ぬいさんが叫んだ! お家で一緒にTVを見たら…(後編)
4,000匹以上のぬいぐるみと暮らす小説家・新井素子さんの日常がここに。「ぬい活」が一般化するはるか以前、「ぬい」という呼称を生み出し、社会からずっと変人扱いされてきた新井さん。「ぬいぐるみは生きている」と本気で確信し育んだ「ぬい」たちとの生活には、ただごとではない発見と幸せのヒントが詰まっていました。
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人間の声帯を借りてしゃべる
もうどんな番組のどんなシーンだったか覚えていないんですが、旦那と私が二人で御飯を食べていて、そしたらTVの中で、俳優さんが何かの台詞を言って、その瞬間。
「そんなことないもん!」
という声が、うちのリビングに響きました。
(あ。うちのぬいさんが何かしゃべりたい時には、私の声帯を勝手に使用しちゃうので、うちには時々、私の声だけど私の言葉ではないものが響きわたります。んでもって、この頃すでに銀婚式越えてましたから、旦那、それに慣れていて、突然私が叫んだんじゃなくて、うちのぬいさんの誰かが叫んだんだって、すっと納得してくれました。)
で、旦那。
「誰だ、今の」
で、私。
「いやあ……なんか、私のうしろの方にいる誰か、だよ」
って、うちは何たって、やたらぬいぐるみだらけの家なので……私のうしろだけで、百匹を超えるぬいさんがいるな……。
そこで、私と旦那、食事を中断、うしろの方にいるぬいさんたちに目をやってみて。そうしたら。
勿論、ぬいぐるみは動けないんですが、中に一匹、気持ち顔が上に上がっているようにみえる、「ふふふふふん」って顔になっていた子がいたんです。それが、カピバラさんぬい。
そして、旦那がその子を手にとったら、その瞬間、その子、もの凄く嬉しそうな表情になって。
食卓に載せるか、載せないか、それが問題だ
「そっかあ。おまえはTVが見たいんだね」
旦那はそう言うと、その子をリビングの食卓の上に載せました。まあその、TVがとても見やすい位置に、ですね。
そしたらまあ、その後……食事中(っていうか、その番組をやっている間中ずっと)、この子、しゃべりっぱなし。特定の俳優さんの台詞に、全部反応してしまう。肯定したり、相槌うったり、意見を述べたり。しかもその反応が……妙に当意即妙というか、聞いている旦那と私が笑っちゃうようなものだったので……。
これ、妙に楽しかったな。
……ただ。全然楽しくないことも、ありました。
というのは……視線が、痛い。
「この子がTV好きなのはよく判ったんだけれど……」
旦那がこう言った時、私はもっとずっと実感していました。
「TV好きなの、この子だけじゃない……よね」
私の背中に。ちくちくと刺さる視線が、ある。それも一つや二つじゃなくて……もっとずっと一杯。山のように。
「……どうもうちには、TVがやたらと好きで、TVと一緒にしゃべりたいことがある子……すっごく、いそう……だ、な」
それは判るんです。よく判るんです。背中がぬいさんの視線で痛いです。でも。
「食事の時……食卓の上にぬいさんを載せるのは……あまりお勧めできない……」
んですよ。だって、ぬいぐるみにとって、家庭内で一番危険なのは、多分食卓です。ぬいさんを食卓に載せていて、食事中、万一お味噌汁のお碗を倒してしまったら。焼き肉とか、お好み焼きとか、食卓の上にホットプレート載せて調理しながら食べている食事の場合、油が飛んだら。
ぬいぐるみの汚れで最悪に近いのは、食べ物によるものなんです。油は落ちにくいし、液体なんか染みこんじゃうし、余程気をつけて汚れを落とさないと、最悪将来黴が生えてきてしまうかも知れないし。
……でも。視線があんまり痛かったので、この時以来、食卓の隅っこにかわりばんこにぬいさんに来てもらうことにしました。(なんか……カピバラ一族の視線がやたら刺さったので、主にカピバラをかわりばんこに。このせいで、最初に叫んだカピが誰だか、よく判らなくなっちゃったんですね。いやあ、うちのカピは、どの子もどの子もかなりTVが好きで、ほんとにしゃべるわしゃべるわ、カピと一緒にTV見てたら、煩くてしょうがない。)そして、この後旦那は定年になり、かなり家にいるようになり……うちのTVはほぼつけっぱなし状態になったのですが……その前に、うちの食卓には大きな変化がありました。
