【コシノジュンコ 我が道6】最年少19歳で「装苑賞」を受賞 新人の登竜門で服飾業界の芥川賞
街路樹の若葉が深い緑色になると必ず思い出すことがあります。それは「装苑賞」。ファッションデザイナーを目指す新人の登竜門。服飾業界の芥川賞ともいわれる権威ある賞です。私がこの賞をいただいたのは、文化服装学院にいた19歳の時。当時、史上最年少の受賞者として注目を集めましたが、いまだにこの記録は破られていません。
あの時、私のデザイン画を推してくれた森英恵先生には今でも心から感謝しています。新宿の伊勢丹ホールで行われた公開審査。最終候補に残ったのは5つ。審査員の採点で最も優れた作品が決まります。満員の観客と一緒に会場で発表を待つ私はもう心臓が口から飛び出しそう。名前を呼ばれた瞬間は、世の中がパッと開けたような思いでした。
審査員は森英恵先生をはじめ、中村乃武夫先生、水野正夫先生ら有名な方々ばかり。まずは、応募者が自分の作品を見てもらいたいと思う審査員に何枚ものデッサン画を提出。それぞれの先生が本選へ向けて候補作を絞り込みます。私は森英恵先生に約40枚のデッサン画を出しました。先生の目に留まったその中の一つが念願のグランプリ。中村乃武夫先生が選んでくれたもう一枚が入選(当時リズムミシン賞)したのです。当時、大賞の賞金は10万円、副賞にミシン。佳作の賞品もミシンだったので一度に2台もゲット。4畳半のアパートには、すでに1台あり置くスペースもないので岸和田の洋裁店の実家へ運んでもらいました。
負けず嫌いの私は、同期の仲間の誰よりも早くこの賞を獲りたくて準備をしていました。デザイン画の提出期限が近づくと友達の誘いにも乗らず、自室で一心不乱に描き続けていたのです。でも、そんなことが知られたらカッコ悪いと思い誰にも言えませんでした。1カ月の生活費が1万2000円ほどの時代。1枚10円の画用紙は本当に貴重で、少しのミスもないようにいつも丁寧に描いたことも奏功したのかもしれません。
公開審査の前日には思わぬアクシデントが。運命の日に袖を通そうと新調した洋服を電車の網棚に置き忘れてしまったのです。その頃、下北沢に住んでいたので、学校帰りは新宿から京王線に乗って途中で乗り換え。私のうっかりで大切なものを載せたまま電車はゴー。気付いて電話したら、駅員さんに「八王子駅で預かってます」と言われ、夜遅く取りに行くはめに。でも、その翌日には、ビッグなご褒美が用意されていました。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」ですね。
装苑賞は今年が記念すべき100回目。賞金は100万円になり、私はいつの間にか審査する立場に。皆さん、賞を獲ることは決してゴールではありません。すべての始まりです。大切なことはどんな時でも成功を信じて努力と研鑽(けんさん)を重ねることです。
◇コシノ ジュンコ 文化服装学院在学中に装苑賞を受賞。1978年から22年間、パリ・コレクションに参加。世界各国でファッションショーを開催、国際的な文化交流に力を入れる。オペラ、DRUM TAOの舞台衣装、花火、ユニホーム、インテリアのデザインなどを手がける。フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ受章、旭日中綬章受章。2025年11月には文化勲章受章。大阪府岸和田市出身。
