なぜ秀吉は黒田官兵衛の才を警戒し遠ざけたのか? 大河『豊臣兄弟!』が描く「無欲の半兵衛」との決定的な相違点

中津城の黒田官兵衛と光姫像(写真:gotoshoji/イメージマート)
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第21回「風雲!竹田城」では、秀吉と秀長が播磨の攻略にあたる。さらに秀長は総大将として但馬の竹田城攻めを任されることになり……。今回放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
毛利と織田の引っ張り合いが続く難所「播磨」をどう平定するか
同じ属性を持つ2人の歴史人物を対比させることで、タイプの違いが明確になり、それぞれのキャラクターを深掘りすることができる。今回の放送では、そんな対比がいくつか見られたように思う。
まずは、今回が初登場となった、倉悠貴演じる軍師の黒田官兵衛(くろだ かんべえ)だ。
毛利攻めの足掛かりとして播磨への出兵を信長に命じられた秀吉。弟の秀長とともに姫路城入りするが、播磨の平定はそうやすやすとはいくまい、と考えていたようだ。
ドラマでは、加藤清正と福島正則、そして石田三成と、のちに秀吉の重臣となる家臣たちの若き姿がみられた。どちらが髪を整えるかで2人の女性が三成を取り合うことに。左右に引っ張られるモテモテの三成を見ながら、清正と正則が悔しがる中、秀吉はこんなふうに播磨の状態を表現した。
「よう見よ、あれが今の播磨じゃ。我ら織田と西の大国・毛利との間に挟まれ、どちらにつくかで引っ張り合いが続いておる」
なにしろ播磨は、赤松氏や別所氏をはじめ、さまざまな国衆が入り乱れて、毛利派と織田派に分裂しているような有り様だ。調略を得意とした秀吉でも簡単にはいかなそうだが、頼りになる男が目の前に現れた。小寺官兵衛尉孝高、通称「黒田官兵衛」である。
官兵衛は、播磨に勢力を持っていた小寺政職(こでら まさもと)の重臣・黒田職隆(もとたか)の嫡男として、播磨国の姫路に生まれた。永禄10(1567)年、22歳で黒田家の家督を継ぎ、姫路城の城代を務めたが、秀吉に「姫路こそ中国攻めの本拠にふさわしい」と姫路城を献上したと伝えられる。
ドラマでは、秀吉と対面するや否や官兵衛が「今よりこの城は羽柴様に差し上げまする」と言い出した。皆があっけにとられる場面が描写されたが、驚くのはここからだった。
官兵衛はすでに赤松氏や別所氏にアプローチし、それぞれに対して「相手側がひそかに毛利とつながっている」と噂を流すことで、互いが焦って両者ともに「織田方に守ってもらうしかない」と考えるように仕向けたというのである。
秀吉を支えた2人の軍師、「速攻性の半兵衛」と「長期戦略の官兵衛」
そんな官兵衛が、軍師の竹中半兵衛(たけなか はんべえ)に対抗心を燃やすと、それに対して半兵衛が変顔で応じるという、ドラマでのシーンがSNSで話題となった。
2人とも秀吉のもとで活躍した軍師として知られている。「孫子」の兵法に通じて「戦わずして勝つ」という思想を持つ点でも共通している。だが、タイプはやや異なっていた。
半兵衛は「稲葉山城乗っ取り」において、「弟の見舞い」と称してわずか16人で入城すると、あっという間に城を占拠したと伝えられる。「速攻性と意外性」を武器に、「一手で局面を変える」ことができた半兵衛は、常に信長から結果を急がされた下積み時代の秀吉にとって、どれだけ頼りになったことだろうか。
対する官兵衛は、事前の情報収集と地形の読みに基づく長期戦略を得意とした。のちに備中高松城攻めで、官兵衛が秀吉に献策する「水攻め」は、当地の地勢を詳しく調べていたからこそのアイデアだった。
