メディアチャネルの増加によって可処分時間の奪い合いが過熱しているなか、コンテンツ消費の新たな場として「移動時間」が注目を集めている。都市生活者が移動するインサイトに着目し、モビリティ内のメディアにビジネスチャンスを見出す動きが広がっている。タクシーサイネージメディア「GROWTH」は、都内1万1500台のタクシーと連携し、月間770万人のタクシーでの移動時間に、広告や情報コンテンツ、新たな体験を届けることを可能にしている。ジェイアール東日本企画(jeki)は2024年4月、首都圏JR主要10路線とゆりかもめの車両に設置されたデジタルサイネージ約5万面を対象とする、新たな番組配信プラットフォーム「TRAIN TV」を開局し、週にのべ8400万人(jeki調べ)に情報やコンテンツを届けている。タクシーや電車という限定された空間・時間で、クオリティの高い動画を提供している2つのメディアは、移動する乗客たちのアテンションを獲得する視聴体験をどのように作り出すのか。また、それらの体験にどういった価値を見出していくのか。本稿は、2024年5月30日に開催されたDIGIDAY PUBLISHING SUMMIT 2024において行われたセッション「山手線やタクシーが『テレビ』になる日。メディア化するモビリティ」をレポートし、移動体験におけるモビリティメディアの現在地と未来を紹介する。

移動時間にこそビジネスチャンスがある

GROWTHとTRAIN TVは、どちらも移動時間をビジネスチャンスと捉えたサービスを展開している。GROWTHを運営する株式会社ニューステクノロジー代表取締役の三浦純揮氏は、タクシーの平均乗車時間である18分を大きなビジネスチャンスだと考える。「18分というのは、パソコンを開いて仕事するには短く、かといって何もしないでいるには手持ち無沙汰という、いい意味で中途半端な時間。だからこそ、媒体や広告がアプローチする余地があった」と三浦氏。「東京都内でのタクシーの利用シーンはビジネスユースであることが多く、この時点ですでにユーザーの選別がある程度できているという点も大きなポイントだった」。

GROWTHのサイネージ。都内法人タクシーの約42%をカバーする1万1500台を設置

株式会社ジェイアール東日本企画のTRAIN TV事業部ブランドマネージャーである中里栄悠氏は、移動者そのものに大きなマーケティング価値を見出している。長年にわたるjekiの研究から、「移動が活発な人ほど新商品への関心・購買力が高く、イノベーターやアーリーアダプターなどにあたる先進的な消費者が多く含まれている。またそうした層はSNSなどを通じた発信力が高い傾向も見られる。つまり移動空間でのコミュニケーションは、必然的にポテンシャルの高い層へのターゲティングを意味する」と中里氏はいう。「jekiの首都圏生活者を対象にした購買行動調査によると、39.5%の人が移動中に何を買うか決めていた。移動中にたまたま見かけた店に入って買ったり、ふと思い立ってコンビニやスーパーに寄ったりしていた。そうした調査結果から、買い物行動そのものが非常に衝動的であり、その衝動が生まれるのが移動中だと捉えている」。さらに、「jekiの調査研究では、生活者の買い物の3分の1は移動中に決められた買い物で占められていた。移動中にふと思い立って店に立ち寄ったり、たまたま見かけたコンビニやスーパーに寄ってなされた買い物が、買い物のかなりの部分を占めている。つまり買い物行動そのものが非常に衝動的であり、その衝動が生まれるのが移動シーンだ」と付け加えた。

今年4月に開局したTRAIN TVのサイネージ

コンテンツの質にこだわる理由

GROWTH、TRAIN TVはともに、高クオリティの自社制作コンテンツを週替わりで放映している。GROWTHでは、2022年から「HEADLIGHT」という1本20秒の自社制作のコンテンツを広告枠の合間に放映している。現在はアナウンサーの安東弘樹氏(元TBS)と森香澄氏(元テレ東)をMCに起用し、企業のトップインタビューや都内のお出かけ情報などをコンパクトに伝えている(ちなみに、「HEADLIGHT」にはメディアタイアップ枠もあり、タイアップコンテンツも放映している)。

GROWTHの自社制作コンテンツ「HEADLIGHT」。ニュースやイベント情報、都内のグルメランキングなども人気だ

2024年4月に開局したTRAIN TVは、1番組60秒、広告を含めた計20分の編成をロール(繰り返し)で放映している。「電車の中のテレビ局」をキャッチコピーに、お笑い、ドキュメンタリー、グルメ、料理、豆知識・教養、ランキング、ビューティなど、テレビでもおなじみのタレントが多数出演するさまざまなジャンルの動画を、「TVクオリティ」で制作しているのが大きな特徴だ。

