「たくさん歯がある」高齢者こそ油断大敵…特養老人ホーム研究で判明した「自分で歯磨き」の落とし穴
※本稿は、水口俊介『からだの「衰え」は口から』(ブルーバックス)の一部を再編集したものです。

■食事でむせるようになったら要注意
ここからは口腔機能との関係が特に深い誤嚥性肺炎について深掘りしてみたいと思います。1980年頃、肺炎は、高齢者の死因として脳血管障害、悪性新生物、心疾患に次いで第4位でした。
そして、当時は、要介護の高齢者の肺炎は「老人性肺炎」と呼ばれていました。90年代になると、老人性肺炎に関するさまざまな報告が出されます。たとえば、老人性肺炎を繰り返す患者は食塊を飲みこむ嚥下反射が低下しているという報告や、咳反射を亢進させるACE阻害薬(降圧剤の一種)を2年間投与することによって肺炎の罹患率は約3分の1に減少したという報告などです。
また、アイソトープ(同位元素)を老人性肺炎の患者の口腔内に塗布し、翌朝、肺の検査をしたところ、患者の70%で、口腔内のアイソトープが肺の中から検出されました。これは睡眠中の不顕性誤嚥がみられたということです。
健康な老人ではこの割合が10%であったという報告もありました。この誤嚥には、今登場した食物や唾液をきちんと食道だけに導き入れる嚥下反射や、間違えて気管に入った唾液を咳によって押し出す咳反射の低下が関係しています。
■肺炎の原因は「口の中の汚れ」
これまでの報告で、この2つの反射は、脳でドーパミンが放出され、その影響で生じるサブスタンスPという物質が咽頭や気管に放出されることで生じることが解明されています。
こうした一連の報告などから、老人性肺炎の原因は、脳血管障害によってドーパミンが少なくなり、嚥下反射や咳反射が低下し、口腔内の汚れが唾液とともに肺に入っていく不顕性誤嚥によるものではないか、と考えられるようになりました(図表1)。

そうだとすると、口の中をきれいにしておけば、たとえ不顕性誤嚥があったとしても肺に流入する細菌は減少し、肺炎を抑制できるのではないか、という考えが成り立ちます。そこで、米山武義先生らのグループは多施設における無作為化臨床研究を実施しました(※1)。
※1:米山武義, 吉田光由, 佐々木英忠, 橋本賢二, 三宅洋一郎, 向井美惠, 渡辺誠, 赤川安正. 要介護高齢者に対する口腔衛生の誤嚥性肺炎予防効果に関する研究. 日本歯科医学会誌. 20巻, 58-68 (2001).
特別養護老人ホームの入所者366名を2群に分け、介入群には介護者または看護師による毎食後の歯磨きと1%ポピドンヨードによる洗口、毎週1回の歯科医師・衛生士による歯ブラシや歯間ブラシなどによる専門的な口腔清掃を実施しました。
■歯のない人ほど専門的な口腔ケアは必要ない
対照群は、これまで通りの本人または介護者による口腔清掃にとどめました。その結果、研究開始時における両群の有意な差はありませんでしたが、介入群の2年後の発熱発生者数、肺炎発症者数、肺炎による死亡者数は有意に小さかったのです(図表2)。

この研究結果は1999年に有名な総合医学誌のLancetに掲載され(※2)、世界中で、病院や老人介護施設での口腔ケアの重要性が認識され、実施されるようになりました。この考え方は、重度の要介護高齢者だけでなく、急性期の脳血管障害患者や、これから大きな手術を受ける患者に適用され、脳卒中や手術後の予後の改善や入院期間の短縮、および患者のQOLの向上にも貢献したのです。
※2:Yoneyama, T., Yoshida, M., Matsui, T., Sasaki, H. Oral care and pneumonia. Oral Care Working Group. Lancet. 354, 515, doi:10.1016/s0140-6736(05)75550-1 (1999).
さらに、米山先生らの研究では、歯が残っている要介護高齢者と無歯顎の要介護高齢者の比較も報告しています。その結果、有歯顎者(歯がある人)では、口腔ケア群のほうが発熱発生者数、肺炎発症者数、肺炎による死亡者数が有意に少ないことがわかりました。

ところが、無歯顎者では有歯顎者ほどの著しい差はみられませんでした。その理由として、無歯顎者は装着している総義歯を外すと口の中はつるんとした歯のない土手状の歯肉があるだけなので、口腔ケアが実に簡単に行えるのです。
■歯みがきが脳の衰えをゆるやかにする
つまり、専門的な口腔ケアでなくても、ある程度、口の中をきれいにすることができたために、誤嚥性肺炎の発症を抑制できた、と考えられるのです。これに対して、歯のある口腔のケアは難しく、専門職の介入が望ましいということになります。
加えて、この研究では、口腔ケア群と対照群のADL(Activities of Daily Living、日常生活動作)とMMSE(Mini-Mental State Examination、認知機能検査)の変化も追跡していました。ADLに関しては、18カ月後に有意な差が出ましたが、24カ月後には元に戻っていました。
しかし、認知機能に関しては、有意に口腔ケア群で低下が抑制されたことが判明したのです(図表3)。実際、米山先生は介護の現場で、口腔ケアで介入すると患者の意識がはっきりしてくるということをよく経験されていたそうです。

この因果関係は明確ではありませんが、口腔領域への刺激が脳への良好な刺激となり、また、それはほかの体の部位より強い可能性があるということは、ホムンクルスの絵(図表4)からも想像できます。そして余談ですが、このようなことがあったそうです。

■世界の医療を変えた日本の老年歯科研究
米山先生がLancetにこの論文を投稿したとき、「これは非常に重要な研究だからほかのところには投稿するな」という返事がすぐに返ってきたそうです。通常、ピアレビュー、つまり掲載の可否を見極めるための専門家による査読のある雑誌ではこんなことはないと思うのですが、大変インパクトのある内容と受け止められたのでしょう。


思わず筆頭編集者はこのようなメールを送ったのではないかと推察します。ともかく、病院や老人介護施設での口腔ケアの重要性を示したこの研究は、多くの高齢者の命を救う非常に価値のあるものでした。日本の老年歯科にかかわる研究者は誇りに思い、このような研究をやりたい、と強く思ったものです。
この強いモチベーションは、日本を高齢者歯科に関する研究のトップランナーの地位に押し上げました。そして、この研究が発表された後、高齢者の口腔と全身との関係に関する多くの研究が日本から発信されました。オーラルフレイルや口腔機能低下症も日本発です。
これらの研究により、高齢者の口腔健康管理(口腔衛生管理と口腔機能管理)の重要性が世界に知られることになりました。
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水口 俊介(みなくち・しゅんすけ)
東京医科歯科大学(現東京科学大学)名誉教授
1958年、愛媛県生まれ。1983年、東京医科歯科大学(現・東京科学大学)歯学部卒業。1987年、同大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)。同大学助手、同大学大学院講師、助教授などを経て2008年、同大学大学院医歯学総合研究科全部床義歯補綴学分野教授、2013年、高齢者歯科学分野教授に就任。2020〜2021年には同大学歯学部附属病院長を務める。2024年より同大学名誉教授。歯科補綴学と高齢者歯科学を専門とし、デジタル技術を用いた全部床義歯(総入れ歯)の製作や高齢者の口腔機能についての研究を精力的に行う。日本老年歯科医学会理事長などを歴任。テレビ、ラジオなどのメディア出演も多数。
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(東京医科歯科大学(現東京科学大学)名誉教授 水口 俊介)
