「パパが亡くなる前『体が弱ってまで生かされるのは嫌だ』と…」梅宮アンナ(53)が語る、不思議な気持ちになった父の言葉
〈「胸が邪魔だったから、本当は両胸いらなかった」右胸を摘出した梅宮アンナ(53)が語る、胸が大きいことの弊害〉から続く
乳がん治療の苦しみを乗り越えた梅宮アンナさんには、過去に積み重ねてきた精神修行ともいえる体験があった。サハラ砂漠250キロマラソンへの挑戦や山岳トレイルレースが、辛かったがん治療にもいきたと語る。
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マラソンや筋トレを始めた理由
――治療を乗り越えられた背景には、体力的な土台があったと聞きました。
梅宮アンナ(以下、梅宮) あのサハラ砂漠の経験がなければ、抗がん剤には耐えられなかったと思います。元々運動をする習慣が全然なくて。このまま40歳を迎えたとき、運動をしていないと心も体も弱くなると思って筋トレやマラソンを始めました。
2010年頃には砂漠を1週間かけて250キロ走るレースにも参加しました。途中でリタイアはしましたが、それでも本当にハードな体験でした。
――治療を受ける上で、その経験はいきていますか。
梅宮 間違いなくあると思います。40代で全く運動していなかったらきっともっと辛かったんじゃないのかなって。治療が始まる前に先生から「治療は山登りと同じです」という説明を受けたんです。思うように上手くいかない日も途中で治療がストップすることもあったけど、「なんとかなる」と思えたのは自分の体力に自信があったからだと思いますね。

梅宮アンナさん
「ネガティブで、メソメソしていた」過去
――治療に対しては前向きだった梅宮さんですが、昔はネガティブだったとおっしゃっていますね。
梅宮 そうですね。SNSに悪口を書かれたら泣いていたし、仕事で嫌なことがあるとすぐ落ち込んでいました。でも、マラソンや筋トレって体だけじゃなく、精神面もかなり鍛えられるんです。
周りからは「なんでそんなのやってるの」と笑われたこともありましたが、一個ずつ山を登るたびに確かに強くなっていく自覚がありました。その積み重ねが、治療のつらさに向き合う力になったのだと思います。
「この治療でだめなら、それでいい」という境地
――治療中に「死ぬかもしれない」と思ったことはありましたか?
梅宮 先生に「治療しなかったら死んじゃうんですか」と聞いたことがあります。先生は「それは神様しか分からないけど、治そうという気持ちがあなたを救うと思いますよ」とおっしゃいました。その言葉がすっと入ってきて、腹が決まりました。
――死への恐怖はなかったのですか?
梅宮 パパが81歳で亡くなるとき、「体が弱ってまで生かされるのは嫌だ」とずっと言っていました。自分の足でどこにでも行けることが「生きている」ということだ、と。コロナ禍で周りがざわついていたとき、そんな父の言葉を思い出して、「みんな、こんなに命を大切にしていたっけ」と不思議な気持ちになったんです。
私自身、51歳でがんになって、「もしかしたら私の寿命はここまでかもしれない」と思いました。でもそれでも十分に幸せだったし、いろんなことを経験した。この治療でだめなら納得がいく、という境地に自然となれたんです。
写真=平松市聖/文藝春秋
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梅宮アンナさんの著書『フルコース』では、10日で入籍した“電撃再婚”の裏側や乳がん闘病、父・梅宮辰夫との“本当の関係”など、これまであまり深く語られることのなかった半生が赤裸々に綴られています。
(「文春オンライン」編集部)
