和歌山県の漁港を選挙応援のため訪れていた岸田文雄首相を狙い、爆発物が投げ込まれる事件が発生したのは、4月15日のこと。

【写真】安倍元首相の銃撃事件に巻き込まれ、車に轢かれそうになった女子高生

 威力業務妨害の疑いで現行犯逮捕された男は、木村隆二容疑者(24)。

「木村容疑者は昨年行われた参議院選挙で立候補できず精神的苦痛を受けたとして、国を相手に損害賠償請求を求める裁判を起こしていました。立候補するには300万円の供託金が必要になるのですが、その金を用意できなかった。これが事件の動機と関連しているのではないかと見られています」(全国紙社会部記者)

 幸いなことに死者や重傷者は出なかったが、事件を巡り、ある“疑惑”が持ち上がる。

「事件直後に各マスコミが行った岸田政権の支持率調査が発表されたのですが、多くの調査で先月よりも支持率が上昇していたのです。この結果が不自然だとして“岸田首相襲撃事件は自作自演”だとする陰謀論が、SNSを中心に語られているのです」(WEBメディア編集者)

関係者が指摘する“矛盾点”

 こうした“陰謀論”は、昨年7月に発生した安倍晋三元首相の暗殺事件直後も噴出していた。

「暗殺事件は“安倍元首相が総理大臣に返り咲くための自作自演だ”とするデマがSNSなどで拡散されました。ほかにも聴衆の中に犯行に加担している人がいたのではないかといった話や人種差別的な投稿も見受けられました」(同・WEBメディア編集者)

 ありもしないデマが拡散されたが、この事件についてさまざまな“矛盾点”があると声をあげる人物がいる。

「自作自演なワケがない。誰が好んで殺されるのでしょう」

 そう話すのは安倍元首相を師と仰ぐ自民党の高鳥修一衆議院議員だ。

「私が話すことは決して陰謀論ではありません。この事件には辻褄の合わないところがいくつもあるのです」(高鳥議員)

 その“矛盾点”を説明する前に、まずは事件について振り返りたい。

 事件は'22年7月8日の午前11時半ごろ、近鉄大和西大寺駅前の路上で安倍元首相の街頭演説中に発生した。背後から近づいた山上徹也被告が安倍元首相に向けて2度発砲。このとき撃った弾丸が安倍氏を直撃したのだ。

「銃撃から約50分後に奈良県立医科大学附属病院に運ばれ緊急手術が行われましたが、同日午後5時3分に死亡が確認されました。その後、大学病院は安倍氏の受けた傷について説明する会見を行いました。そこで救命医は“首には2か所の銃創があった。おそらく首の付け根の右前(=右前頸部)から体内に入った弾丸が心臓に穴をあけ致命傷となった。左上腕部には射出口が認められた”と説明をしたのです」(前出・社会部記者)

 しかし、同大学病院で行われた司法解剖の結果は、まったく違う内容だった。

「解剖結果では、左上腕部から体内に入った弾丸が左右の鎖骨下動脈を傷つけ失血死に至る致命傷を与えた。首には2か所の銃創があり、1か所は銃弾による傷だが、もう1か所は原因を特定できなかったと発表されたのです」(同・社会部記者)

 だが、この銃創の詳細が明らかになる。'22年9月30日に奈良県議会で奈良県警本部長がこんな説明をしたのだ。

「首の銃創は右前頸部の1か所で、その近くに擦過傷、つまり“かすり傷”があったと明らかにしたのです。そして“右前頸部が射入口となり体内に入った弾丸は右上腕骨に至っていた。心臓には銃による傷はなかった”と説明がなされました」(同・記者)

なぜ説明に齟齬が生じたのか

 この経緯から浮かび上がるのは3つの“矛盾点”だ。

 第1の矛盾は『救命医の所見と解剖結果の食い違い』。

 救命医は右前頸部から銃弾が入り、弾が心臓に達したことで穴があき致命傷となった、と説明するが、警察は左上腕部から入った弾丸が左右の鎖骨下動脈を傷つけ致命傷となったと話し、心臓の穴もなかったとした。なぜ、このような齟齬が生まれるのか?

