『曖昧な弱者の時代』/伊藤昌亮・著

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【書評】『曖昧な弱者の時代』/伊藤昌亮・著/岩波新書/1012円

【評者】武田砂鉄(フリーライター)

 お前たちは弱者ではなく、自分たちが本当の弱者だと言い争うような構図が、日々、SNS空間に飛び交う。この本で問うのは、「社会的に公認された『明白な弱者』だけが『特別扱い』されるのは不公平だとして、『曖昧な弱者』が憤懣を抱き、『明白な弱者』に敵意を向ける」社会だ。女性よりも俺たちのほうが苦しい、外国人のほうが恵まれている、それなのにそういった人たちばかりを支援する連中は偽善だ、といった流れ。

 ひろゆき、山上徹也、石丸伸二、財務省解体デモ、参政党躍進など、章ごとに論じる対象を変える。共通する論点は、本当に得しているのは誰なのか、どうすれば自分の不遇が改善されるのかと悩む人たちに最適解を与える存在や集団。今、並べた人物・事象のうち、いくつかはもう見かけなくなった。この賞味期限の短さは一体何なのか。

「失われた30年」が、これから40年、50年と続いてしまうリスクを感じつつ、既存の枠組みを壊す動きに希望を見出すしかなくなる。政党にしろ、メディアにしろ、古くからあるものはダメだ、だからこっちだと新しそうなものに飛びついていく。そこには、本当にないがしろにされているのは、あなたたちなのですよ、と誘い出す動きがある。

 その結果、弱者同士のぶつかり合いが発生する。たとえば、参政党は「外国人という『明白な弱者』への敵意を煽ることで、日本人という『曖昧な弱者』の憤懣に訴え、その支持を得ることに成功した」。本来であれば、強者に対して訴えかけたり、改善を促したりすべきなのだが、弱者同士で潰し合ってしまう。

 安倍晋三元首相や現在の高市早苗首相が「日本を取り戻す」とのスローガンを繰り返してきたが、ずっと強い立場でいたはずの人たちが、挑戦者の立場を偽装する動きがある。結果、強者が放置されていないか。

※週刊ポスト2026年7月10日号