「もうここにはいられない」83歳母、サ高住入居からわずか2週間。長男宅を電撃訪問→明かした“思いがけない本音”
高齢の親の一人暮らしに不安を感じ、見守りのある住まいへの転居を考える家族は少なくありません。しかし、安全性や利便性を重視して選んだ住まいでも、本人がすぐになじめるとは限りません。長く暮らした家を離れることは、生活環境だけでなく、それまでの日常そのものを手放すことでもあります。
「ここなら安心だから」家族で決めたサ高住への住み替え
土曜日の午後、雅也さん(仮名・56歳)の自宅のインターホンが鳴りました。
モニターに映っていた人物を見て、雅也さんは驚きました。母の節子さん(仮名・83歳)だったからです。
「どうしたの? 今日来るなんて聞いてないよ」
玄関を開けると、節子さんは小さなバッグを持ったまま、しばらく黙っていました。そして、口を開きました。
「お願いだから、家に帰らせて」
節子さんがサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)へ入居したのは、わずか2週間前のことでした。
夫を亡くしてから約10年、一人で戸建てに暮らしていましたが、前年に自宅で転倒。大きなけがには至らなかったものの、雅也さんと妹は一人暮らしを心配するようになりました。
さらに、スーパーまでは徒歩20分ほど。節子さん自身も「買い物がしんどくなった」と話していました。
そこで家族が探したのが、節子さんの自宅から車で30分ほどの場所にあるサ高住でした。
個室にはキッチンやトイレがあり、食事サービスも利用できます。何より家族が安心したのは、安否確認や生活相談のサービスがあることでした。
国土交通省・厚生労働省の「サービス付き高齢者向け住宅情報提供システム」によると、サ高住はバリアフリー構造など一定の基準を満たし、すべての入居者に安否確認と生活相談サービスを提供する高齢者向け住宅です。介護・医療・生活支援サービスについては住宅によって内容が異なります。
見学した際、節子さんも「きれいね」「食事を作らなくていいなら楽かも」と話していました。雅也さんは、それを「母も納得している」と受け取っていました。入居後に電話をした際も、「ご飯は食べてる」「職員さんも親切」と答えていたため、大きな問題はないと思っていたのです。
ところが、節子さんの受け止め方は違いました。
そのサ高住は比較的自立した入居者も多く、節子さんも自由に外出できました。この日は職員に外出を伝え、自分でタクシーを呼び、約40分かけて息子宅までやってきたのです。
「みんないい人なの。でも朝起きても、自分の家じゃないのよ」
2週間で見えてきた母の喪失感
雅也さんは節子さんをリビングへ通し、ゆっくり話を聞きました。節子さんが感じていたのは、設備や職員への不満ではありませんでした。
朝起きても、長年使っていた台所がない。庭に出ても、毎年花を咲かせていた植木がない。近所の人と玄関先で立ち話をすることもありません。
「何時に起きてもいいし、何をしてもいいの。でも、することがないのよ」
自宅にいたころは、洗濯物を干し、庭を掃き、近所のスーパーへ歩いていました。家族から見れば負担に思えた家事も、節子さんにとっては一日のリズムを作る大切な役割だったのです。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、高齢者が安心して暮らせる住環境の整備や、高齢者に適した住宅への住み替えを支援する施策が示されています。一方、住み替えでは住宅の設備だけでなく、地域とのつながりや本人の生活の継続性も無視できません。
「家に戻れば、また転ぶかもしれないだろ」
雅也さんがそう言うと、節子さんは少し黙ってから答えました。
「わかってる。でも、あの家で暮らしていた私は、まだちゃんと生活してたの。今はただ、ご飯が出てくるのを待ってるだけみたい」
雅也さんは返答できませんでした。結局、その日に自宅へ戻すことはしませんでした。
家族はサ高住の職員にも相談し、節子さん自身を交えて今後について話し合いました。まずは週に一度、雅也さんと一緒に元の自宅へ行き、庭の手入れや荷物の整理をすることにしました。
サ高住でも食事を毎回頼むのではなく、節子さんが簡単な朝食を自室で準備する日を設けました。住宅内の催しにも無理に参加させず、以前の知人と会う予定を優先することにしました。
「入れば安心だと思って、そこで話が終わっていたんです。母がそこでどうやって一日を過ごすのかまでは、考えていませんでした」
入居から数ヵ月。節子さんは今もサ高住で暮らしています。「帰りたい」と口にすることはありますが、以前の自宅へ完全に戻ることだけが答えだとは考えなくなったといいます。
高齢期の住み替えでは、安全性や介護への備えは重要です。しかし、本人が失うものにも目を向ける必要があります。
住み慣れた家から離れるとき、手放すのは建物だけではありません。毎日の習慣、人との付き合い、自分でできていた家事――そうしたものを新しい暮らしのなかでどう残していくのかまで考えることが、住み替え後の生活を支える一歩になるのでしょう。

