「私たちの苦しみをわからせよう」と遺族が慟哭…福岡女性刺殺事件「加害少年を性的虐待した」母親の罪
福岡の商業施設『MARK IS 福岡ももち』で起きた、少年A(当時15歳)による吉松弥里さん(同21歳)殺害事件。【前編】に続き、少年Aの家庭環境や弥里さんの母親の思いを紹介したい。
事件発生以来、遺族となった母親Cさんがずっと思っていたのは、なぜ娘が見知らぬ人間に包丁でめった刺しにされて殺されなければならなかったのかということだった。
少年Aは弥里さんとは面識がなく、彼は偶然見かけた、名も知らぬ彼女を惨殺したのである。その全容が明らかになったのは、刑事裁判がはじまってからだった。
少年Aが育ったのは、鹿児島の紺碧の海に面した小さな町だった。牧歌的な町の空気に反して、家庭での生い立ちは非常に複雑だった。
彼は生まれつき言語の未発達や多動性が目立ち、2〜3歳の頃には発達障害と診断されて施設に通っていた。本来、そこで専門家の指導を受けながら、家族が特性を尊重して温かく見守り、支えれば、多少なりとも周囲に順応していけるはずだ。ところが、彼の場合は反対に、年を追うごとに暴力性が高まり、言動も支離滅裂になっていった。原因は、劣悪な家庭環境にあった。
両親は共に1977年生まれで、10代で結婚した後に3人の子供をもうけた。長女、長男、そして次男の少年Aだ。
父親は仕事と遊びでほとんど家を不在にしており、たまに帰ってくると家庭内暴力をくり返した。女癖も悪く、よそに愛人も作っていた。
他方、母親のB子も親としての自覚がなかった。家事はほとんどやらず、欲望に任せて遊び回る日々。家の中はゴミ屋敷状態で、子供たちはネグレクト(育児放棄)状態に置かれていた。
「エアガンで顔を撃たれるとか」
こうした家庭のゆがみによって、長男はストレスを抱え、それを4歳下の少年Aにぶつけた。事件後、私が福岡拘置所で面会した少年Aは、次のように語っていた。
「俺にとって、兄は敵っていう感じです。恨みと怒りしかない。いつも訳もわからずに、あらゆる暴力をふるわれていました。いきなり殴られる、首を絞められる、エアガンで顔を撃たれるとか。物をつかって叩かれることもしょっちゅうでした。ムカつきましたけど、4歳離れているからやり返すこともできず、ただやられてたってだけです」
長男による暴力は性的なことにまで及んだ。長男は少年Aに自分のペニスや肛門を舐めさせるなどして自慰行為を手伝わせたのである。
母親のB子も少年Aに性的虐待をしていた。夜な夜な夫との性行為を子供たちに見せつける、少年Aに自分の乳房を舐めさせる、子供の自慰を手伝う、ディープキスをするなどといった卑猥な行為を行っていたのである。
B子は一体何者なのか。私が鹿児島の実家に暮らす父方の祖父にインタビューしたところ、次のような説明があった。
「B子にも障害があったんだよ。病院に孫(少年A)を連れて行って発達障害と診断された時、彼女も同じく発達障害だって言われたらしい。俺が見るに、B子の方が症状が重かった。家の中は足の踏み場もないほど散らかっていたし、何を言ってもちゃんとした受け答えができない。食事だってまともにつくれなかった。外は雑草が生え放題。やろうとしてもできないんだよ」
家でB子がろくに食事すら用意しなかったため、少年Aはホットケーキミックスを舐めて空腹を紛らわせる日々だったという。
ただでさえ生きづらさを抱える少年Aが、こうした家庭環境でより多重的な問題を背負うようになったことは想像に難くない。
小学校に入る頃には、少年Aは周囲に鬱憤をぶつけるようになっていた。周りの人たちに殴りかかる、手あたり次第に物を壊す……。性的虐待を受けていたことから性の目覚めも早く、小学2年生の頃には毎日のように自慰行為にふけるようになっていた。
そんな少年Aの加害性がより顕著になったのが小学3年生の時だった。彼は、拘置所でのインタビューで私に次のように話した。
