「井川を獲る。作業しておけ」名スカウトがいまだから語る「阪神・井川」誕生秘話

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2位以下に大差をつけて優勝した2003年の阪神。ファンは1985年以来となる18年ぶりの歓喜に酔いしれ、観客動員数は球団史上初めて300万人を超える盛り上がりを見せた。

そんなチームの中心にいたのが20勝を挙げ、MVPにも選ばれたエースの井川慶。水戸商業時代は早くから脚光を浴びていたわけではなかったが、衝撃的なピッチングを見せた3年生の春から争奪戦に発展。

最後まで食い下がった日本ハムの名スカウトとの、両親をも巻き込んだ熾烈なせめぎ合いを担当スカウトだった菊地敏幸氏が回想する。

平安・川口とは比較しようとも思わなかった

井川を初めて視察に行くきっかけも、親しい球界関係者からの情報提供でした。私はこの年から茨城県も担当することになりましたが、正直、井川のことはよく知りませんでした。

このころの私はスカウトの人手不足もあり、高校生は北海道から東北、関東地区など東日本の多くを担当していて、正直、すべてをカバーする自信はありませんでした。上司にも「これは無理です。自分が気に入った選手はなるべく追いかけますけど、見落としも出てきますよ」と話していました。

そうした状況下で「水戸商にいいピッチャーがいる」との話をもらい、半信半疑で向かったのが、井川が3年生になった春の茨城県大会が行われていた笠間球場でした。

驚きました。まさに、圧巻。185センチの大きな体をさらに大きく見せるかのように堂々とマウンドに上がり、馬力があってとにかく重そうなストレートがズドーンとキャッチャーのミットを押し込む。相手の竜ヶ崎第一高校のバッターたちは手も足も出ない。7回コールド勝ちによる参考記録ながらパーフェクトピッチング。奪った三振も10者連続を含む18個。

そのひと月前に行われた選抜高校野球大会ではベスト8に勝ち進んだ平安高校(現・龍谷大平安高校)の左腕エース・川口知哉が好投を重ねて注目を集めていましたが、比較しようとも思いませんでした。

投げられなくても「井川で行く」

〈絶対に井川の方が上だ〉

その試合を機にスケジュールをやり繰りして井川詣を始めました。この1997年のドラフト戦線は4球団から1位指名されることになる川口以外に、慶応大学の高橋由伸や明治大学の川上憲伸ら即戦力になり得る逸材にも熱い視線が注がれていました。

私も高橋の担当でしたが、後藤寿彦監督に探りを入れると本人の希望は関東の球団。マークは続けましたが旗色は悪かった。4位で指名することになる東芝の坪井智哉やヤクルトが2位で獲る千葉・敬愛学園の五十嵐亮太も担当していましたが、私の中では一にも二にも井川でした。

そのくらいインパクトが強かった。水戸商は県2位で関東大会に駒を進め、井川は初戦となる2回戦で選抜にも出場した國學院栃木を相手に1失点完投。しかし、本人は満足のいく投球ができなかったと話しています。そして、それを最後に井川は練習試合でも登板しなくなり、練習を見に行っても満足に球を放れない状態になっていました。何度か足を運びましたが井川をチェックしに行くというより、橋本実監督と話をしに行っているような感じでした。ただ、その会話の中で阪神が大きなアドバンテージを持っていることが発覚するのです。

県大会決勝のグラウンドへ

実は当時の阪神の末永正昭チーフスカウトと橋本監督が中央大学野球部の同期だったのです。互いに相手の立場を把握していなかったのですが、それを知って3人で食事に行ったり、スナックでカラオケに興じたり、橋本監督にはフランクに付き合っていただきました。

ほかの球団のスカウトの間では「井川は体育で怪我をしてもう野球ができないかもしれないらしい」といった怪情報もまことしやかに流れていたそうですが、橋本監督からは県大会の準決勝で痛めた腰の状態がよくならないと教えてもらっていました。

最後の夏の大会が迫ってきても、井川の状態は上がってきませんでした。他球団は評価を下げていったかもしれません。

大会の幕が開けても井川はなかなか投げない。ただ、橋本監督からは「決勝まで勝ち進んだら井川に託す」と聞いていました。

準々決勝で試合途中から短いイニングを投げ、決勝は予定通り先発のマウンドへ。その目で見てもらうために横溝桂スカウト部長に会場の水戸市民球場まで足を運んでもらい、井川が力を示してくれることを期待しました。

「井川を獲る。作業しておけ」

しかし、立ち上がりから球が走らない。やはり腰痛は収まっておらず、投げ終わったあとに度々、態勢を崩したり、膝をつきそうになる。痛み止め注射を打って臨んでいたようですが、あの鮮烈な試合とは別人でした。最後まで投げ切ったものの試合は1対4で敗退。横溝部長も高い評価はしてくれないかもしれない、と肩を落としました。

それから2週間も経たないうちに甲子園球場では夏の選手権大会が始まり、出場全49校が登場してひと通り選手を見終えたあと、高校生の順位付けをするスカウト会議が開かれました。

平安高校の川口の初戦は制球面に不安はのぞかせたものの強力打線の県立岐阜商業高校に主導権を与えず、ストレートの球速も選抜から速くなって評価は高まっていた。それだけに会議後に横溝部長から呼ばれて伝えられた言葉は正直、意外なものでした。

「井川を獲る。作業しておけ」

これは私の推測ですが、横溝部長は巨人から情報を得ていたのではないかと思います。定年退職後も嘱託でスカウトを続けていた巨人の伊藤菊雄元スカウト部長とは良好な関係で、また巨人は慶応大学の高橋の獲得を目指していて、ドラフト2巡目でも日本通運の川中基嗣の逆指名を取り付けているように上位は大学生社会人の方針。

一方の阪神は逆指名候補に挙げていた大学生社会人からいい返事をもらえず高校生で勝負する状況で、巨人とは競合しない。

93年ドラフトの藪恵壹、翌年の川尻哲郎など担当選手が活躍してくれて私への信頼が増していたところもありますが、横溝部長は私の推薦だけでなく、伊藤さんからもお墨付きをもらっていたのではないかと思います。

ライバル球団であっても関係性次第では力を貸すこともあれば、無理に争わないということもあるのがスカウトの世界なのです。

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【つづきを読む】〈ドラフト裏話〉阪神の名スカウトが振り返る井川獲得のウラにあったロッテ、日本ハムとの知られざる「心理戦」

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