新宿・歌舞伎町では1万人近いホストが働いているとされる。『教養としての新宿・歌舞伎町 立ちんぼから半グレまで、裏社会の現在地』(朝日新書)を執筆した編集者の久田将義さんは「かつては店同士で殴り合いの喧嘩をするほど血気盛んなホストが多かった。しかし歌舞伎町を知るヤクザは『今のホストのほうがたちがわるい』と嘆いている」という。ノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。(第2回)
撮影=プレジデントオンライン編集部
歌舞伎町の名物と化したホストクラブの巨大な看板 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■数百メートル四方にホスト1万人がひしめく

――新刊『教養としての新宿・歌舞伎町』で、久田さんは歌舞伎町をホストの街、立ちんぼの街、トー横の街、インバウンドの街、酔客の街、ヤクザの街と表現されています。いつから歌舞伎町はホストの街になったのでしょう。

1970年代にホストクラブはいまの形式になったと言われています。かつてはお金持ちが上品に遊ぶ場でした。最近話題になった細木数子をモデルにしたドラマにも、ホストクラブが出てきますよね。

ぼくがはじめて歌舞伎町のホストを取材したのは2000年前後でした。その頃のホストは、地元で暴走族をやっていたような気が荒い若者たちが多かった。歌舞伎町にはホストのグループがあるのですが、店舗対店舗で殴り合いのケンカも珍しくありませんでした。ただ、一般的にはまだホストの街という印象はなかったかもしれません。

そもそもホストは、一般のウケが長年よくなかった。その印象が変わったのは2000年代からでしょう。タレント化してテレビなどでの露出が増え、ホストに憧れる若者が増えた。いまや、数百メートル四方の歌舞伎町に、6000人から1万人のホストが働いていると言われています。歌舞伎町でもっとも目立つ立て看板がホストクラブです。インバウンドや、歌舞伎町に足を運ぶ機会がない人からすれば、ホストの街と感じてもおかしくはありません。

本書を書くために取材をする前は、店同士が抗争を繰り返していた時代に比べ、大人しくなっているのではないかと考えていました。しかし歌舞伎町に詳しいヤクザは、いまのホストのほうがタチが悪いと嘆いていました。

タチが悪くなった原因が、「売り掛けシステム」です。

■コロナ禍で若者が歌舞伎町に流れ込んだ

簡単に説明すると、売り掛けとはツケ払いです。ホストはツケが貯まって払えなくなった女性を風俗店やAV業者に紹介する。紹介したホストはスカウトバック(報酬)を得つつ、彼女たちが身体を売って稼いだ金を店で使わせてツケを回収する……。

悪質ホスト問題として、売り掛けは国会でも取り上げられました。社会問題化した結果、悪質ホスト=歌舞伎町というイメージが定着したのではないかと思います。

業界団体「一般社団法人日本ホストクラブ健全化推進協議会」の理事長で元ホストの北条雄一さんは「景気が悪いうえに、コロナで皆、職がなくなって不安になって売春に走ったというのが、ホストが問題化した遠因でしょう」と指摘していました。

コロナ禍で仕事を失ったり、内定を取り消されたりした若い男性が歌舞伎町に流れてきました。一方で風俗で働いていた女性は客が減り、パパ活をしたり、立ちんぼになったりした。売春によって溜まったストレスのはけ口として、ホストクラブに通うという不幸な連鎖が生まれたわけです。

当然、売り掛けシステムの是正や、買う側の取り締まりも必要です。同時に、ぼくはこの不幸な連鎖を生んだのは、政府の経済政策の失敗だと考えています。

■伝統的な不良とトー横キッズの決定的違い

――この5年ほどで、トー横キッズがホストや立ちんぼと並ぶ“歌舞伎町の名物”になりました。これもやはり経済の低迷と関連しているのでしょうか。

北条さんは、コロナ禍で、家にいるようになった父親と母親がケンカばかりして居場所を失った若者がトー横に溜まるようになったと話していました。もちろんそうした面はあるでしょう。

不良少年を語る上でポイントとなるのが、「溜まる」というキーワードです。

たとえば、1990年代の横浜には横浜CIALという駅ビルの下に「シャル下」と呼ばれる若者が溜まっていました。同時期に、渋谷センター街に溜まっていたのが「チーマー」です。彼らのような不良少年は地元を大切にするという行動様式を持ち、地元に溜まります。

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TOHOシネマズ新宿横の植え込みがトー横キッズ発祥の地と目されている - 撮影=プレジデントオンライン編集部

雑誌「実話ナックルズ」の編集者だった頃、ぼくは暴走族や不良少年のチームを取材してきました。取材で重視したのが、初代のリーダーが誰かを突き止めること。写真などで確認し、複数人の証言を取り、真実に相当するという根拠を得てから記事化していました。

地元に根を張る暴走族やギャングなどは数十年経ってもOB同士の結びつきが強い。その分、証言を取ることができますし、歴史が明確になっているケースが多かった。

対して、トー横キッズは、いつの間にか存在していた集団、あるいは自然に発生した現象といえます。新宿東宝ビルの周辺を歩き、「トー横」発祥の地について複数人から聞いて突き止めましたが、本当にそこが「発祥の地」かどうか、確証は得られませんでした。