秀吉も出世するにつれて、信長からのミッションの難易度は上がり、腰を据えて難題にあたることも増えた。官兵衛の深謀遠慮が、秀吉を唸らせる場面がこれからの放送ではたびたび見られそうだ。
また半兵衛は乗っ取った稲葉山城をあっさり主君の斎藤龍興に返してしまったように、無欲で野心がみられなかった。今回の大河では「純粋な戦バカ」としての半兵衛を、菅田将暉が飄々と演じてハマり役となっている。
対する官兵衛は、のちの「関ヶ原の戦い」では、混乱に乗じて九州平定に乗り出したように、軍略家であると同時に野心家として語られることも多い。秀吉もそんな官兵衛の才を警戒して、徐々に遠ざけていったと伝わる。
秀吉からすれば、この2人の軍師をバランスよく采配したかったに違いないが、病弱な半兵衛はまもなく死期を迎える。
今回の放送でも、半兵衛の体調が芳しくない様子が描かれた。短い期間だけに貴重な「両兵衛」こと、竹中半兵衛と黒田官兵衛の共演を、次回放送では存分に楽しもうではないか。
秀吉と同じ「成り上がり者」だった荒木村重の胸中と漏らした本音
官兵衛の助力によって播磨平定に向けて動き出した秀吉だったが、こうも順調にいくと、前任者は複雑な気持ちを抱いたのではないだろうか。今回の放送では、こんなナレーションで状況説明がなされた。
「信長は秀吉に毛利攻めの足掛かりとして播磨への出兵を命じた。しかし、すでに播磨は2年前から荒木村重が調略を行い、地元の国衆を味方につけ、毛利攻めの足場を固めていた」
播磨を秀吉に引き継ぐことになった荒木村重の胸中はいかほどのものか。ドラマでは、村重自身の口から語られる場面がたびたびあった。
摂津高槻城城主の高山右近が「不承知でござりまする」と秀吉に拒否感を示すと、摂津茨木城城主の中川清秀も「これまで播磨の攻略を進めてきたのは、荒木殿でございます。それがなぜ、羽柴などという成り上がり者に横取りされねばならんのですか!」と怒り心頭だ。
だが、トータス松本演じる荒木村重は「成り上がりと言われたらわしもそう大して変わらんわ」となだめながら「悔しい思いはわしも同じじゃ。しかしここは耐えるほかあるまい」とし、こう続けた。
「まあ、まあ、まあ、まあ。誰が来ようと播磨はそうたやすくはいかん。お手並み拝見といこうではないか。わしと筑前(秀吉)、果たしてどちらが真の成り上がりか」
やはり思うところはあるのだろうか。しかし、妻の前では何度もご飯をおかわりしながら、村重は胸中を吐露している。
「正直、播磨やの備前やの任されてもどう思うようにいかず、いつ上様に叱られると思うともう恐ろしゅうて恐ろしゅうて。生きた心地がせんかったわ」
その後、村重は豊臣兄弟に官兵衛を紹介。前述したように、思いのほかうまく話が進むと、秀長はこっそりと村重に「兄者のこと、内心よく思っておられるんでは?」と声をかけた。だが、村重は「わしはそない小さな男ではないわ」と笑い、「お主も大変じゃの。まあせいぜいうまくやるこっちゃ」と秀長を激励さえしている。
果たして、どこまで本音なのかは分からない。自身で秀吉のことを「同じ成り上がり」としているように、これまでの歩みを思うと、村重もまた野心家であることに違いないからだ。
主君・織田信長を裏切り、謀反へと突き進んだ荒木村重の歩み
村重は天文4(1535)年、摂津の池田氏に仕える家臣の家に生まれた。若くして主君・池田勝正の先代にあたる池田長正の娘を妻に迎えており、一族に準じる信頼を得ていたとみられる。
ところが元亀元(1570)年、村重は勝正の弟・池田知正と組んで主君の池田勝正にクーデターを仕掛け、三好三人衆に寝返って勝正を追放した。表向きの当主は知正だったが、実権は村重が握っており、事実上の一人勝ちだった。
その後、信長が上洛すると、村重は信長に気に入られて織田家に仕える。天正元(1573)年に茨木城主となり、さらに地元の有力者・伊丹氏を倒して伊丹城(有岡城)主となった。播磨攻略や石山本願寺攻略にも従軍し、摂津37万石を任される重臣へと上り詰めている。