ぬいぐるみTV事情に革命きたる
うちの食卓は、結婚以来ずっと、いわゆるちゃぶ台でした。古い家で育ち(当時の日本家屋は、基本的に和室)、祖父母に養育された私……食事は畳の上に座ってちゃぶ台で食べるものだと思っていたし、学校の宿題なんかもみんなそこでやっていました。仕事始めてからも、ずっと、座り机の前に正座してやってました。(あの。慣れると、実は、正座ってすっごい楽なんですよ。ちゃんと正座すると、自然に背筋が伸びるので、長時間続けるの、楽です。)うちの旦那と私の共通の趣味って囲碁で、うちにはおじいちゃんの形見の立派な足つきの碁盤があり、ここで碁を打つ時は、当然、私は碁盤の前に正座。
ただ、旦那が定年になるちょっと前から、旦那、これができなくなりました。床に直接座るのが辛いって言い出して……。(あ、勿論、旦那は正座なんかしてません。あぐらかいたりしてました。食事も碁を打つのも、正座しているのは私だけね。)
今から思うと、旦那に申し訳がないんですが……最初、私、この旦那の言い分が納得できなくって。(だって、私にとって一番楽な姿勢が正座だったので。)ただ、とにかく、椅子に座る生活がしたいって旦那が主張するので……我が家は、ダイニングテーブルを導入しました。リビングに、ダイニングテーブルを置いて、その前に椅子を配置、ここで御飯。(囲碁は、せっかく足つきの碁盤があるのに勿体ないんだけれど、昔使っていた折り畳みの碁盤をテーブルの上にだして、ここで打つ。)
これが、ぬいぐるみTV事情にもの凄い改革をもたらしたんです。
何たって、ダイニングテーブルは、ちゃぶ台に比べると、面積が三倍以上ある! とにかく広いんです。こうなると、御飯を食べている部分と、ぬいさんを置いている部分を、ある程度離すことができる。
あ、あと。これはもう、私、全面的に旦那に謝らなきゃいけないと思っているんですが……。
膝の痛みから脱ちゃぶ台
一昨年、私、右の膝がやたら痛くなりました。歩くのが辛くなっちゃったので、整形外科の先生に診てもらって……そうしたら。まず、生活習慣を聞かれて、「仕事は座ってやっています、いえ、椅子じゃなくて座布団の上に正座して」って言った瞬間、「正座はやめてください」って言われてしまいました。その先生曰く、正座は膝に悪いんだそうで……。
そんなことはないだろう! その時、私が思ったのは、この言葉に尽きます。だって、正座って、背筋がほんとに伸びて、気持ちいいもん。あれが体に悪いなら、過去の日本人はどうなるんだ! 日本人なら正座だろ! そしたら、先生。
「過去の日本人はそんなに長生きしていませんでした。人生が六十年くらいならいいんですが、人生が八十年、百年になるのなら、正座はやめた方がいいです」
むうって思ったのですが、患者の立場では文句を言う訳にもいかず。いただいた湿布で結構膝の状態がよくなったので、何となくこの整形外科には行かなくなったのですが……確かにこの頃から、正座をするのが辛くなってきました。妙に膝が痛いんです。旦那が、床に直接座るの辛いって、こういうこと、か。
そして、時間がたって、去年。また、膝が痛くなって、違う整形外科に行ったのですね。今度は膝に水が溜まっているって言われて、なんかぶっとい注射針で水を抜かれて、抜かれた水(薄黄色だった……)がそれなりに量があったので……ちゃぶ台で仕事をすること、全部諦めて、仕事はダイニングテーブルで椅子に座ってやることにしました。
……これ……思い返すだに、旦那に申し訳ないです。
旦那が、「床に直接座るのが辛い」って言い出した時、そもそも旦那も大好きで大事にしていたうちのおじいちゃんの足つき碁盤で碁を打たなくなった時、私、もうちょっとその意味を考えるべきだった。
ごめんね、旦那。
ダイニングテーブル。椅子に座る世界。
これ、やってみたら、膝が痛くなった後の私にはほんとに楽で(今では、ちゃぶ台前にして正座が、ほぼできなくなっているわ、私)……しかも、かなりのぬいさんが、結構TVを見ることができるようになっている。その上、旦那が定年になったので、今では我が家のTV、旦那が出かけている時以外は、ほぼ、つけっぱなしだ。TVがついているのは食事時だけっていう規制がない。
かくてこうして。
我が家は、結構、ぬいさんがTVを楽しめる家になったのでした。

