強盗致死罪などで起訴された八木原亜麻被告と川村葉音被告(Instagramより)

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 北海道江別市の公園で2024年10月、大学生の男性・Xさん(当時20)が男女6人から集団暴行を受け、死亡した事件。強盗致死などの罪で起訴された6人のうち、川村葉音被告(21)、瀧澤海裕被告(当時18)、少年B(当時16)計3人の裁判裁判が5月25日より、札幌地裁(高杉昌希裁判長)で開かれている。

【写真】川村容疑者が投稿していた龍のタトゥーシール姿。アルバイト先で八木原被告とダンスする写真。主犯だった川村被告の高校の卒アル写真も

 6月5日の公判では、川村葉音被告に検察官から無期懲役の求刑がなされた。判決は6月25日に予定されている。

 6月3日の裁判から、被告人3人の裁判は分離され、1人ずつ公判が開かれている。3日から行われた川村被告単独の公判では、川村被告の両親が出廷。遺族への謝意や娘への思いを明かした--裁判を傍聴したライターの普通氏がレポートする。【全4回の第1回】

強盗致死罪は「ゆうに認定できる」

 一連の審理がなされたあと、検察官によって強盗致死罪の成立を主張する中間論告がなされた。弁護側は中間弁論で起訴内容を争わないとし、裁判所からは、強盗致死罪の成立が「ゆうに認定できる」との判断が示された。

 この中間論告という手続きは裁判において必ず行われるものでもなく、争点があまりない本件でその手続きがなぜなされたかの理由は説明されなかった。

 強盗致死罪に定められた量刑は死刑か無期懲役のみ(酌量減軽を除く)である。一生社会に復帰できない罪が「ゆうに認定できる」と中間判断されたことは、その後被告人質問を控えた本人や家族に緊張感を与えたことだろう。

 弁護人から証拠として、被告人が令和7年8月から現在に至るまで書き続けている反省文が提出された。実際はその半年前から書き始めていたというが、提出されたのは事件発生から約1年後からのものだった。紙の厚さが5cmほどはある反省文の束は、その向き合ってきた時間の長さを感じさせるものであった。

 反省文にはテーマがあった。「事件の日、何も考えず行動したのはなぜ」、「逮捕され考えはどう変わったか」、「遺族ならなんと言うか、自分に何を聞きたいか」、「もし自分が親で子が被害者なら」、「Xさんがどれほど痛い、苦しい思いをしたか」。

 弁護人は、手紙の抜粋した内容を読み上げた。その一部を紹介する。

「(事件当日、被害者と)逆の立場で考えるべきだった。これができれば、(暴行を)止められる行動ができた」

「(被害者は)所持品がない、家も遠い、頭はクラクラする。このまま死ぬのかな、誰か助けてと思っただろう」

「(発端となったのは)どこにでもある別れ話。暴力をふる理由ない。暴言も相手のことを考えていなかった」

「事件と一生向き合っていく。刑務所で罪を償い終わっても、償いを続けていく」

 遺族に向けた謝罪文も明らかにされた。「許してもらえると思っていないが、自分の言葉で謝りたい。大切な家族の命を奪い申し訳ありません。罪は消えないので、一生償っていきます」

 なお、この謝罪文の受け取りは遺族から拒否されている。

金銭賠償は「できるだけの交渉をしたいです」

 情状証人として、被告人の両親が出廷した。

 まず父親が入廷し、遺族が座る席に深々と一礼して証言台へ立つ。川村被告は裁判中、視線を動かすことはあまりなかったが、両親の証言時はいささか視線が定まっていないようにも見えた。

 証言の冒頭に「Xさん、Xさんのご家族さま、この度は多大なご迷惑をおかけしてどうもすみませんでした」と立ち上がって一礼する。

 父親の証言は度々言葉が詰まり、傍聴席にも緊張しているのが伝わってきた。面会は月に一度ほど行っているが、裁判で川村被告を見るのはこの日が初めてだという。

弁護人「Xさんが亡くなり、金銭賠償が原則です。償いはどのように考えていますか」
父親「真摯に向き合い……できるだけの賠償ができるよう、交渉をしたいです」

 裁判までの期間、遺族側の意向もあり賠償についての提案は持ちかけていない。また、費用の捻出もできておらず、その理由について「川村被告の奨学金の返還をはじめ各種費用の支出があり、親族にも事件の影響で関係を絶たれ、頼れない状況になってしまった」とした。他の被告人の親との連携についても「そういうことがあれば考えます」と、特に動いている様子はなかった。