TRAIN TVの開局時の番組ラインナップ。「無音の60秒」の制約下で、個性的な番組づくりを志向している

なぜデジタルサイネージでここまでコンテンツを制作する必要があるのか。中里氏は、「シンプルに言えば、強いコンテンツがなければ、アテンションが奪えないから」だと断言する。JR東日本の車内サイネージ「トレインチャンネル」は2002年に放映を開始。当初は電車の中で動画が見られることに大きな価値があったが、2000年代後半以降のスマートフォンの爆発的普及で、電車内の環境は一変した。「強制視認性の高いOOHは最低限のコンテンツで良いという考えが暗黙に存在するが、OOHの中でも特殊な環境にある車内サイネージはその考えをアップデートする必要がある。本来、コンテンツで人のアテンションを集め、その合間に広告チャンスがあるというのがメディアと広告の間にある大前提。車内サイネージはそれに倣い、コンテンツ力を高めていく必要があると考えている」。一方、タクシー内の専任視聴という環境のなかで、コンテンツ以外にユーザーのアテンションを得るための仕掛けとして三浦氏が考えているのが、車内サイネージの多機能化だ。ユーザーにとって便利な機能を搭載し、使いやすい仕組みを作りサイネージの必要性を作ることが、結果的にはコンテンツの長期視聴に繋がるという。その一例が決済システムの導入だ。「導入前は画面オフ率が3%以上あったが、導入後は1%以下になった」。また、2024年5月にはNFC機能を導入し、「手元のスマートフォンをタブレットにかざすだけで、シームレスに放映コンテンツの関連情報やお得なクーポン情報、YouTubeやSNSへのアクセスが可能になった」という。将来的にはこのNFC機能を活用し、目的地をドライバーと共有できるサービスも検討している。サイネージを複合的に活用できるようにすることが、「最終的にはアテンション向上にも繋がるのではないかと考えている」。

三浦純揮氏

「制約」をどう活用するか

両氏が口を揃えて指摘するのが、モビリティで展開するメディアならではの難しさだ。人がタクシーや電車に乗るのは移動することが目的であって、コンテンツが見たいから乗るわけではない。「車内サイネージは、見方によっては移動中の方にコンテンツを見せてしまうものとも言える。多くの方を楽しませながらも、多様な価値観や考えを持つ乗客への配慮が必要」と中里氏はいう。そうした前提を置きつつも、TRAIN TVが開局時より意識するのは、「いつも広告が流れている画面」だった車内サイネージを、「テレビのような番組コンテンツが流れているメディア」というパーセプションへと変えていくこと。そのために番組コンテンツのクオリティはもちろん、「TRAIN TV」というメディアそのもののブランディングに力を入れている。番組の前後にTRAIN TVのロゴを印象的に使うなどして、「名も無き動画」ではなく、ひとつの放送局の番組コンテンツを観ているような感覚を生み出そうとしている。開局直後に行われたアンケート調査では、TRAIN TVの存在を認知した乗客の6割は「以前より車内サイネージを観るようになった」と回答しており、大きな手ごたえを感じている、と話した。

中里栄悠氏

ブランディングに伴うもう一つの取り組みが、SNSを活用した新しい視聴体験の提供だ。TRAIN TVは週ごとに放送内容が変わるが、その告知にSNSを積極的に活用し、Webサイトでは見逃し配信を行っている。これによって、乗車前に期待を作り、視聴後にその感想をSNSなどを通じて拡散してもらう。「毎日乗る電車を核に、乗車前、乗車中、乗車後の一連をつなぐことで、新しい情報体験へと変えていきたい。まだ始まったばかりで道半ばだが、スマホと車内の時間を奪い合うのではなく、TRAIN TVとスマホが融合された、ほかにはないエクスペリエンスを生み出していくことが私たちのゴールだ」と語った。

これからの移動体験はどうなる?

モビリティ分野では、EVや自動運転、カーシェアリングなど、さまざまな技術革新や変化が起こっている。今後の中長期のスパンで、移動体験はどのように変わっていくのだろうか。三浦氏は、自動運転が一般化すれば、タクシーも自動化され、現在のようなタクシー広告のビジネスモデルは成り立たなくなるのではないかと考えている。三浦氏が近未来で構想しているのは、目的地が明確であるというタクシーの特性を活かしたコンテンツ配信だ。「目的地周辺のおすすめ情報は、時間帯や属性で区切ることでさまざまなコンテンツを配信することができるはずで、こうしたタクシーならではのコミュニケーション設計によって、より乗客の利便性を高めていきたい」。中里氏は将来的に、移動の価値そのものを変えることに挑戦していきたいと考えている。「テレワークやネットショッピングなど、わざわざ移動しないでできることが劇的に増えた。結果、世の中はいわば「移動減少社会」に移行していると言ってもいい状況にある。そのなかで、私たちは移動時間を無駄なコストではなく、価値ある体験へと変えていかなければならない。TRAIN TVもそのひとつの取り組みと捉えることができる。今後も試行錯誤しながら、新しい移動体験の創出に取り組んでいきたい」と語り、セッションを締めくくった。Written by 内藤貴志Photo by 三浦晃一