排泄ケアの専門家も、母の介護に大苦戦。日々のストレスに加え、尿や便の臭いが脳を刺激、介護者から冷静さを失わせることも。ひとまず外の空気を吸って
高齢者の排泄ケアについて普及啓発を進めてきた第一人者、西村かおるさん。しかし実母の介護では思い通りにいかず、さまざまな壁に直面したといいます。試行錯誤の末にたどり着いた、負担を減らす介助のコツとは――(構成:古川美穂 撮影:藤澤靖子)
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尿や便の臭いが介護者の冷静さを奪う
家族介護には大変な場面がたくさんありますが、もっとも難しいのはやはり、排泄に関するケアではないでしょうか。
介護に疲れた家族による「介護殺人」で亡くなった高齢者は、2024年度までの10年間で少なくとも129人に上ります。未遂など水面下での事象も含めれば、その数は膨大なものに。そして実は、こうした介護殺人や虐待のうち少なからぬケースが、排泄問題を機に起きているのです。
今年の3月に東京・杉並区の自宅で94歳の母親を64歳の息子が階段から引きずり下ろしてけがをさせたとして逮捕され、その後母親は搬送先の病院で亡くなりました。報道によると母親は認知症を患っており、介護していた息子は「便を漏らした母を早く風呂場に連れていくためだった」「母に対する怒りもあった」などと供述しています。
24年に東京・国立市の自宅で102歳の母親を71歳の娘が殺害した事件では昨年、被告の娘に懲役3年、執行猶予5年の判決が下りました。事件の少し前から母親の排尿回数が異常に増え、娘は10分おきにトイレ介助。母親が頑なにおむつを拒むため、娘はそのたび母を抱きかかえてベッド脇のポータブルトイレまで運び、腰を痛めていた。
事件当日も頻繁にトイレへ行きたがる母親が午前4時過ぎにベッドから転落し、娘は自分の力で母親を動かせず119番通報。その際に救急隊員から「こういうことで呼ぶのは今日限りに」と言われたそうです。隊員が引き揚げた後も母親は繰り返しトイレに行きたいと訴え、その2時間後、娘は犯行に及びました。
ほかにも、洗濯したばかりの布団を失禁で汚されカッとなって殴ってしまったとか、罰として外に寝かせたら死んでしまったというような話もあります。
積もり積もった介護の疲れや怒りなどの感情が、排泄の失敗を機に爆発してしまう。追い詰められていたところに、尿や便の臭いがダイレクトに脳を刺激し、介護者から冷静さを失わせてしまう瞬間があるのです。
床にポタポタ便を落として……
私はイギリスで訪問看護と失禁看護という分野について学び、帰国後30年以上、排泄ケアの専門家として過ごしてきました。そんな私でも実母の介護は思うようにいかず、予想以上の大変さを味わったのです。
東京で仕事をしていた私が、高知市内の実家で97歳の母と暮らし始めたのは6年前のこと。それまで母は自らの意思で高齢者施設に入居していました。
私は自分が訪問看護に携わっているのに父が病院で亡くなったので、せめて母は在宅で看取りたいと思い、母を自宅に戻し、東京との二拠点生活で介護をしようと決意したのです。
母は要介護1で、認知症もなく頭はしっかりしていました。ところが一緒に暮らし始めると、家中に漂うひどい悪臭に悩まされるように。高齢による切迫性尿失禁と腹圧性尿失禁の混合型で、尿失禁を繰り返していたのです。慢性膀胱炎のせいで尿の臭いもきつくなっていました。
一番の問題は、母が自分で用意したボロ布を紙おむつの中に入れ、汚れるとトイレの水で洗って庭に干していたことです。生乾きの布が強烈に臭うので、私が市販の尿取りパッドを使おうと促しても、「もったいない」「自分できちんと処理しているし、臭いは気にならない」の一点張り。
母は戦後に中国大陸から私の姉たちを連れて引き揚げ、モノのない大変な時代を生き抜いた。だから「戦争を知らない今の人たちは何でも捨てろと言う。そんな贅沢はできない」と言って譲りません。
なんとか布を取り上げたら、今度は新聞紙を船形に折っておむつに入れてパッド代わりにするのです。さらに使用済みの紙をその辺に放っておくので、また悪臭の元に。

100歳を超えて列車で日帰り旅行をした、西村さんと母。「これが最後の旅になりました」(写真提供:西村さん)
便の失敗も日常茶飯事。家にはアロエの鉢があり、母はこれが何でも治せる万能薬だと信じていました。私が「葉を食べるのはやめてね」と何度頼んでも、隠れてアロエを口にしては軟便や下痢を繰り返す。
しかも歩きながら紙おむつを下げ、床にポタポタ便を落としてトイレに向かうのです。それをスリッパで踏んで塗り広げるので、臭いは家の隅々にまで広がります。
逆に便が出にくい時はトイレの中で自分の指を使ってかき出し、その手で壁などを触るため、母が入った後は必ずトイレ掃除をしなければなりません。
私が「なぜトイレに入ってからおむつを下げないの」と問い詰めると、「あんたが漏らすなというから早めに準備してるんじゃない。一生懸命やっているのに文句言わないで」と怒り出します。
挙句の果てに、カーペットについた便を掃除していたら、「そんな拭き方してカーペットに染みを付けないでちょうだい」と一言。あまりの台詞に、怒りより笑ってしまいました。
母は施設でもどこでも「優しくてシッカリした、素敵なおばあちゃん」として親しまれていたのです。でも外で気を使う反動か、家では自己中心的で、家族の言うことには耳を貸しません。とても頭のいい人だったので、自分で排泄処理ができなくなった事実を受け入れるのがつらかったのだと思います。
しかも専門知識を持った娘から「こうしたほうがいい」などと指図されたり、「臭い」と言われたりして、プライドを傷つけられたことでしょう。私が何を提案しても、「外で偉そうにしていても、あんたは私の娘でしかないんだからね」と突っぱねる。毎日、機嫌を取るのにひと苦労でした。
当時、母は1階、私は2階の部屋で寝起きしていました。臭気は下から上ってきます。朝起きて自分の部屋のドアを開けると、まず悪臭が鼻をつく。私もさすがに、「ああ、今日も朝からこの臭いか」と多少うんざりした気持ちになります。
でも極力顔には出さないようにして、普通に「おはよう」と母の部屋に入る。ところが母は私のわずかな表情の変化を目ざとく捉え、「なぜ朝からそんなイヤな顔をしているの。あんたの勝手で私はこの家に帰ってきたんだから、そんな顔をされるぐらいなら施設に戻る」……。
もちろん私だってカチンとくる。介護ストレスとは、そうした瞬間、瞬間の積み重ねですね。
私はプロなので、腹を立てながらもどこか冷静な部分もあって。そういう時は「お母さんが出ていくぐらいなら、私が家を出るから」と言って外出することにしていました。
マラソンが趣味の私は一走りして、頭を冷やして帰ってくる。そんなことの繰り返しでした。怒りが湧き上がった時はひとまずその場を離れ、外の空気を吸うのは効果的です。
後編「悪循環が好循環に変わったきっかけは…」につづく

