かつては「風俗・ギャンブル・工場」でにぎわった街が大変貌…川崎はなぜ「住みたい街」になったのか

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3つのキーワードが揃う街

20年ほど前に「男が好きな街、女が好きな街」をテーマにした書籍の企画で数十人の女性に「嫌いな街」の要素について取材したことがある。その時に出てきたキーワードは3つ。風俗、ギャンブル、工場である。

その当時は今よりも男性は防犯を意識しておらず、女性は逆に今以上に気にしており、その結果として敬遠されたのが風俗、ギャンブル、工場のある街ということだった。その結果をまとめながら担当編集者と話したのが、「これ、まんま、川崎やん」ということ。

もちろん、こうした要件に当てはまる街は川崎以外にも多数ある。工場に関しては、工場の多い街は同時に男性人口が多いことがあり、その結果として風俗、ギャンブルが多くなりがちと考えれば分かりやすいだろう。

しかし、たまたま私とその時の担当編集者にとってはこの3拍子が揃う街として最初に思いついたのが川崎だったのである。

そして、実際、人口の男女比を見ると、日本全体では男性が48.6%、女性が51.4%で、女性のほうが多い。女性100人に対する男性の数を示す「人口性比」は94.5となっている(2025年国勢調査人口速報集計)。一方、川崎市ではこれが逆転する。

男性の割合が多く、人口性比は101.3%(2025年版「川崎市統計データブック」)。川崎は今でもわずかながら男性が多い街なのである。

ちなみに川崎市内でもっとも男性比率が高いのは工場エリアを広範に抱える川崎区の117.2で、一番女性が多い麻生区では92.9(2025年版「川崎市統計データブック」)とかなりの幅がある。

しかしながら性比は女性人口が増加、徐々に低下する傾向にあり、川崎市の人口性比も年々変化している。いずれ男性の多い街は無くなっていくのだろう。

だが、現在でも男性が多少多いことは変わらないとしても川崎のイメージは大きく変わった。

2025年の不動産ポータルのLIFULL HOME'S「借りて住みたい街ランキング」神奈川県版では、川崎が2位、武蔵小杉が3位に入った。

いまや川崎と聞いたら「風俗、ギャンブル」より「ラゾーナ川崎プラザ、川崎フロンターレ、武蔵小杉のタワマン街」などをイメージする人のほうが多いのではなかろうか。

この背景にはさまざまな要因が絡むが、ここでは風俗、ギャンブル、工場の3点だけに絞って変化を考えていこう。

クリーン化が進み、規模は縮小傾向

まずは風俗。川崎駅東口側には堀之内、南町に女性のいる街があるのだが、1987年に駅東口のイメージを大きく変える施設が誕生した。シネコンの先駆けとなるチネチッタである。

さらに2002年には複合商業施設ラ チッタデッラが誕生し、若者やファミリー、女性が訪れるようになったのだが、この施設があるのが駅と南町の間。どちらかといえばこっそり行きたい場所の手前に明るいイタリア風の街ができてしまったのである。

行きにくくなってしまった上に行政や警察、地域はこれを機に風俗店や違法営業店舗を摘発、クリーンな街づくりをしようと力を入れた。これまでにない街の誕生にはメディアも飛びつき、川崎の街のイメージは明るく、健康的なものに大きく上書きされた。

結果、今でも南町にはソープ店、ストリップ劇場その他点在してはいるものの、店舗数、エリアはだいぶ縮小している。

もう一方の堀之内でも2009年に大規模な摘発があったものの、最近までは関東では吉原に次ぐ規模のお風呂屋さん街として名を馳せてきた。

しかし、ここのところへ来てお風呂屋さんの閉店が続いている。これからの時代、お風呂屋さんは新規に開業できないのはご存知の通り。

となると、今後は風景が変わっていくかもしれない。残念と思う人もいるかもしれないが、これも時代の趨勢ということであろう。

女性客の誘致にも注力

続いてはギャンブル。これについては1990年前後からのイメージ戦略が大きな効果を上げたといえる。バブル期、JRAはギャンブルからの脱皮、広く親しまれるレジャー化を模索、施設の近代化、女性客の誘致に注力を始めたのだ。

2012年からは本格的に女性向けのプロジェクト「UMAJO」を開始。競馬をしなくても楽しめる空間作りが一般化しており、川崎競馬場でも2016年に老朽化した観覧席の一部を解体、マーケットスクエア川崎イーストなる商業施設を建築した。

スーパーからファストフード、クリーニング店、子ども向けの語学教室などの入った施設がギャンブルのイメージを変え、競馬場への心理的な障壁を下げたのは間違いない。

競馬場ほどではないものの、隣接する川崎競輪場も子ども向けに「川崎競輪夏祭り」を開催したり、スケートボードやBMXが楽しめるKAWASAKI KEIRIN PARKやミュージックライブ等が開催される西ステージを設けたりするなどで来場者層を変えようとしてきた。その努力がおおいに功を奏したのである。

工場跡地に大型商業施設

そして最後に工場。かつては「嫌われ者」の側面もあった工場だが、実は川崎のイメージを大きく変えたのも工場である。川崎のイメージを変えたもっとも大きな要因は工場が移転、そこが住宅や商業施設に代わったという直接的なものだからだ。

たとえばラゾーナ川崎プラザは2000年に閉鎖された東芝川崎事業所(旧堀川工場)の跡地に建設されたもので、かつての川崎駅西口は駅前に大きな工場があるだけの寂しい場所だった。

だが、2006年のラゾーナ川崎プラザのオープンで川崎駅を訪れる人の流れは大きく変わり、街のイメージも大転換を遂げた。多くの人は駅前の風景から街全体を想起するものであり、その意味では駅前に大型商業施設、タワーマンションが生まれたことは大きい。

西口側ではそれ以外にもシンフォニーホールのあるミューザ川崎が国鉄(現JR)の変電所などがあった鉄道用地だったし、オフィス、商業施設などが入ったソリッドスクエアは明治製菓工場跡地である。少し離れた東京製綱(旧:日東製綱)川崎工場の跡は神奈川県と川崎市の共同事業で約3,500戸規模の巨大集合住宅・河原町団地になっている。

後編記事『武蔵小杉のタワマンだけではない…「工場の街・川崎」が秘める”意外な将来性”』に続く。

【つづきを読む】武蔵小杉のタワマンだけではない…「工場の街・川崎」が秘める”意外な将来性”