【追悼】孫が綴る佐藤愛子さんの姿「葬儀は自宅で、ごく限られた人のみで行ってほしい、死んだことは極力秘密にしてほしいというのが祖母の遺言だった」
1950年に『青い果実』で作家デビュー、以来70年以上にわたり活躍を続けてきた佐藤愛子さんが2026年4月29日、老衰のため逝去されました。大正12(1923)年生まれ、享年104(満年齢102歳)でした。孫の杉山桃子さんがコミックとエッセイで家族からみた佐藤愛子さんの姿を描く『婦人公論』の連載「うちのばあさん102歳」。今回は発売中の本誌から、特別に記事を先行公開。特別編「百嫗(ひゃくおうな) 、逝く」です。
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百嫗(ひゃくおうな) 、逝く
ついに祖母が亡くなった。令和8年の昭和の日のことであった。前回の「うちのばあさん102歳」を書いた時にはピンシャンしていたものだから、「相変わらず元気です」などと書いてしまった。亡くなる時はあっという間だった。
亡くなる1週間ほど前に両親が祖母のもとを訪ねた時、祖母は一言も口を利かなかったらしい。椅子に座り、虚空を見つめ、呼びかけには応じず、何もない場所を指さしていたそうである。
母はずいぶんショックを受けた様子で帰ってきた。その時のことはまたの機会に書こうと思う。
「あんたも近々行っておいたほうがいいよ」
母にそう言われ、数日後に両親と祖母のもとを訪れた。
「食事が摂れなくなっています。咀嚼まではできても飲み込めなくて、吐き出してしまわれて……」
祖母のいる部屋に向かう途中、施設のスタッフの方にそう言われた。部屋に入ると、今まで嗅いだことのないにおいが充満していた。例えるならものすごく不味いお菓子のようなにおいである。
祖母はベッドの上に横たわったままだった。ああいよいよか、102年は長かったろうなと思いながら、私は祖母に話しかける母を眺めていた。
「おばあちゃん、娘の響子だよ、来たよ」
涙声で自分の母親を呼ぶ母を見て、この親子の共に過ごしてきた時間の濃さと長さを痛感した。一緒に来た父の顔を見ると、父も泣いていた。
祖母は呼吸をするのがしんどそうだった。肺が空気を吸い込み吐き出す音が、部屋の中で交互に響いていた。この肉体一つで戦争も借金も乗り越え、102年頑張ってきたのだ。丈夫な体だった。90を超えた頃に縁側から落ちても骨一つ折らず、昼寝をすれば回復した。その丈夫さが、読者を元気づけてきたのだろう。
祖母の努力呼吸は、わずかに残された肉体の力を肺から少しずつ吐き出しているようだった。そんな祖母の姿は、私の目には痛ましく映った。
今の祖母に地球の重力は重すぎる。早くその肉体を脱いで、これからは自分のためだけの時間を過ごしてほしい。それでもまだ、祖母は呼吸をやめなかった。
一分一秒でも長くこの世で呼吸を続けようとするのは、祖母の存在の源が強い好奇心だからなのだとも思った。祖母は死ぬその瞬間まで、余すことなくこの世を経験し尽くしたいのだろう。そう考えるのが一番祖母らしい在り方だと思った。
その日は家に帰ったのだが、翌日の夜、施設から電話がかかってきた。
「夜分遅くにすみません。バイタルが低下しているのでご連絡いたしました」
我々はすぐにタクシーで向かった。相変わらず祖母は荒い呼吸で、寝ているとも起きているともつかぬ様子だった。
「おばあちゃん……ママ……何も怖くないよ……おじいちゃんもおばあちゃんも迎えに来てるよ……あの世ではお迎えのお祝いをしてくれるよ、『お疲れ様』って」
ママと呼びかけられた祖母の目は虚ろだったが、一瞬だけ母を捉えた。母は祖母の手を握っていて、その時、力強く握り返していたらしい。親子の最後の、言葉のない会話だった。
夜中だったが、施設の方が気を利かせてCDプレーヤーを持ってきてくださった。祖母の耳に届いているかはわからないが、離れかかっている魂には届いていると思い、モーツァルトをかけた。祖母はモーツァルトが好きだった。
翌朝、祖母の呼吸が止まった。我々はいったん家に帰っていて、施設からの連絡で再度向かった。部屋に入ると、祖母は昨日の姿勢のまま静かに横たわっていた。
最期の願い
葬儀は自宅で、ごく限られた人のみで行ってほしい、死んだことは極力秘密にしてほしいというのが祖母の遺言だった。「自宅で密葬」というのは現代の東京の住宅街においては結構な難易度であるが、祖母の本当に最期の願いである。我々はその我儘に振り回されることにした。
葬儀の前日、納棺師の方が自宅に来られた。お風呂が好きだった祖母のために湯灌(ゆかん)をお願いした。
「お髪(ぐし)は遺族の皆様も洗って差し上げてください」
横たわる祖母の髪に指を通す。納棺師の方が用意してくださったお湯は適温だった。祖母がまだ自宅にいた頃、腕を頭の上に上げておくのがしんどいと言う祖母のために、頭を洗ってやっていたのだった。祖母の髪を洗うのは何年ぶりだろうか。102歳とは思えないほど祖母の髪は豊かで黒々としていた。
葬儀社の皆さんの手際は圧巻で、客間はみるみるうちに斎場と化した。祖母はいつもテレビを見ていたリビングで棺に納められ、周りは満開の白い花で飾られた。その夜、私と母は祖母の棺の横に布団を並べ、川の字で眠った。私は祖母の夢を見た。祖母は旅支度をしながら、
「この杖がねえ、助かるのよ」
と、先ほど納棺師の方に入れていただいた杖を振り回していた。
祖母の希望通り、自宅での葬儀はつつがなく進行していった。出棺に際し、喪主である母から挨拶があった。母があんなに泣き声で喋るのを初めて聞いた。母の声で参列者も涙した。それぞれの中に祖母がいる。祖母のために心を寄せてくれる人がいる。その事実にホッとして、私も涙を流した。

