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きょう(8月1日)開業から100周年を迎えた路面電車の熊本市電。熊本の風景の一部となって走り続ける歴史と変化を振り返ります。

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初日に3万人 乗車率が限界突破?

大正13年(1924年)に開業した熊本市電。初日は3万人以上が乗車し、車内では身動きが取れず窓枠の上に乗る人の姿もありました。

そして、1964年度には1日の平均乗客数が現在の約4倍の11万人を突破します(2023度は2万7000人)。当時を知る人は、車内の様子をこう振り返りました。

60年代を知る人「多かったですね。満員で、押し押しで隣とくっつくような」

1960年代の映像に映る車はどれも時代を感じさせますが、当時運行していた市電の車両と同じグループの『1060型』は、現在も熊本の街を走っています。

ベテラン運転士「なくてはならない存在」

市電の運転士として20年以上働く東郷修平(とうごう しゅうへい)さん(44)は、『1060型』をこう評価します。

熊本市交通局 東郷修平さん(44)「今でも昭和・平成・令和とまたいで運行している車両。熊本市の風景になくてはならないものと思っています」

そんな東郷さんが好きな光景は「通町を発車して運転席から見える熊本城の風景」。何年たっても変わらないと、太鼓判を押す眺めです。

熊本県外から撮影に来る人も

熊本市電の魅力は熊本県外にも届いていました。

埼玉県在住の市電ファン 巻島創さん(31)「撮影したものが何千枚もある」

撮影のため埼玉から来た巻島創(まきしま そう)さん(31)のお気に入りは『1090型』と呼ばれる車両です。

 巻島さん「あれですあれです。オレンジのランプあるじゃないですか」

テールランプが路線バスと同じデザインで、バス好きでもある巻島さんにはたまらないそうです。

巻島さん「新しい車両から古い車両までいっぱい走っていて、本数も多くていっぱい来て、マニア的にも飽きない」

「10分おきくらいに来ていた」地域を支えた路線の今

県内外に熱烈なファンもいる市電。かつては藤崎宮の前も走っていたほか、河原町から世安などを経て川尻へと向かう『川尻線』がありましたが、路線の老朽化や赤字のため廃線となりました。

1965年、川尻線の運行最終日の映像には、万国旗を飾りつけた花電車が『永い間お世話になりました』と市民に別れを告げながら走る様子や、名残惜しそうに車両に手を振る人々の様子が残されていました。

今は、川尻町電停があった場所に記念碑があるだけです。

記者「現在は車道となっている道に、当時は市電が走っていました」

川尻地区の住民「もう残っているのはこれしかないですね。ひっきりなしに来ていた。だいたい10分おきぐらいに電車は来ていましたしね」

市電と共に歩んだ沿線の記録 

熊本市内の市電ファンが50年撮り続けた写真集が、100周年の節目を前に出版されました。その写真の数々には、沿線の変化も記録されていました。

2015年の写真に映っているのは熊本市にあった『県民百貨店』。現在は『サクラマチクマモト』となっている場所を、辛島交差点から撮影したものです。

一方で、今も変わらない場所があります。45年前の1979年、新町電停から撮影した写真には、6月末に休業した『長崎次郎書店』が入る建物が今とほとんど同じ姿で写されていました。

この建物の2階にある長崎次郎喫茶室の長崎圭作(ながさき けいさく)さんにとって、熊本市電はどんな存在なのでしょうか。

長崎次郎喫茶室 長崎圭作さん「子どもの頃ずっとここに住んでいたので、思い出というか、“あって当たり前”みたいな」

“あって当たり前”の存在。運転士の東郷さんは、そんな熊本市電のあり方を守り続けたいと考えています。

東郷さん「100年間、先輩たちが受け継いできた伝統を私たちの世代で止めることなく、より良い熊本市電を次の100年につなげていきたい」