「なぜ速度が落ちないのか」死傷者12人、妻と娘を失った男性も…《池袋暴走事故》加害者・飯塚幸三が見た「大惨事の予兆」
2019年4月19日。東京都板橋区のマンションで、87歳の飯塚幸三はいつも通りの朝を迎えていた。足のふらつきを心配する妻は「電車かバスで行きませんか」と提案したが、飯塚は「車で行こう」と譲らなかった。
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愛車のプリウスに乗り込み、「今日も無事故で」と自分に言い聞かせる。この些細な日常の選択が、未曾有の大惨事へと繋がるとは、二人は知る由もなかった――。
12人が死傷した「池袋高齢者暴走事故」はなぜ起きたのか? 記者として長年、同事故を取材してきたTBSテレビの守田哲氏の新刊『池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日』(文藝春秋)より、加害者である飯塚氏が運転していた車のドライブレコーダーの映像などをもとに再現した「事故当日の様子」をお届けする。(全3回の1回目/つづきを読む)

池袋暴走事故で妻の真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(当時3歳)を失った遺族の松永拓也さん(写真:時事通信社)
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全国事故ワースト交差点へ
車は、タイヤと駐車用のパレットの摩擦音をきしませながら、立体駐車場前のスペースにゆっくり出て一旦停止した。そして、飯塚は杖を持たずに車外に出て、駐車場の柵を閉めてから、運転席に戻った。このタイミングで、遅れて来た妻が助手席に乗り込んだ。夫婦はレストランで食事を終えた後、どこにいこうかと話し合った。そして、飯塚が予約時間を妻に改めて確認した。
「今から行けば、ちょうどいいんじゃない」
「(午後〇時)半過ぎって言ったからね」
マンションの外に続くなだらかな坂をゆっくりと上る。左右の見通しが悪いため、飯塚は慎重に周囲を確認したうえ、道路に出て左折した。その瞬間をマンションの敷地内に設置されていた防犯カメラが捉えていた。時刻は午後〇時九分。
信号待ちを挟み、道なりに約二五〇メートル直進する。街宣の声が聞こえる。二日後の区議会議員選挙の投開票日に向け、候補者が投票を呼びかけていた。夫婦はこの候補の地盤について話した。飯塚は交差点にさしかかり、ウィンカー(方向指示器)を出して左折する。小道を進み、左折すると視界が開けた。ここからは片側二車線の川越街道(国道二五四号)だ。南方向、つまり池袋方面に進む。普段の交通量はかなり多いが、このときはすいていた。夫婦はラジオの音をバックに、買い物など日常生活にまつわる雑談をした。飯塚は安全運転のため、追い越し用の右車線ではなく左車線を走行する習慣があった。路上駐車をよけて追い越そうと、右左右と車線変更を三度繰り返した。ただ、二回目の左から右に車線変更する際にウィンカーを出さなかった。
幸町の歩道橋をくぐって直進すると、都道の山手通り(側道)と交わる「熊野町交差点」に差しかかる。ここまでの走行距離は約二・五キロメートル。実は、この交差点の人身事故の件数は、二〇二二年に全国ワーストの一九件を記録している(日本損害保険協会)。
その背景には、この交差点特有の事情がある。地下には山手通りのアンダーパスが走り、上には首都高速道路中央環状線と同五号池袋線の合流地点がある。そのため高架の柱が林立し、見通しが悪い。
また、交差点のエリアも非常に広く、車線も多い。どの信号を目当てに、どの車線を走ればいいのか、視覚的にわかりづらい。対向車や歩行者の姿も見えづらい(ただ、対策が奏功したのか、二〇二三年からは事故は激減している)。
首都高速の高架下に入り…
飯塚は青信号の交差点を難なく直進すると、ドン・キホーテ北池袋店の「驚安の殿堂」という看板が左側の視界に入る。池袋に近づいてきた。妻が趣味のコーラスや知人について一方的にしゃべり、夫が「うん、うん」とひたすら相槌を打つ。池袋警察署川越通交番の防犯カメラが飯塚夫妻の車を記録したのは、午後〇時二〇分。このあたりから首都高速の高架下に入り、道路はぐっと暗くなる。しばらくして、二車線の巨大なバイパス「池袋六ツ又陸橋」に入る。
