへ移ることでした。完全に元の街へ戻るのではなく、駅や病院、スーパーが徒歩圏内にある場所です。庭付きの家は手放しましたが、車に頼りきらない生活を優先しました。

地方移住は、成功か失敗かで単純に分けられるものではありません。大切なのは、理想だけで決めず、医療、交通、住まいの維持費、地域活動、将来の体力まで具体的に確認することです。できれば短期滞在や賃貸で試し、合わなければ戻れる余地を残すことも重要です。

康夫さん夫婦は、3年間の移住生活を無駄だったとは考えていません。自然の近くで暮らした時間は確かに豊かでした。ただ、老後に必要なのは憧れだけではなく、毎日を無理なく続けられる環境でした。遠回りをしたからこそ、二人は自分たちに合う暮らしを見つけ直せたのです。