【闘病】小堀正博 「ギラン・バレー症候群」からの俳優復帰。“人とは思えない”驚異の回復力とは-後編

「もう俳優の仕事には戻れないかもしれない」――ICU(集中治療室)で人工呼吸器につながれ、自分の意思も伝えられない状態だった小堀正博さんは、そう覚悟していました。しかし、免疫グロブリン療法と長期間のリハビリテーション(リハビリ)を経て、現在は俳優として活動を再開しています。ギラン・バレー症候群は回復が期待できる病気である一方、後遺症が残ることも少なくありません。本記事では、小堀さんの治療やリハビリの体験、仕事復帰までの歩みとともに、回復の仕組みや後遺症について、日本神経学会神経専門医・指導医の三澤園子先生に解説していただきました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2026年5月取材。

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小堀正博(俳優)

1988年6月19日生まれ、兵庫県出身の俳優。舞夢プロ所属。2006年の映画『かぞくのひけつ』でデビューし、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』『おちょやん』『舞いあがれ!』やドラマ『科捜研の女』などに出演。俳優業の傍ら家庭教師としても活動している。

三澤園子(日本神経学会神経専門医・指導医)

東京科学大学脳神経病態学分野(脳神経内科)教授。日本内科学会総合内科専門医・指導医。日本神経学会神経専門医・指導医。日本臨床神経生理学会専門医。日本神経免疫学会神経免疫診療認定医。千葉大学医学部卒業。千葉大学大学院医学研究院脳神経内科学准教授を経て、2025年5月から現職。

「しゃべれるって幸せだった」――ICUで感じた治療の苦しさと希望

三澤先生

ギラン・バレー症候群に対して行った治療についてお聞かせください。

小堀さん

免疫グロブリン大量静注療法を行いました。投与中の2時間程度、体が50℃くらい熱があるんじゃないかというくらい熱くて、気分も悪いし頭も痛くなる治療でした。その治療を5日間連続(1クール)で行うということが本当につらかったです。それを2クール行いました。
リハビリも、つらかったという記憶があります。どこか触られたり持たれたり、足を5cm持ち上げられたりするだけで体がちぎれるんじゃないかというくらいの痛みがありました。筋肉や関節が固まらないようにという目的だったと思うのですが、それがすごくつらかったことを覚えています。

三澤先生

免疫グロブリン大量静注療法は、ギラン・バレー症候群の標準治療の一つです。もう一つの標準治療として血液浄化療法(血液を体外に取り出して病気に関わる抗体などを取り除き、再び体内に戻す治療法)があります。どちらも有効な治療ですが、血液浄化療法は専用の設備や準備が必要で、すべての医療機関で行えるわけではありません。そのため、これまで日本では、実施しやすさなどの理由から、免疫グロブリン大量静注療法が選ばれることが多くありました。
一方、近年では、免疫グロブリン製剤の供給が不安定になることもあり、患者さんの状態や医療機関の体制、薬剤の供給状況などを踏まえて、治療法が選択されています。免疫グロブリンは献血された血液から作られる血液製剤です。ギラン・バレー症候群に対する免疫グロブリン大量静注療法は、体内で過剰に働いている免疫反応を調整し、末梢神経への攻撃や炎症を抑えることを目的に使われます。

小堀さん

治療中の体が熱くなる感覚はなぜ起こったのでしょうか?

三澤先生

体が熱くなる感覚は、ギラン・バレー症候群に伴う自律神経(体温調節・血圧・心拍数などを制御する神経)の乱れが関係していたかもしれません。ギラン・バレー症候群では、手足の筋力低下やしびれだけでなく、この自律神経にも影響が及ぶことがあります。
ギラン・バレー症候群では、多くの場合、症状は数日から数週間のうちに進行し、発症から4週間以内にピークを迎えます。そのため、急性期には呼吸状態や自律神経症状に注意しながら、免疫グロブリン大量静注療法や血液浄化療法などの治療を行います。その後、症状の進行が落ち着いた段階では、神経の回復を待ちながら、リハビリを続けていくことが重要です。回復には時間がかかることもあり、筋力や歩行、日常生活動作を少しずつ取り戻していきます。人工呼吸器が外れてからは、どのような経過で回復していきましたか?

