「このバカ!」パワハラ被害の慰謝料は?

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秘書を罵倒した国会議員が訴えられ、世間からも厳しい批判を受けました。もし社内で同じ事が起きたら大変です。被害者の側にも問題があって、つい行き過ぎた発言になった場合、慰謝料の相場は5万円から20万円といいます。しかし、被害者に否がない場合、その額では済まないそうです――。

■ある日突然、「労基署に相談します」

労働問題を扱う弁護士をしていると、「3」という数字にナーバスになる。「3日」「3カ月」「3年」は社員が退職しやすい時期である。これまでの経験でもっとも驚いたのは,土木作業員の方が3日目でいきなり来なくなり、退職したというものだ。理由は筋肉痛だった。社長は理由を知って、完全に心が折れてしまった。

経営者は誰しも長期的に社員に勤務してほしいと願っている。短期間で退職されてしまうと、採用コストもムダに終わる。新人の離職は経営者の悩みのタネだが、とくに入社したばかりの時期は要注意だ。

多くの中小企業では、先輩が新人に仕事のやり方を教えることになる。いわゆる「OJT」というやり方だ。OJTは、実際の仕事から学ぶ方法なので一見すると効率的な印象を受ける。ただ、同時に構造的な問題点もある。それは、教える側の「教える能力」によって教わる側の成長が格段に違ってくるということだ。

ここで一つ、目を閉じて学生時代に戻ってほしい。人生の輝ける瞬間を思いだす方もいれば、若くして人生の渋みを味わった方もいらっしゃるだろう。学校教育ではたくさんのことを学ぶが、「教える」ということを学ぶ機会は皆無に等しい。

知識や技術を組織内で拡散していくためには、教えることが必要となる。それにもかかわらず、体系化された教え方というものを教わった経験がないわけだ。そのため教え方は、それぞれの社員のオリジナルなものになってしまい、レベルが異なってくる。

このレベルの相違が、ときに「パワハラ」という形で姿を現すことになる。私の経験からも言えることだが、できる社員ほど感覚的に仕事ができるようになる。頭ではなく身体で仕事をするということだ。これは、「言葉」で自分の仕事を表現できなくなることでもある。結果として、なかなか仕事を覚えない新人に対して「なぜできない」とイライラして語気も強くなってしまうことがある。

このような状況だと、ある日「上司からパワハラを受けました。労基署や弁護士に相談します。会社としてはどのように考えているのですか」と言われることになる。経営者も青天の霹靂で驚く羽目になる。パワハラの慰謝料は、加害行為の内容や被害の程度によって異なる。

■罵倒繰り返しで100万円弱、さらに高額の場合も……

個人的な相場観としては、「このアホ!」「カス!」など厳しい罵倒を繰り返していた場合として、100万円弱としている。加害行為によって被害者が精神的な疾患を発症した場合には、さらに高額になる。逆に被害者の態度にも問題があり、つい行き過ぎた発言になったという場合には、5万円から20万円といった金額で示談することが多い。

若い社員のパワハラ苦情は、本人からではなく親からなされることも少なくない。親としては、自分の子供のことだからということで積極的に関与してくるが、当事者ではないためにかえって交渉を混乱させることも少なくない。事情も正確に把握していないまま、感情論だけで話を展開させようとするからである。

パワハラと指導の分岐点がどこにあるかというのは難しい問題だ。訴訟でもパワハラなのか、あるいは行き過ぎた指導なのかが争われることが少なくない。そもそも「パワハラ」という言葉は広く知られるようになったが、具体的な定義をご存じだろうか。

厚生労働省のサイトでは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義されている。これだけを読んで、ある行動がパワハラかどうかわかるだろうか。少なくとも私にはよくわからない。

弁護士ですらわからないのだから、いわんや経営者の方にはなおさらわかりにくい。パワハラなのかどうかわからない事案については、最終的には司法の場で判断してもらうほかない。

ちなみに、部下が上司にPCの利用方法を教えず、精神的に追い詰めることなども「逆パワハラ」と呼ばれ問題になっている。パワハラは、上から下に対してなされるだけのものではない。これは厚生労働省の「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」においても指摘されている。

■パワハラかパワハラじゃないか、の境界線

 このようにパワハラの言葉の意味が曖昧だと「これはパワハラになるかもしれないから指摘することをやめておこう」という気持ちにまじめな人ほどなってしまう。実際のところ「これはパワハラになりますか」という相談は、とくに中間管理職の方から多くある。「上から発破をかけられ、下に気を遣い、中間管理職は大変だ」とつくづく感じる。

