【分析】サッカー界で燃え上がった世界的な対立、複雑な感情的反発の根源を読み解く

(CNN)「これは我らのゲームだ。彼らのゲームではない」
ユルゲン・クロップは、世界中にいる数百万人のファンの思いをそう代弁し、ドナルド・トランプ米大統領を非難した。そのときトランプ氏は、重要なワールドカップ(W杯)の試合に向けて、米国代表フォラリン・バログンの出場停止処分を覆そうと裏で糸を引いているように見えた。
今夏の北中米W杯終了後、クロップは新たにドイツ代表の監督に就任した。サッカーファンの心理に対する本人の洞察は、現在サッカー界を揺るがす新たな嵐を理解する最良の手がかりとなる。その嵐は、将来のW杯の事業を売却しようとする国際サッカー連盟(FIFA)の計画に端を発する。
計画が論争を巻き起こすことは、どのみち避けられなかっただろう。とりわけ米国、カナダ、メキシコで共同開催された素晴らしい今大会の熱気冷めやらぬ中で発表されたとなればなおさらだ。
しかし、その反発に拍車をかけたものがある。「トランプ要因」だ。
報道によれば計画にはトランプ氏の娘婿、ジャレッド・クシュナー氏の兄弟であるジョシュア・クシュナー氏が関与しているという。これにより、本来ならスポーツビジネスの領域だったこの話題は、大会中にトランプ氏が引き起こした騒動の再演へと様変わりした。
トランプ氏が計画に関与しているという確認は取れていない。またFIFAの計画自体にも違法性はない。それでも、この計画を受けて欧州諸国は30日、将来のW杯をボイコットする可能性を示唆した。北米のサッカー統括組織を含む他の世界的な競技連盟も、反対の姿勢を示している。
しかしサッカーファンは「トランプ要因」に絡む不信感に襲われている。バログン問題への介入のみならず、優勝したスペインを祝福するセレモニーへの乱入、そしてサッカー界の最高権力者ジャンニ・インファンティーノFIFA会長との蜜月関係といった前例が存在するからだ。インファンティーノ氏に至っては、トランプ氏へ史上初の「FIFA平和賞」を授与する異例の決定まで下した。
「彼らは一体どこまでやるつもりなのか?」。フランスのスポーツ紙レキップは今週、そんな見出しを一面に掲げた。そこにはトランプ氏、インファンティーノ氏、黄金に輝くW杯のトロフィーに、宙を舞うドル札を合成した写真が添えられた。
FIFAはこの構想によって、数百万ドル規模の資金が流入すると主張。米国の投資家からのものを含むこれらの資金があれば、草の根サッカーの発展が促進されるとしている。比較的貧しい国々、それこそ今大会でおとぎ話のような快進撃を見せたカボベルデのような国にとっては特に恩恵が大きいため、計画は欧州よりも、アフリカやアジアの新興サッカー地域で歓迎される可能性が高い。
FIFAは民間投資ファンドの出資を受ける別会社を設立し、大会の商業権および運営権を管理する計画だ。しかし欧州サッカー連盟(UEFA)は、この取り決めを道義に反すると非難。「次世代のために信託されているにすぎないもの」を売却する権利はFIFAにはないと主張している。
この対立は、サッカー界を世界規模の内戦へと引きずり込んだ。反対派は、新たな投資家たちが競技に影響力を及ぼす力を金で買うことに懸念を表明。4年に一度のW杯の開催頻度を増やして大会自体の価値を下げ、さらには金銭的利益を追求するために競技のルールまで変更しかねないと危惧している。UEFAによるボイコットは、来年の女子W杯に波及するだけでなく、次回の男子大会からスペイン、イタリア、フランス、ドイツ、イングランドといった強豪国を欠く事態を招く恐れもある。
サッカーの本場に今なお息づく価値観トランプ氏の欧州での不人気は、今さらニュースとして報じるまでもない。加えてインファンティーノ氏はますます傲慢(ごうまん)になっている。同氏は最近、直近のW杯について「人類がこれまで目にした中で最も偉大な人間的・社会的・文化的イベントだった」とまで宣言した。そこでは活版印刷の発明も、産業革命も、政治革命や宗教的覚醒も、二度の世界大戦も、ペニシリンの発見も、月面着陸も、まるで問題にならないかのように。しかし、インファンティーノ氏を毛嫌いする多くのファンも、必ずしも一貫しているわけではない。彼らは自分たちのクラブを所有する新興財閥や抑圧的な中東諸国が、巨額の資金を投じて最高の選手たちを獲得することについては、それほど気にしていないように見える。
ただこの反発は、トランプ氏やインファンティーノ氏への嫌悪だけでは説明できない。その根底には、より広く「ビューティフル・ゲーム(美しいゲーム)」そのものを愛するサポーターたちの心理や不安がある。それは政治やスポーツ、感情の面で一段と追い込まれつつある今の時代を反映する。金融資本の暴走が労働者階級のスポーツをグローバル化し、ごく一部の人々を莫大(ばくだい)な富で潤す一方、大多数は取り残されていく。
また、W杯を経た一部のサッカーファンの間には、FIFAがサッカーを「米国化」しようとしているという認識もある。しかもサッカーを作り変えようとするこうした圧力は、この競技だけに特有のものではなく、世界中の社会が直面しているのと同じ課題に他ならない。つまり新興財閥や強権的な政治指導者、そしてエリートたちが台頭する時代の課題だ。彼らは何百万人もの人々の運命を、本人たちの意思とは無関係に左右している。