小堀さん

口から人工呼吸器の管を入れていた期間が10日間ほど続いて、その後気管切開(のどに穴を開けて管を入れる処置)をしてからは少し楽になりました。しかし、それでもまだ自分では体を動かせない状態でした。発症してから1カ月後にスピーチカニューレ(気管切開後に声を出せるようにするための器具)に変えてから声が出せるようになり、そのタイミングからは気持ちも前向きになれたのをすごく覚えています。

三澤先生

声が出せる、気持ちや意思を伝えることがいかに大切か、改めて感じられたのですね。

小堀さん

そうですね。ICUにいる間はまばたきと首が少し動くくらいで、自分の意思を伝えることができませんでした。ナースコールも押せないし、文字盤を使って看護師さんと会話するのですが、言いたいことが5%も伝わらないという感覚で、1カ月くらいその期間が続いたことが一番つらかったです。「しゃべれるってめちゃくちゃ幸せなんだな」と初めて実感しました。

三澤先生

治療中に励まされたことや前向きになれるエピソードはありましたか?

小堀さん

ICUにいた時に毎朝掃除してくれる人が来て「あんた若いんだから大丈夫。絶対治るよ」と言って去っていくんですよ。最初は「お前に何がわかるねん」という感じでしたが、途中からその一言がすごく恋しくなってきて、「なんか大丈夫なのかもしれない」という気持ちになりました。
また、仕事復帰は無理だと思っていましたが、この経験を人に伝えていく活動をしたいと考えて闘病中、家族にクラウドファンディング実施の意向を伝えていました。自分が元気になって歩けるようになったらきっと誰かの希望になれると考え、気持ちを切り替えることができました。
声が出るようになってからは看護師さんが毎日部屋に来てくれてたくさん話しましたし、友達が毎晩、所属しているアマチュア野球チームのメンバーとオンライン・ミーティングを繋いでくれて眠くなるまで話すなど、本当にたくさんの人の応援が力になりました。

杖なしで歩き、再び俳優へ――ギラン・バレー症候群からの回復過程

三澤先生

とても順調に回復されていますが、医師からは何か言われましたか?

小堀さん

病院で回復のスピードが「人とは思えない」と言われましたね。症状の進行も早かったけれど、回復も早く、線で表すとカタカナの「レ」みたいな回復の経過をしていると言われました。

三澤先生

回復の経過には個人差があります。比較的早い時期に力が戻ってくる方もいれば、数か月から年単位でゆっくり回復していく方もいます。
早く回復する場合は、神経そのものが大きく傷ついているというより、炎症などによって神経の信号が一時的に伝わりにくくなっている状態が中心だったと考えられます。この段階で治療が効くと、比較的速やかに機能が戻ることがあります。
一方で、免疫による攻撃が強かったり長く続いたりして、神経の軸索にダメージが及ぶと、回復には時間がかかります。末梢神経は再生する力を持っていますが、そのスピードはゆっくりです。そのため、症状の進行が止まったあとも、リハビリを続けながら、神経の回復を待つ必要があります。
小堀さんの場合、初期治療によって大きな効果が得られ、神経の多くは本格的なダメージから守られたと考えられます。一方で、足先へ向かう神経の一部にはダメージが残っており、その部分がゆっくり再生しながら、少しずつ回復している段階ではないかと考えられます。

小堀さん

一般的にギラン・バレー症候群の後遺症や再発率についてはどのように言われていますか?