でもそもそも、この場所で溜まっていた若者は昭和の時代からいたので今さら「トー横」と騒ぐ必要もないのですけれどね。「トー横」という名称がついただけで、「行き場のなくなった人たちの集まり」であることに変わりありません。

■ホストやキャバ嬢とは正反対の身なり

「シャル下」や「チーマー」が1軍の不良少年のチームだとすると、トー横キッズは3軍、4軍。加えて、組織化されていません。ただ溜まっているだけの老若男女というのが、実態にもっとも近い。それはトー横だけではなく、大阪の「グリ下(グリコ看板の下)」も横浜の「ビブ横(ビブレの横)」も同じです。

観察していて面白いことに気づきました。それは、トー横キッズの装いは歌舞伎町の中心的な存在であるホストやキャバ嬢のような華美な身なりとは正反対だということ。激安店で買ったようなジャージを身につけ、何日も着続けているのか、どれもくたびれて見えました。あとは、ドン・キホーテなどで安価で買えるからか、カルバン・クラインのTシャツを着ている若者も目につきました。

■“シゴデキ”という言葉が象徴するもの

――かつて歌舞伎町にトー横キッズのような存在はいなかったのですか?

久田将義『教養としての新宿・歌舞伎町 立ちんぼから半グレまで、裏社会の現在地』(朝日新書)

ぼくは中学・高校時代に新宿駅で毎日乗り換えていたので、よく新宿では遊びました。ただ歌舞伎町にはあまり近寄らなかった。上下赤や黄色のスーツの人が歩いていて、歌舞伎町に入った途端に空気が変わる感じがしたからです。その頃――1980年代の歌舞伎町では「少年ヤクザ」という10代のヤクザが幅を利かせていました。

当時といまの歌舞伎町を比べて改めて感じるのが、裏社会だけではなく、街自体がプロからアマチュアに変わったということ。かつては高級クラブや高級キャバレーがありましたが、不景気とコロナ禍のせいでプロが営んでいた老舗が姿を消して、大学生のような、昔の人に言わせればプロっぽくない若者たちが接客するキャバクラやコンカフェ、ホストクラブばかりになってしまいました。

最近、ホストやキャバ嬢の間で「シゴデキ」という言葉がはやっているでしょう。アマチュアだからこそ、仕事ができる人がもてはやされる。歌舞伎町だけではなく、日本各地の繁華街――いえ、日本全体のアマチュア化をあらわす言葉のような気がしています。

■「つまらない街になった」という人もいるが…

――久田さん自身はいまの歌舞伎町をどう感じているのでしょうか。

街の空気を形づくるのは、その街に暮らし、働く人です。人が変われば、街が変わります。とくに入れ替わり激しい歌舞伎町はなおさらです。

ぼくにとって歌舞伎町は海に似ています。泳ぎは得意なのですが、海が怖いんですよ。泳いでいるとき、下にサメがいておそわれるんじゃないかとドキドキしてしまって(苦笑)。

撮影=プレジデントオンライン編集部
著者の久田将義さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

歌舞伎町には、海と同じ感覚があります。ふつうに働く人や学生もたくさんいますが、立ちんぼ、トー横キッズ、ホスト、ヤクザもいる雑多な街です。あの街には、どんな人がいて、何が起きるかわからない。そんなドキドキ感が歌舞伎町の魅力です。しかも人の入れ替わりが激しいので、いつも新たな刺激がある。

1998年頃にムック『実録不夜城』をつくった際、歌舞伎町を取材しているときに全共闘世代の人が「最近の歌舞伎町はつまらなくなった」と話していました。それから30年近く経ったいまも、「歌舞伎町が面白くなくなった」と語る人がいます。そんな言葉を耳にすると思うんです。それは野暮だな、と。

トー横キッズがなぜ歌舞伎町に溜まるのか。なぜ、ホストや立ちんぼが歌舞伎町にたくさんいるのか。それは、歌舞伎町が面白いからです。

歌舞伎町には、人を引き寄せる強い磁場があります。磁場に引き寄せられた人たちが街を形づくっていく。だからこそ、街は生き物のように変わっていきます。街の変化についていけずに、新たな歌舞伎町に面白さを感じなくなってしまう人もいるのかもしれません。でも、その変化こそが、ぼくにとって歌舞伎町の面白さなのです。

それと、この街の裏の主人公であるヤクザの視点がなければこの街の真実はわかりませんが、彼らの声は暴排条例後、みなさんの元に届くことはなかなかなくなってしまいました。『教養としての新宿・歌舞伎町』では、10時間くらいかけて彼らにインタビューしました。こういった声なき声を届けるのも僕らの役割だと思いますし、歌舞伎町の現在地が彼らの証言によってわかると思います。

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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)などがある。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)。
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久田 将義(ひさだ・まさよし)
編集者
1967年、東京都世田谷生まれ。明大中野高校ではラグビー部に所属。法政大学卒業。マーケティング会社を経て三才ブックス、ワニマガジン社、ミリオン出版(現・大洋図書)、月刊「選択」、「週刊朝日」などに在籍。月刊「実話ナックルズ」編集長などを経てニュースサイト「TABLO」編集長。
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(ノンフィクションライター 山川 徹、編集者 久田 将義)