全日本フィギュアスケート選手権、本田真凜(18歳)は8位に終わった。ショートプログラム(SP)は華やかな演技を見せ、6位でフリーでは最終グループ入り。しかしフリーは冒頭の3回転ルッツの失敗が響き、8位と苦しんだ。

全日本選手権で、8位に終わった本田真凜

 しかし全日本で、「本田は復活を遂げた」と言える。

「自分らしく、楽しく滑れたと思います」

 本田は凛として言った。

「去年のように(ジャンプを失敗しても)、心が折れなかった。失敗したなりに楽しむ、と練習からいろんなパターンをやってきました。反省もありますけど、得たものもたくさんあって」

 復活=スケートを再び楽しむ。

 本田は、スケーターとしてリスタートした。

 今大会、SPが終わった後の本田は、目を輝かせていた。スコア以上に、氷の上で楽しむことができたようだった。その瞬間を、彼女は追い求めていたのだ。

「練習もそうですが、『普段の生活から明るくなったね』って周りの人から言われて。吹っ切れたところはあると思います。(周りに対して)怖さがなくなって、自分らしくいられている。気持ちの弱さが出るところがあったけど、それがなくなりました」

 本田はそう言って、饒舌になった。

「今日は楽しくて、お客さんひとり一人の表情が見えるほどでした。”こんなの何年ぶりだろう”って。それくらい、楽しく滑れました。昔のように、たくさんの人に楽しんでいるのが伝わったかなと。内面的な問題か、試合になったら訳がわからなくなることがあって。誰かに見られるという緊張からどうやって逃げられるか、ということばかり考えていました。もうすぐ厄年も終わるので、これで振り払うことができたらなって思います!」

 2017年の世界ジュニア選手権、本田は平昌五輪金メダリスト、アリーナ・ザギトワと当時しのぎを削っている。その実績もあって、「若きスター誕生」とやや美化され、人気が先行した部分もあった。そして、シニアでは不振に喘いできた。

 しかし天才と呼ばれた少女は、苦しんだことによって、スケートと対峙することができたのだろう。

 今年夏のインタビューだった。

―あなたにとって、スケーターの覚悟とは?

 そう質問を投げたことがあった。

「自分は小さい時から、ジュニアくらいまでは何も考えず、ただただ競技をしていました。(平昌)オリンピック選考会があって、一度スケートから離れたいと思ったこともあって。初めて、4、5日くらい(練習を)休みました。もうちょっと休む予定だったんですけど、練習に向かっている自分がいて。”今の自分にはスケートしかない”ってそのとき感じたので。そこからは、つらいな、と思うことはあっても、やめよう、という気持ちにはならなくなりました。今は、スケートしかない、っていうのが大きいです」

 彼女はこの2年で辛酸をなめながら、変わり始めていたのだろう。

 今回の全日本のフリー、冒頭でジャンプをミスしたものの、本田は怯まず、貪欲だった。単独の予定だった3回転ループに、2回転トーループをつけた。さらに、最後に予定していた3回転サルコウを、より得点の高いフリップに変更。フリップは着氷が少し乱れたが、目を瞠るべき勇気と臨機応変さだった。

「ショートが終わって日本のトップの6人に入っていることは、昨シーズンは考えられませんでした。フリーも揃えられたらよかったですけど。昨シーズンまでなら、最初のジャンプのミスで心が折れてしまっていたと思います。いつもなら引きずるパターンでしたが。”ジャンプの失敗も含めてひとつの作品”と思えるようになりました。あきらめず、楽しんでいることを表現したいって」

 本田は、自分の中での手応えを覚えていた。

「シーズンオフに、アイスショーでたくさん滑らせてもらったのはよかったな、と思っています。気持ちが折れかけていたところで、”また頑張ろう”と思えました。私は気持ちがいちばん大変なところなので、今回で”大丈夫”と思えたことで、これからは技術のところでも頑張ろうって思っています」

 苦悩する時間は、新たな本田真凜を見せるために必要な時間だった。

 来年、本田はアメリカを拠点にして3年目になる。妹の本田紗来も合流するという。ひとつの結実が見られるはずだ。

「紗来が”スケートから離れたい”ということがあって。自分の演技で、”スケートってこんなにいいものなんだよ!”って伝えられたらって思いました。伝わっていたらいいな」

 本田は祈るように言った。そのメッセージは、自らの経験からきたものかもしれない。小さな明かりが灯るように、ひとりのスケーターが再生した。