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 ◇W杯北中米大会決勝トーナメント1回戦 日本1―2ブラジル(2026年6月29日 ヒューストン)

 弱いから、負けた。

 まずは、そのことを認めようと思う。

 ブラジルは、強かった。データの上でも、内容から見ても、明らかに勝っていたのは彼らの方だった。時間の経過とともに、その差はより歴然としていった。

 言い訳や同情の余地はたっぷりとある。こちらは中3日で、ブラジルは中4日だった。向こうにはビニシウスがいて、こちらには三笘が、久保がいなかった。森保監督は彼らがいなくても戦えるチームを作り上げたが、しかし、それは彼らがいない方が強かった、というわけでは断じてない。三笘がいれば、久保がいれば、堂安と中村を下げたあとの戦い方は、間違いなく違ったものになっていた。

 だが、結果そのものは変わらなかっただろう。

 苦い現実をまず受け止めた上で、自分たちに足りない部分を徹底的に直視した上で、それでも、言っておきたい。

 これは、いい負けである。

 初めて決勝トーナメント進出を果たした02年、多くの日本人にとってトルコ戦は“ボーナス・ステージ”だった。10年のパラグアイ戦も、18年のベルギー戦も、そして4年前のクロアチア戦も、そこにあったのは“絶対に負けられない戦い”ではなかった。願望ではあっても、悲願ではなかった。

 今回は違った。

 相手はブラジルだった。これまで決勝トーナメントで戦ってきたのとは、歴史と次元が違う相手だった。にもかかわらず、森保監督は、選手は、ファンは、勝つつもりで決戦に臨んでいた。ブラジルの強さを認めつつも、いまの自分たちならばやれる、やってくれると信じていた。

 思いの強さは、負けた痛みの強さと比例する。だが、痛みの強さは、その後の跳躍力とも比例する。

 古くからのファンは思い出してほしい。ハンス・オフトが監督に就任するまで、日本人にとってのW杯は悲願どころか願望ですらなかった。それが選手にとっての絶対的なノルマとなり、ファンにとっての強烈な悲願となったのは、ドーハでの痛すぎる挫折があったから、だった。

 ドーハでの激痛があったから、ジョホールバルの歓喜があった。

 今大会に臨むにあたり、日本が掲げた目標は優勝だった。優勝するためには、1次リーグを突破するのはもちろんのこと、決勝トーナメントも勝ち進まなければならない。時に嘲笑されることもあった高すぎる目標は、結果的に、多くの日本人にとっての決勝トーナメントを“絶対に負けられない戦い”に変えた。

 この負けは、痛みは、だから、きっと次につながる。

 ブラジルは強かった。日本よりも明らかに強かった。選手の中には、凄(すさ)まじい痛みや悔いに苛(さいな)まれている者がいるかもしれない。

 だが、20年前のW杯ドイツ大会でブラジルに敗れた日本の選手たちは、悔しがることさえできなかった。後半に入るとGKを交代させるなど、およそ本気にはほど遠かったブラジルとの圧倒的な実力差に、多くの選手は呆然(ぼうぜん)とするしかなかった。

 強烈な痛みは、時に、未来の種にもなる。日本人は、そのことを知っている。

 ドーハから始まったアジアを勝ち抜く日本代表の物語は、すでに巻を重ねている。トルシエが紡いだ1次リーグを突破する物語も、いまや珍しいものではなくなった。

 26年6月29日のヒューストン。これからは、この日が、この地が、日本サッカーにとって新たな物語の出発点となる。

 W杯における、ドーハとなる。(スポーツライター)