 大学進学を機に親元を離れた川村被告。両親と同居をしていた高校時代には、周囲からいじめを受けていたという。靴を隠され、机やノートに「死ね」などとも書かれ、父親に自殺をほのめかした。父親は学校に対応の改善を交渉し、川村被告には高校にはなるべく休まず通うよう伝えた。

検察官「川村被告に『やられたらやり返してもいい』と教えたことはありますか?」

父親「例えとしては違いますが、あります」

検察官「今回の事件に繋がったとは言いたくないですが、『やられたら…』という教えは、正しくなかったと思いますか」

父親「はい」

 父親は、いささか本意ではないように答えた。弁護人がフォローするように補充の質問を行った。

弁護人「『やられたらやり返す』の教えですけど、『やられたら』というのは?」

父親「殴られたら殴り返せというような。でも、自分が悪かったらしてはいけないよ、と言っていました」

「殴られたら殴り返せ」という言葉が出た瞬間、川村被告は明らかに動揺し、何かを言いたげに弁護人の方を見ていた。後の質問で父親は「(川村被告が)人に流されやすいので、流されないよう強い気持ちでいてほしい」という思いで伝えていたと説明した。

 大学進学後は毎日のように電話やメールでやりとりをし、月1〜2度は互いの家を行き来するような関係性であったという父親と川村被告。その日に何があったかなどを詳しく聞いており、年ごろの年代だが、特に疎遠であることはなかったと自信があるように答える。

 ただ、大学での交友関係は良好でないと聞いていた。また、交際している人物がいることは把握していても、その相手であるA被告の人となりなどについては、全く聞くことがなかったという。

 事件を知ったのは、事件から2日ほど経ったころだった。関係者として挙がった名前は誰も知らず、信じられない思いだったという。事件の録音は弁護人から聞かせてもらったが、その内容のあまりの酷さに記憶にほとんど残っていないという。

 遺族の心情を推察するよう問われると「同じ親として煮えくり返る思いだと思う」、「ここにいるだけで家族の気持ちが伝わってくる」などと表現した。

母親は涙交じりに…

 驚くことに、両親と川村被告は事件が起きた深夜の数時間後に直接顔を合わせていたという。そのときの様子について「今思えばかなり落ち込んでいたが、また電話すればいいかと思った」といい、何も聞くことはできなかった。

 最後に検察官が諭すように聞く。

検察官「強盗致死罪は原則、死刑か無期懲役となる重たい罪です。川村被告がどんな刑を受けるか考えていますか」

父親「今のところ考えていません」

検察官「死をもって償う、もしくは一生出られないかもしれません」

父親「それでも私の娘です!」

 食い気味に答える父親。質問と答えがやや噛み合ってなかったが、どんな刑となっても親として見放さないという趣旨だと筆者は解した。

検察官「そうじゃなくて、一緒に暮らすことが叶わなくても、賠償を誠実に行うということでいいですか」

父親「はい」

検察官「川村被告が社会に出られないならと、匙を投げるとかではありませんね」

父親「はい」

 改めて遺族に3秒ほど頭を下げ、父親は法廷を去っていった。

 続いて川村被告の母親が入廷した。母親は娘の犯行について、「とにかく幼稚すぎたのかと思います」「思ったことをすぐ口にしちゃう。一拍置くことができない。親として教えられることがまだあり、家を出すのが早かったと思います」などと、時折涙を滲ませながら語った。

 両親の証言が終わると、川村被告本人が被告人質問を受けるため法廷に上がった。川村被告なりの反省が明らかになる一方で、裁判官から厳しい指摘が入ることも少なくなかった--第2回記事で詳報する。

(第2回記事に続く)

◆取材・文/普通(裁判ライター)