おそらくクロップが言わんとしているのは、まさにこうしたことなのだろう。イングランド・プレミアリーグに所属するリバプールの監督だった頃、クロップは悲劇と感傷の歴史が深く刻まれたクラブを率いながら、サッカーにまつわる感情的な伝承や文化に並外れて鋭い感性を示してきた。そして今は、多くのサッカーファンの感覚に訴えかけている。「何か神聖なもの、本来自分たちのものである神聖な何かが奪われ、もう二度と元には戻らない」というその感覚に。それは多くのファンが心の中で思っていることを示唆している。なぜ富と権力を持つ者たちによって、ゲームのルールや伝統を踏みにじられなくてはならないのか。これほど多くの人々の人生にとって、その美しいゲームは不可欠のものであるにもかかわらず。
この感覚は、フットボールが持つ深い社会的・市民的な伝統を通して醸成されている。ローマ、マドリード、ブエノスアイレス、メキシコ市、マンチェスター、アテネ、グラスゴー、マルセイユ、ミュンヘンなどでは、フットボールクラブは地域性や文化、社会、さらには宗教的・国民的なアイデンティティーの柱となっている。それは階級への誇りや個人のアイデンティティーを表現する手段でもある。
「自分で応援するチームを選ぶのではない。チームに選ばれるのだ」という言い回しがある。ファンであることは世代から世代へと受け継がれる。ニック・ホーンビィは、フットボールサポーターとして生きることへの執着と苦悩を描いた1992年の名著「ぼくのプレミア・ライフ(原題:Fever Pitch)」の中で、サポーターのほとんどはクラブを選んだのではなく、ただ与えられただけなのだと書いている。米国でこれに近い例を挙げるなら、それぞれの都市の特質を体現し、地域固有のアイデンティティーを象徴する存在となっている南部の大学アメリカンフットボールチームかもしれない。
こうしたアイデンティティーの感覚は、欧州のフットボール文化の中心地ではごく当たり前のものだ。そこでは、何世代にもわたる歴史を持つスタジアムが労働者階級の住宅街を見下ろすようにそびえ立ち、拡大する格差を象徴する。高騰する選手の年俸と大規模な商業化によって、伝統的な観客層は競技から疎外されていく。
長年のファンの一部が今年のW杯に疎外感を覚えた理由今夏のW杯本大会は、財政面でもピッチ上でも大成功を収めた。海外から訪れた多くのファンは、自国の報道でトランプ氏や銃乱射事件のニュースばかりが目立つ米国とは異なる一面を体験した。
しかしこの大会は、世界中の熱心なファンの間に、自分たちが受け継いできたものが失われつつあるのではないかという不安も呼び起こした。その懸念は、FIFAによる大規模な資金調達契約によって再び高まっている。一見すると些細(ささい)なことに思えるが、例えば試合中の給水タイムにしてもそうだ。西半球の真夏の高温に対応するため導入されたというが、多くのファンはそれをコマーシャルの時間を増やすための口実だと見なした。サッカー本来の流れが断ち切られるその様子は、米プロフットボールNFLの断続的な試合展開を思わせた。
同様の不満は、スーパーボウル風のハーフタイムショーを行うためにW杯決勝のハーフタイムが延長された際にも巻き起こった。米国人にとっては、マドンナやシャキーラ、ジャスティン・ビーバーによるショーの方が魅力的に映るかもしれない。しかし欧州でハーフタイムと言えば、ファンがスタンド下でビールをあおり、あふれ返る男子トイレに列を作る時間だ。英国であればパイを買うのが定番だろう。生地の中に便宜上「肉」と称される何かがぎっしり詰まった、あのスタジアムの名物を。
フットボール界は、「(フットボールは)あくまでもファンのもの」という、どこか古風な考え方にしがみついている。この言い回しの様々なバリエーションがここ数日、多くの人々の口から聞かれる。英国の新首相アンディ・バーナム氏もその一人だ。エバートンのファンである同氏は、FIFAの提案を批判する中でこの考えを口にした。
それはある程度までは事実だ。サッカーの魅力は、サポーターによる部族的ともいえる応援文化によって、他に類を見ないほど豊かなものになっている。新型コロナウイルス流行中の、人気のないスタジアムに響く空虚な反響は、そのことを証明していた。しかし現実には、この競技は億万長者のクラブオーナー、巨額の報酬を得てピッチに立つ選手たち、そしてキックオフの時刻を決めるテレビ局によって支配されている。
それでも、ファンはいったん立ち上がれば大きな力を持つ。そのことは、2021年に欧州スーパーリーグ構想を打ち砕いた大衆的な反対運動によってはっきりと示された。この構想もまた、裕福な大物実業家たちが推し進めようとしていたものだった。
リバプールでのクロップの最も著名な前任者、ビル・シャンクリーはこう語っている。「フットボールは生きるか死ぬかの問題だと考える人がいるが、その姿勢には大いに失望させられる。断言するが、実際はそんなものではない。生き死になどよりもはるかに重要なのだ」
◇
本稿はCNNのスティーブン・コリンソン記者による分析記事です。
