島袋寛子は俳優でも活躍(島袋寛子の公式Instagramより)

写真拡大

30周年の年に

 1990年代後半、日本の音楽界を席巻した女性4人組ダンス&ボーカルグループ・SPEEDが、今年8月5日でデビュー30周年を迎える。それを記念して、6月末にはオフィシャルのTikTokアカウントが開設された。過去のミュージックビデオや、ライブ映像を中心としたショート動画コンテンツを順次公開しているが、フォロワーは2万8500人(7月29日まで)にとどまっている。

【写真を見る】国会議員に転身した人もいれば、主だった活動のない人も「SPEED」メンバーは今

 メモリアルイヤーとはいうものの、メンバー4人のうち、現在も本格的に芸能活動を続けているのは、俳優としても活動する島袋寛子(42)のみ。島袋は各局の音楽番組に出演し、SPEEDの曲を歌ってはいるものの、単独での歌唱ではTikTokの視聴者層にSPEED本来の魅力は伝わらないようだ。

島袋寛子は俳優でも活躍(島袋寛子の公式Instagramより)

「SPEED以後、数多くのアイドルグループやダンス&ボーカルグループがブレークし、その後は、K-POPガールズグループが日本の音楽界を席巻しました。しかし、SPEEDのメンバーが日本の音楽界に“伝説”を打ち立てたという意見に、異論のある音楽業界関係者はいないはずです。それだけに、彼女たちの“その後”はあまりにも悲し過ぎました」(ベテラン芸能記者)

 SPEEDは、2018年9月に引退した安室奈美恵さん(48)や、昨年デビュー30周年を迎えた女性4人組ダンス&ボーカルグループ・MAXらと同じく沖縄の芸能スクール「沖縄アクターズスクール」に通うメンバーたちで結成されたグループ。だが、当初から4人組だったわけではなかった。

「もともとは8人組でデビューさせる予定でしたが、最終的にスクールが選んだ島袋さん、今井絵理子さん(42)、上原多香子さん(43)、最年長でリーダーを務めた新垣仁絵さん(45)の4人でデビューすることが決まりました。4人が憧れていた米女性R&Bグループ・TLCのような路線を打ち出すべく、売れっ子だった音楽プロデューサー・伊秩弘将氏(63)がプロデュースを担当し、1996年8月5日発売のシングルCD『Body & Soul』でデビューを果たしました」(同)

 メンバー4人は小・中学生で、平均年齢は13.5歳。にもかかわらず、ダンスとボーカルが絶妙にシンクロしたサウンドで、デビュー曲はいきなり80万枚のヒットを記録した。

 96年11月の2枚目シングル「STEADY」は150万枚、97年3月の3枚目「Go! Go! Heaven」は100万枚、97年8月の4枚目「Wake Me Up!」は89万枚を売り上げた。そして、最大のヒット曲となった97年10月のラブバラード「White Love」は200万枚、卒業シーズンの定番曲となった98年2月の「my graduation」は175万枚を記録する。そして、97年5月のファーストアルバム「Starting Over」は250万枚、98年4月のセカンドアルバム「RISE」は300万枚を売り上げる大ヒット作となった。

数々の伝説

 デビューした96年には声がかからなかったものの、97年と98年には2年連続でNHK・紅白歌合戦に出場し、トップバッターを務めた。しかし、その人気絶頂のさなか、早々と解散が決まってしまう。

「99年10月に開いた会見で、2000年3月31日での解散を発表しました。当時、旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に所属していた同年代のジャニーズJr.(現ジュニア)と島袋さんとの交際が理由とも囁かれた。ほかのメンバー3人も、超ハードスケジュールの日常に疲れ果てていたのか、解散に賛同。ラスト紅白となった99年の紅白は、前半の第1部の出演にもかかわらず、『my graduation』を披露し、第1部最高となる平均世帯視聴率55.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)を記録。第2部の世帯視聴率50.8%を上回りました」(同)

 シングルやアルバムの売り上げ、ラスト紅白での視聴率など、SPEEDは日本の音楽界に数々の金字塔を打ち立てた。解散当日は、テレビ朝日系の音楽番組「ミュージックステーション」に生出演、約20分にわたるファイナルライブを開催した。デビューから解散まで、シングル11枚、アルバム6枚、ミュージックビデオ4本をリリース。これらを合わせたトータルセールスは約3000万枚、約400億円にのぼった。

 解散後は2度の復活を経て、08年から13年まで3度目の再結成を果たしたものの、さすがにその間、新たなヒット作には恵まれなかった。

「3度も再結成を繰り返した背景には、所属事務所ライジングプロダクションの苦境も大きく関係しています。創業した平哲夫氏が2001年、法人税計約11億8600万円を脱税したとする法人税法違反の罪に問われ、2年4カ月の実刑判決を受けました。罰金などに加え、所属タレントや社員に高給を支払い続けたことが経営を圧迫し、不動産物件を続々と手放すことに。かつては観月ありささん(49)、安室さん、MAX、SPEED、DA PUMPで稼ぎましたが、その後はなかなか新たなスターに恵まれなかったのです」(同前)

 そして、SPEEDも予期せぬ“その後”を迎えることになる。

4人そろって……

 新垣はHITOE名義でソロ歌手として活動したほか、ヨガインストラクターやイラストレーターとしても活動していたが、13年4月に結婚を発表し、事務所を退所してしまった。

 上原は12年にヒップホップユニット・ET-KINGのTENNさんと結婚したが、2年後にTENNさんが自ら命を絶ってしまう。その後、一部メディアが上原の不倫を報じたことで、活動を自粛することに。18年には演出家と結婚して2児の母となり、美容家に転身したものの、23年に再び不倫疑惑を報じられ、表舞台からすっかり姿を消してしまった。

 そして今井は、15年に島袋と新ユニット「ERIHIRO」を結成したが、16年の参院選に比例区から出馬して初当選。22年の参院選で再選を果たした。プライベートでは04年5月にロックバンド・175RのSHOGO(46)と結婚し、同年10月に先天性難聴のハンデを抱えながら、現在はプロレスラーとして活動する長男・今井礼夢(21)を出産。07年9月に離婚し、親権を持った。

 立派に息子を育て上げたシングルマザーとして、世の女性たちから多大な共感を集め、支持されていたはずだったのだが、17年7月、当時神戸市議だった橋本健氏(46)との不倫疑惑を報じられ、好感度という言葉とは無縁の状況になってしまった。

「本来なら、長年支持してくれているファンのためにも、4人そろってステージに立てればよかった。ところが島袋さんが、早々と8月に東京、9月に大阪で、SPEEDの楽曲を中心にした自身の30周年記念ライブを開催すると発表しました。現状、新垣さんは表に出てきても問題ありませんが、本人にその気はなさそう。上原さんと今井さんは、何をやってもバッシングを浴びることが必至です。だからこそ、島袋さんが孤軍奮闘するしかないのですが、誰がこんなSPEEDの“その後”を思い描いたでしょうか」(芸能記者)

デイリー新潮編集部