「ある日、親父に突然(レジャー施設)『R』に連れて行かれたんです。そしたら、そこに親父の愛人のフィリピン人がいた。なんか訳もわからないまま、一緒に遊ばされました。この時に自分の中で吹っ切れたんです。それまで僕の中にはちょっとは良い子にしておこうみたいな気持ちがあった。でも、もうそんなの意味ない、好き勝手しようみたいな考えになったんです」
後に、父親は母親と離婚をし、愛人と暮らすようになる。家庭を捨てたのである。
少年Aの荒れた言動は常軌を逸したものとなっていった。長男から「学校をサボるな」と言われれば、逆上して包丁を持ち出す。店で注意してきた店員に噛みつく。女性の教師にポルノ雑誌を読んでいることを自慢する。異性に性器を見せる……。
彼は私に対して当時の自分について「悪い自分が出てきた」と説明していた。事件を起こした時にも「悪い自分」がやったと語っているが、自分の中の歯止めが利かない状態をそう例えているのかもしれない。
事件への二つのトリガー
B子はそんな少年Aを心配するのではなく、まるで厄介払いするように医療施設へ入所させることにした。だが、そこでも次々と問題を起こすため、他の施設へと転所させられる。
小学3年生から7年の間に、少年Aは、児童心理治療施設、精神科の病院、児童自立支援施設、医療少年院、少年院などをたらい回しにされたのである。少年院に入った後は、向精神薬によって「薬漬け」の状態にされたが、根本的な治療にはならなかった。
少年Aが殺人事件を起こしたのは、中学3年に当たる年齢の時だった。少年院を仮退院した2日後に『MARK IS 福岡ももち』での凶行に及んだのである。
直接的なトリガーは大きく二つある。
一つは、施設にいた時、医師が少年の暴力をおさえるために向精神薬で「薬漬け」にしていたことだ。少年院退院後は、自分で薬のコントロールをしなければならないが、少年Aは制御できるタイプではない。
そのため、医師としては離脱症状が起こらないようにするため、仮退院の前から徐々に薬の量を減らしていかなければならないのだが、それをせずにいきなり薬を取り上げて仮退院させたのだ。これによって少年院を出た時、少年Aの精神は異常な状態にあった。
二つ目は、仮退院後の少年Aの預け先だ。当初、母親のB子が引き取ることになっていた。だが、新しい別の男性と暮らしていたこともあって、仮退院の前にB子が突然それを拒否。少年Aはこれによって激しいショックを受けた。
通常であれば、処遇協議を開き、少年Aにとって最適の預け先を見つけ、関係各所と連携して更生へのプロセスを歩むようにしなければならない。だが、処遇協議を開かぬまま、更生保護施設に入れたのである。
福岡県田川市にあった更生保護施設は、どちらかといえば昔ながらのヤンキーが多く、そうした子たちの更生を得意としているところだった。一方、少年Aはタイプがまったく異なる。薬の離脱症状が出ている彼が、この環境を嫌って離れたいと思うのは必然だった。
その結果、少年Aはわずか1日で更生保護施設を脱走。そして翌日には福岡市内を徘徊した末、万引きした包丁を用いて弥里さんを惨殺する事件を起こすのである。
弥里さんの母親Cさんが、事件の詳細を知ったのは、裁判やマスコミの報道によってだった。それを聞いた彼女が改めて思いを強くしたのが、弥里さんの死を無駄にしないためにも事件が起きた要因を明らかにし、その責任を問うことだった。
弁護士といく度も話し合い、独自に調査をするなどした上で、Cさんは大きく次の4点に問題を見出した。
1、被害者の救助より、利用者の避難を優先した商業施設の警備態勢
2、少年Aが容易に包丁を万引きできた店の管理態勢
3、薬の処方を突然止めさせたり、処遇協議を開かなかったりした国の不十分な対応
4、少年Aと母親のB子に対する責任