三澤先生

ギラン・バレー症候群は、多くの方が時間をかけて回復していく病気です。一方で、後遺症が残ることもあります。発症から1年経過した時点でも、移動に杖や車いすなどが必要な人が約2割、何らかの症状が残り、働き方や生活様式を変えなくてはいけない人が約4割と言われています。
ギラン・バレー症候群は基本的には一度きりの経過をたどる病気で、再発率は約2~5%と比較的低いことが知られています。しかし一度大きな病気を経験した患者さんが再発への不安を感じるのは自然なことです。ギラン・バレー症候群は、命に関わることもある大きな病気であり、退院後も体力や気持ちの面で影響が続くことがあります。
小堀さんは、退院後の生活や仕事に、どのような変化がありましたか?

小堀さん

家庭教師の仕事は入院中からオンラインで再開しており、メンタル面では楽でした。退院した理由は、俳優の仕事が決まっていたからで、杖と装具を使いながら現場に行き、先方の配慮で首から上しか映さない形で撮影をしてもらいました。その年の年末にドラマの撮影もできました。入院からの1年後の2025年3月ごろには体幹の筋力も戻っている実感があり、5月には時代劇に出演して馬にも乗ることができました。
毎週のリハビリで測定している握力は、2~3週間前に右手が40kgを超えて、もう少しで両手40kgに届きそうです。日常生活をすることでそれに必要な筋肉が戻ってきた感覚があり、毎日の生活の中でできることが増えていく感覚でした。

三澤先生

リハビリにも懸命に取り組まれているのですね。回復が順調で安心しました。最後に、読者の方に伝えたいことはありますか?

小堀さん

歩く、座る、食べる、呼吸する、当たり前にしていることは当たり前じゃないということを本当に実感しました。36年生きてきて初めて「どうやって息を吸って、どうやって吐くんだろう」と考えました。日々の生活に感謝して生きていきたいと改めて思いましたし、したいことはいつかではなく今すぐ、体が元気なうちにやってほしいと思います。
そして、どんな状況でも自分は絶対に治るという可能性を信じてほしいです。周りに何と言われようが前例がなかろうが、自分が前例になったらええやんという気持ちで取り組んでほしいです。
そして、免疫グロブリンは献血から作られています。皆さんの献血のおかげで自分の命が救われたと後から知りました。多くの人の善意が集まって、たくさんの命を救っているということを皆さんに知っていただきたいと思います。

三澤先生

小堀さんがお話しくださった献血の大切さは、ギラン・バレー症候群の治療を考えるうえでも、とても重要な視点です。免疫グロブリン製剤は、献血された血液をもとに作られる血液製剤です。一方で、若い世代の献血者は減少しており、将来にわたって必要な治療を安定して届けるためには、献血を支える人を増やしていくことが欠かせません。特に、免疫グロブリン製剤を含む血漿分画製剤については、国内で安定して確保していくことが、安定供給の面からも重要です。献血は、誰かの命を支える身近な社会貢献です。こうした医療資源を、社会全体で守っていくことが大切だと思います。
それに加えて、日本の医療アクセスの良さについても、あらためて知っていただきたいと思います。夜中に急に具合が悪くなったとき、救急車を呼び、速やかに医療につながることができる環境は、世界的に見れば決して当たり前ではありません。私たちが普段利用している医療は、献血、救急医療、健康保険制度など、多くの仕組みによって支えられています。小堀さんの経験をきっかけに、病気そのものだけでなく、必要な医療を必要な人に届ける仕組みについても、考えていただければうれしく思います。

編集後記

小堀さんが繰り返し語っていたのは、「歩くこと」「話すこと」「呼吸すること」といった当たり前の日常の尊さでした。ギラン・バレー症候群は重症化すると命に関わることもありますが、適切な治療とリハビリによって回復を目指せる病気です。その一方で、治療を支える献血や医療制度、多くの医療従事者の存在が回復の背景にあることも忘れてはなりません。本稿が、健康で過ごせる日々のありがたさや、医療を支える仕組みについて考えるきっかけとなりましたら幸いです。