このあとの展開としては、合戦の最中に、秀吉軍に加わっていた村重は離脱。城に立てこもり信長に謀反を起こす。今回の放送では見られなかった村重の野心があらわになるのか。それとも、本当に野心がなかったにもかかわらず、信長の誤解によって追い詰められていくのか。
いずれにしても、似た境遇から身を起こした秀吉と村重だからこそ、この先の選択の違いがより鮮明に浮かび上がることになりそうだ。秀吉は逆境のたびに主君への忠誠を貫き、ピンチをチャンスに変えてきた。「金ヶ崎の退き口」でもそうだったし、今後の「本能寺の変」では、その逆境力が大いに発揮される。
一方の村重は追い詰められると妻子を捨てて逃げ、その後は茶人として生き延びる。己の非道ぶりは自覚しており、村重自身が「道糞(どうふん)」と名乗ったともいわれる。
村重の人間臭くてどうしようもない部分がどう演じられるのか。トータス松本の“怪演”に期待したい。
秀長が挑んだ竹田城攻めを「ほぼ無血開城」と脚色したワケ
黒田官兵衛の登場によって、ややお株を奪われそうな半兵衛だったが、しっかりと見せ場もあった。
播磨平定がスムーズにいきそうで「早う帰ってお褒めの言葉をいただくとするかのう」と浮かれる秀吉に対して、半兵衛は「このまま毛利が黙っているとは思えませぬ」とくぎを刺して、西方へ兵を進めるべしとした。
半兵衛の献策を受けいれた秀吉が西播磨へ向かう一方で、秀長は但馬・竹田城攻めの総大将を任される。ドラマでは「一滴の血も流さずに終わらせたい」という秀長の方針によって、水路を断つことで降伏させるという手段がとられた。
やがて城内の水が尽きかけると、衰弱する敵兵たちに秀長は降伏を呼びかけるが、竹田城の城主である太田垣輝延(おおたがき てるのぶ)は、悪あがきを見せる。
太田垣輝延を演じる中野英雄は、秀長を演じる仲野太賀の父であり、思わぬ親子共演も話題を呼んだ。ドラマでは、家臣の命を粗末にする輝延を、秀長が思わず殴って鼻血を出させてしまい、「無血開城」ならぬ「ほぼ無血開城」というユーモラスな展開となった。
だが、実際の竹田城攻めについては、よく分かっていない。『信長公記』にも〈羽柴秀長は短期間で但馬を平定し、太田垣に城を築いて、配下の兵を選んで各所に配備した〉と書かれているのみである。
よって「無血開城」を目指したというのは脚色ということになるが、やはりここにも「対比」があった。放送の終盤では、西へ進む秀吉の蛮行が、戦を終えた秀長に次のように知らされる。
「上月城の者は皆、斬首され女子供にいたるまで、はりつけ串刺しにされて、西との国境に晒されたと。それをお命じになったのは、羽柴筑前守様であると」
なるべく敵の死者を出さないようにする秀長と、厳しい態度に出た秀吉。ドラマで秀長の竹田城攻めを「無血開城を目指した」と脚色したのは、秀吉との対比のためだろう。
もっとも上月城攻めでの秀吉の暴虐ぶりを、秀長が見たわけではない。実際のところは次回放送で明かされそうだ。いずれにしても、天下人が近づくにつれて、秀吉と秀長の間で、戦に対する考え方で衝突する場面が出てくるはず。兄弟の対比に引き続き注目していきたい。
次回の「播磨大誤算」では、一度は播磨を手中に収めたかに見えた秀吉だったが、服属したはずの国衆たちが反旗を翻し、毛利や宇喜多も挙兵する。
【参考文献】
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『黒田官兵衛のすべて』(安藤英男編、KADOKAWA)
『シリーズ・実像に迫る10 荒木村重』(天野忠幸著、戎光祥出版)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)
筆者:真山 知幸