1、2に関しては、商業施設の側が対応した。系列の商業施設で定期的に警備に関する研修会を開催し、包丁などを扱う店には鍵の付いたケースに入れて商品を陳列するなどの管理を徹底させたのである。また、施設内に慰霊のための天使のモニュメントを設置した。
3に関しては、国に対して賠償を求めて提訴中である。
そして今回の福岡高裁で判決が出たのが4だ。Cさんは、少年だけでなく、B子も保護者としての責任を果たしていないだけでなく、少年Aが犯罪に走る要因を作ったとして、2人に損害賠償を求めたのである。
「私は心に決めたのです」
裁判で、事件を起こした少年Aだけでなく、B子への支払い命令が出るかどうかは難しいところだった。彼女が不適切な育児をしていたのは事実だが、小学校中学年からにかけては施設の管理下にあったからだ。一審ではこうしたことが加味され、B子の支払い義務はないとされた。
判決が翻ったのは、高裁で行われた二審だった。裁判官は「(B子が)親権者としての当事者意識を欠いた」として、少年Aを施設に預けていたとしても、B子には親権者としての責任があったと認め、息子と連帯して損害賠償を支払うよう判決が下ったのである。
Cさんは次のように話す。
「少年Aがあんなふうになったのは、少なからずB子の責任もあると思います。何もしないのではなく、自分から積極的に少年Aに悪影響を与えていた。事件の原因の一端がB子にあるのは明らかです。
なのに最初に会った時に、B子はいきなり『うちにお金はありません』と拒絶してきた。どんな理由があるにせよ、そんなふうな言い方はありえません。あの時、私は心に決めたのです。仮に彼女にお金がないというなら、ないなりに私たちの苦しみをわからせよう、と。もし彼女が支払いをしないなら、私がお金をかけてでも追いかけていくつもりです」
この裁判で一つ気になるのは、少年Aの父親が提訴されていない点だ。
原告側としては、B子と共に父親の責任も追及したかった。だが、離婚時に親権がB子にいったことで、父親は法的には親権者でなくなっていたため、訴えることができなかったのだ。
これは看過できない矛盾だ。少年Aの人格をゆがめた責任は父親にもある。離婚したからといって、その責任が免除されるのであれば、親権を捨てれば虐待した責任も同時に捨てられるということになる。残念ながら、これが現在の法律の限界なのだ。
今回認められた損害賠償は、約5400万円だ。少年AとB子はどう受け止めているのか。
少年Aは現在、少年刑務所に収監されており、支払う金もなければ、出所した後に社会へきちんと適応し、多額の損害賠償を払えるようになるとは到底思えない。近しい人物の話によれば、少年Aの心にはまったく響いておらず、むしろ「自暴自棄」にさせる可能性も高いという。
B子の方は、今回の判決が出て上告した。自分には責任がなく、支払い義務も生じないと信じているのだろう。これによって、最終的な判断は最高裁判所に持ち越されることになった。
弥里さんの母親は次のように話す。
「少年AもB子も事件に向き合っているとは思えません。言っていることも、していることも、何もかもおかしい。彼らはずっと私や殺された弥里を侮辱したり、傷つけたりしているだけなんです。なんで普通に生きていただけなのに、こんな目に遭わなければならないのでしょう。
悔しくて悔しくて。民事訴訟をしているのは、少しでも彼らに事件と向き合わせたいからです。向き合えば、違う言葉が出てくるはずだと思っています。それが、私が弥里にしてあげられることなのです」
最高裁判所は、どういう判断を下すのか。
仮に、支払いが言い渡されたとして、少年AとB子はそれに応じるのか。
もしそうでないとしたら、彼らを事件に向き合わせ、「違う言葉」を引き出すには、何をすべきなのか。
6年前に起きた事件が問いかけてくることの意味は大きい。
取材・文:石井光太(ノンフィクション作家)

