雄乃ゆめさん

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「元女性の男性戸籍。訳あって女に戻った現役セクシー女優」。
今年3月、衝撃的なキャッチコピーの作品で大きな話題を呼んだセクシー女優・雄乃ゆめさん。

前回は、男性として生きることを選んだ高校・大学時代や、「男性」「女性」という枠組みでは語り尽くせない自身の性自認について語ってくれた。今回は、男性ホルモン治療による体の変化や、トランス男性として過ごした「地獄」と振り返る日々、そこから自分自身を受け入れるまでの過程をさらに深く掘り下げる。そして看護師を経てセクシー女優という天職にたどり着いた理由、同じ悩みを抱える人たちへのメッセージまで、自らの人生を包み隠さず語ってくれた。(記事は全2回の2回目)

◆初潮の知識はあっても対処法は知らず

――月経はどうなりましたか?

雄乃:男性ホルモンを打つと月経は止まります。

――月経に関して子どもの頃はどう思っていましたか?

雄乃:母から月経のことは教えてもらっていたんですが、小学3年生のときに両親が離婚をしたので、実際に初めて月経が来たときには母がそばにいなかったんです。月経という現象自体は知っていたものの、実際の対処法についてはまったく知識がありませんでした。そのため、スカートを血まみれにしてしまうこともよくありましたし、生理用ナプキンの正しい使い方もわからなくて、下半身が血まみれのまま過ごしていたこともありました。

――心は男性なのに月経がくることへの嫌悪感はありましたか?

雄乃:私の場合は生理痛がなかったこともあって、そこまで強い嫌悪感は感じておらず「男性になるにあたって不便だな」と思っているくらいでした。でも、男性ホルモンを打てば止まるんですよ。だから、月経は困難じゃなかった気がします。それより体に対する嫌悪感があって、胸オペをしたい気持ちの方が強かったです。

――第二次性徴を迎えて胸が大きくなったときはどうでしたか?

雄乃:胸の膨らみを小さくするためのシャツ(ナベシャツ)を着ていました。でもそれを買ったのも高校でバイトを始めてからです。中学生の頃はそのままでした。スポブラを買ったのも、おばあちゃんが乳首が出ているのに気づいて買ってくれたくらい遅くて、何事も対応が遅かったんですよね。

――自分でブラジャーをつけようとしなかったのですか?

雄乃:知識がなかったんです。それに私の胸があまり大きくなかったんです。でも、男性器があるように見える、股間を膨らませるものがあるんですけど、大学生の頃はそれを付けていました。看護大学時代は戸籍名も変更して男性ホルモンも打っていたので、カミングアウトせずに男子生徒として生活していたんです。カミングアウトしないで、バレてはいけないという状況下がすごいストレスでした。

――どうしてカミングアウトしなかったんですか?

雄乃:男性として生きていくと決めていたので、あえて言わなくてもいいかなと思っていたんです。あと狭い地域で進学したので、高校の繋がりなどから、私が元々女性だったことは多分どこからかバレていたとは思うんです。のちのち、身近な人には伝えたり、直接のカミングアウトはしなくても、性に違和感がある当事者の会を開いていたし、大学4年間同じクラスメイトなので、みんなには知られることになりました。それに隠すことに耐えられなかったこともあります。

◆高校・大学時代は「地獄でしたね」「私は一体何者なんだ」

――トランス男性として生き始めた高校、大学生活はどうでしたか?

雄乃:地獄でしたね。男性へと移り変わる時期でもあったので、事務手続き諸々と、その頃が一番大変でした。他者に受け入れてもらえるのかという不安もありましたし、自分自身を受け入れるという自己受容の葛藤もありました。その二つの間で揺れ動いている時期なので、本当に苦しかったです。それに、私は性に関してすごく寛容だったので、ほかのトランスジェンダーの人たちと比べても、自分はすごく異質なんじゃないかと思っていたんです。「自分は嘘をついているんじゃないか」と疑心暗鬼になることもありましたし、当時は知識もなかったので、本当に苦しかったです。それに、周囲には理解してもらいやすいように「男として生きています」と、わかりやすく説明していました。でも、本当の自分はそれだけでは表現しきれなかったので、言葉にできないもどかしさがありました。「私は一体何者なんだ」と自問し続けていた、まさにモラトリアムの時代でしたね。