大半の相談は指導であってまったく問題がないものだ。むしろ現代の問題点は、あまりにもパワハラを意識しすぎてしまい、あるべき指導すらできなくなっていることにある。言葉が曖昧であるがゆえに萎縮してしまうという現象だ。然るべき指導がなされないと、新人も育たないし、組織自体が緊張感を失い弱くなってしまう。張りすぎた糸は切れてしまうが、緩すぎる糸では意味をなさない。組織も同じである。

私は、パワハラになるかどうかを、具体的な行動に対する批判か、それを超えて人格に対する批判かで判断するようにしている。例えば「A社に対する昨日の売上伝票の記載には誤記がある。間違った原因を整理して報告するように」というのは、具体的な行動に対するものであるから指導になる。これに対して、同じ事実でも「お前は何をやってもだめだな」というのは、具体的な事実を離れた人格批判に至っている。これではパワハラとの誹りを避けることはできないだろう。

このようなシンプルな判断基準でなければ、実務では役に立たない。難しい要素をいくらあげても現場で利用できなければ意味がない。このようなパワハラのリスクを整理したうえで、新人をどのようにフォローするべきか。「社長の参謀」としてポイントをお伝えする。ポイントは、(1)教える人(2)教え方(3)フィードバックの3点にある。

■ベテランが教えるのはリスキー

まず教える人は、ベテランではなく新人と年齢や経験が近い人がいい。ベテランになるほど仕事は効率的にできるが、教えることが上手とは限らない。むしろベテランであるがゆえに、新人として間違えやすい部分を忘れている。これが経験の浅い人であれば、間違えやすい部分の記憶も鮮明であるから教えやすい。また聞く方も年齢が近い方が聞きやすいというものだ。

脱線するが、中小企業では、「教える」ということがまったく評価されていない。教えることが人事評価の要素になっていないと、誰も真剣に教える気にならない。たとえば、後輩が育ったことが賞与における評価要素になるとわかれば、教えることにも前向きになるはずだ。

■“教え方マニュアル”のない会社は危ない

次のポイントは、教え方についてである。中小企業の問題は、人によって教え方にブレがあるということだ。このブレをできるだけ少なくすることが生産性を上げるうえで必要となる。その効果的な方法としては、社内でマニュアルを作成することだ。マニュアル作成は手間がかかるゆえに、必要とわかっていてもなかなか取り掛かることができないものだろう。作成を外注しても、なかなか納得できるものにはならない。

だが、マニュアルが整備されている会社とない会社では、新人の成長のレベルに格段の相違がでるのも事実だ。新人が一人前になって収益を生み出すまでには必然的に時間を要する。収益を生み出すまでの時間は、コストばかりかかることになる。収益力のある会社は、一人前になるまでの時間をいかに短縮させるかに執念を燃やしている。その道具としてマニュアルがあるわけだ。マニュアルとして立派なものである必要はない。私の顧問先では、技術について動画で撮影しているだけのところもある。要は相手に伝わればいいのだ。

■「話を聞いてくれる」だけでいい

最後のポイントは、フィードバックだ。フィードバックとは、簡単に表現すれば一対一の面談のことである。新人が悩みを聞く時間などを、週に15分でもいいので定期的に確保しておく。はっきりいって、新人は緊張して何も回答できないことが通常だ。それでもいい。「この会社は話を聞いてくれる機会がある」ということが伝わればいいからだ。愛情の反対は無関心。人は関心を持ってもらえているとわかれば、安心感を得る。

採用したあと、ここまで注意しないといけないのかと感じる経営者もいるだろう。だが、時代とは気がつかないうちに変わっているものだ。環境が変わったのであれば、自社も変わるほかない。採用後のフォローを充実させることは、採用における企業のブランディングにもなるはずだ。ぜひ、自社オリジナルのフォロー体制を構築していただきたい。

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しまだ・なおゆき 島田法律事務所代表弁護士。山口県下関市生まれ、京都大学法学部卒、山口県弁護士会所属。「経営者に寄り添う相談者」として弁護士の枠にとらわれることなく経営者に必要なサービスを提供している。基本姿勢は、訴訟に頼らないソフトな解決であり交渉によるスピード解決を目指す。これまで経営者側として労働事件に関与してきた実績は、残業代請求から団体交渉まで200件を超える。

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(島田法律事務所代表弁護士 島田 直行)