首都高速五号池袋線が完全に上に重なるため、車内の陰りはずっと濃くなる。
この陸橋は、池袋駅から北に延びるJR埼京線、次いでJR山手線と立体交差している。高さ二一〇メートルの煙突がある豊島清掃工場やビル群の間を走行する。飯塚は春日通りに繫る分岐点を直進して池袋方面に向かうが、またウィンカーを出さずに左に車線変更した。それ以外は法定速度を少し超えることもあるが、基本的に安全運転だ。
その後は、「魔の交差点」として有名な「池袋六ツ又交差点」(二〇二四年、人身事故件数全国一位)の上を通過して陸橋の終点に着く。ここからは下り坂だ。飯塚は車が加速しないよう、ブレーキを断続的に踏む。
「日出通り」(都道四三五号音羽池袋線)に入ると道は三車線になる。中央の車線を走行していると、「サンシャイン60通り交差点」が見えた。
赤信号のため、ブレーキを踏む。用心深い飯塚は、ギアをドライブからパーキングに変え、ブレーキに左足を置いた。右手には人で賑わう東急ハンズ池袋店(当時)が見える。信号が青になった。ブレーキを踏みながら、ギアをパーキングからドライブに切り替える。前の車両の動きを見届け、急発進しないようにゆっくりアクセルを踏む。道路は三車線から四車線とさらに広くなり、飯塚は左から二車線目を選ぶ。
大惨事の予兆
次は「サンシャイン前交差点」にさしかかる。ここは首都高速・東池袋出入口のエリアで、下から見るとリング状に道路が重なり、交わり、離れていくような不思議な構造だ。交差点をVの字に左折すれば、アニメグッズなどを販売する店が密集するオタクの聖地「乙女ロード」に続く。ここでも、交差点左手のファミリーマートの防犯カメラが、青信号で直進する飯塚の車を正確に捉えていた。時刻は午後〇時二三分。次の信号も青で池袋署東池袋交番を通過する。
指定速度時速五〇キロメートルを示す標識があり、飯塚の車は時速五三キロメートルで進む。
道路の状況を整理すると、飯塚は「日出通り」を北から南に進み、まもなく「東池袋交差点」にさしかかる。「日出通り」は、交差点の前で右折専用の二車線(池袋駅方面)と左折専用の二車線(護国寺方面)に分かれる。飯塚は護国寺方面に進む左折専用の二車線のうち、右側を選んだ。奇しくもこの右左折の中央にある分離帯のエリアに、交通違反の取り締まりを行っていた白バイ隊員がいた。日出通りを護国寺方面へ進むと、首都高速とは依然として並行関係だが南北にズレる。つまり、首都高速の圧迫から解放され、視界が一気に開けるはずだ。
しかし――。合流地点の信号は青だ。前方に五〇代男性が運転するバイク便のスクーターが走っていた。飯塚は左折のついでに、いつもの習慣で左車線に移ろうと考えた。このときに出したウィンカーが、正常な走行だったことを示す最後のサインだった。
飯塚は横断歩道にタイヤが乗ったタイミングで、左折と同時に左車線への変更を試みる。さらに、カーブゆえ、断続的にブレーキを踏む、ポンピングブレーキを行おうとした。ウィンカーとハンドルとブレーキの三つをほぼ同じタイミングで操作し、カーブを曲がる。一般的なドライバーであればやらない動作だが、飯塚はコーラスの練習場所に行くため、この道を最低週一回は通っていて、道路状況を理解し操作も慣れていた。ところが、なぜか速度が時速六〇キロメートルに加速する。右車線を時速五〇キロメートルくらいで走行していたスクーターを左から一気に追い抜く。〇時二三分二六秒。飯塚は違和感を覚える。
「ちょっと速すぎる」
――あれ、少し速いな。普段と同じような運転をしているのに、なぜ速いのだろう。
そして、不安を抱く。
――ちょっと速すぎる。アクセルから足を離しているのに、なぜ速度が落ちないのか。
何かあったときのために足を置いていたブレーキをさらに踏み込んだつもりが、速度は下がるどころか上がった。エンジン音が急上昇する。「車が急加速している!」という危機感がせり上がり、車速はこれ以上速くなればスピンしてしまう限界旋回速度近くに達していた。
〈「死んでる?」「意識は?」時速84キロの車にはねられ地面に叩きつけられた被害者も…【死傷者12人】暴走した飯塚幸三の車が捉えた「衝撃の瞬間」《池袋暴走事故》〉へ続く
(守田 哲)
