福島原発で救援活動を展開した中国人技術者3人が10日午後3時、長沙に凱旋、花束を抱えた同僚たちや長沙市民から熱く歓迎された。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。

 3月19日、東京電力から発注を受けた三一重工は、62メートルのアームを持つ、100万ドル相当のポンプ車を日本に無償で提供する意向を伝えた。ポンプ車の調整経験が豊富な同社の戴達安氏、周新安氏、彭延寿氏の3人が選ばれて日本に赴き、日本側の操縦士に操縦の仕方を指導するなどした。

 「日本派遣の知らせを受けた際、会社は身の安全を考え、私に意見を求めてきたが、すぐに同意した。ただ被災地の役に立ちたかった」という彭延寿氏。その後、技術者3人はそれぞれ上海、長沙、ベトナムの3カ所から直ちに出発し、3月21日、22日には東京に到着した。

 「当時、東京では余震が続き、まだ放射能に汚染される危険性があったため、外国人のほとんどは退避していた」振り返る周新安氏。しかし3人は千葉県で日本の作業員への研修を続けた。

 「研修時間が短かったため、ホテルに戻って休むのは夜中の12時過ぎだったが、翌朝5時には起床して仕事を続けた」と話す戴達安氏。研修と操作とチェックを繰り返し、2日後、日本の操縦士3人はポンプ車を基本的に運転できるようになった。

 3月27日12時45分、設備調整、陸・海上輸送、操縦士の研修、注水テストなど8日間に及ぶ作業を終え、62メートルのアームを持つポンプ車がようやく福島原発に到着した。3月31日12時、62メートルのアームを使ってポンプ車で福島原発1号機への注水が開始された。1回目の注水で原子炉の温度は下がった。

 三一重工からの支援と技術者3人の懸命な姿に日本側は感激でいっぱいだったという。4月1日、丹羽宇一郎・在中国日本大使は三一重工の梁穏根董事長にお礼の手紙を出し、日本政府を代表して感謝の意を伝えた。三一重工の国際支援は日本が初めてではない。2010年10月、「神州第一吊」と呼ばれる三一重工のキャタピラ・クレーンがチリの鉱山事故での救援活動で活躍した。(編集担当:米原裕子)



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