 法医学の権威で、千葉大学大学院法医学教室の岩瀬博太郎教授は、

「救命医は傷の鑑定に不慣れですから、私たちが行った解剖結果とまったく違うということはよくあること。なにより救命医は命を救うことが仕事です。われわれが証拠保全のため解剖をする前に、弾丸がどこから入り、何が致命傷になったのかなど、会見を開かせ救命医に聞くことが間違いなのです。私は解剖結果が間違っているとは思いません」

 心臓の傷の有無についても食い違うが、ここにはある情報が追加される。

 自民党の青山繁晴参議院議員が安倍元首相の心臓の傷について警察庁幹部に問いただしたところ、

「挫滅(ざめつ)があった」

 との回答を受けたことを自身のユーチューブチャンネルで明かしている。

 挫滅とは外部からの強い圧力などによって、その組織が破壊されることをいう。つまり、安倍元首相の心臓に外部からの圧力が加わり傷ついていたということ。ただ、銃弾による傷ではないことも青山議員は明らかにしている。

 銃弾による傷でないのであれば、何が原因だったのか。

 銃創治療に詳しく、救命救急医療の第一人者である二宮宣文医師は、

「治療を行う中で開胸をして直接心臓マッサージをする際に医師が傷つけてしまうことは確かにある。ただ、今回の件では救命医がつけた傷だとは思いません。銃弾を受けるとその衝撃波が全身に広がり、心臓に穴をあけることがあるのです。私は、その衝撃波によって穴があいた可能性があると考えている」

 第2、第3の“矛盾点”は、安倍元首相の暗殺事件を巡り『週刊文春』でも検証がなされた『弾道』と『消えた銃弾』についてだ。

 前出の高鳥議員が話す。

「私が訴えているのは、山上被告が放った銃弾の弾道と安倍元首相が受けた銃創の位置が一致しない可能性があるという物理的な問題です」

 どういうことなのか。

「山上被告は安倍元首相のほぼ真後ろから銃を撃っているのですが、安倍元首相が自然に振り向いた状態では、喉仏の下にかすり傷を負わせることはできても、右前頸部を目視することはできない。つまり右前頸部に弾を当てることは不可能なのです。かすり傷よりも手前に射入したなら首の左側に当たらなければおかしいでしょう」(同・高鳥議員、以下同)

専門家の見解

 仮に安倍元首相が大きく振り返ったならば、確かに右前頸部に弾は当たるが、今度は擦過傷をつけた弾丸も体内に射入してしまう。

「さらに説明がつかないのは右前頸部から入った弾丸が右上腕骨で発見されている点です。演台に乗っている安倍元首相に向けて下から撃った弾が仮に右前頸部に当たったとしても下に向かって動くことはありえない」

 高鳥議員は真相究明のため、さまざまな専門家に意見を求めてきた。

「銃創に詳しい医療関係者は“頸椎に当たって下に向かう弾道を描いたのではないか”と話しました。そうなると弾丸は射入口と頸椎を結んだ延長線上から飛んできたということになる。安倍元首相が大きく振り返った場合には起こりえるが、そうなると致命傷となった左上腕部に当たった弾丸が鎖骨下動脈の方向へと向かう弾道を描かない。つまり、すべての条件を満たす解はないのです」

 海外で銃器の試射や対物実験を行う銃器研究家の高倉総一郎氏は、こんな見解を示す。

「北側を向き、足を組み替えず自然に振り返った状態だと、真後ろにいた山上被告に対して上半身は垂直に近い状態になっていたと考えられます。その状態で、右前頸部に弾丸が射入することはありえません。ただ、それは右前頸部の銃創が本当に射入口であれば、の話です」

 そう話し、高倉氏はこんな仮説を立てたと続ける。

「頸部に擦過傷をつけた傷が射入口であり、右前頸部の銃創を射出口であると仮定したならば、すべてに矛盾しない説明が可能です。擦過傷の位置と右前頸部の銃創の高さが違っていますが、後ろに振り返った状態だとその高低差はなくなるのです」

 しかし、弾丸が貫通したとなれば首に穴があくのではないだろうか。擦過傷ができている状況と矛盾する。

「浅い角度で弾丸が貫通すると、皮膚表面の剥離や欠損を伴う銃創ができることがあります。実際にそのような状況で、一見すると擦過傷にしか見えない傷が射入口である例も存在します」(同・高倉氏)

『消えた銃弾』の答え

 高倉氏の仮説どおり、擦過傷が射入口であり、右前頸部の銃創が射出口という1発の弾丸により負った傷というのであれば説明がつく。

 致命傷となった左上腕部から入った『消えた銃弾』についても答えが出る。

「単純に左上腕部から入った銃弾が左右の鎖骨下動脈を損傷させ、右上腕骨に至ったと考えれば矛盾はありません」(同・高倉氏)

 右前頸部の射出口から体外に出た弾丸は、現場付近で落ちたのだろう。現場検証が行われたのは、事件の5日後だから銃弾の行方がわからなくなっても違和感はない。これらはあくまで仮説だが、前出の高鳥議員もこう話す。

「私も仮説として左上腕部から入った弾丸が、右上腕骨に至った可能性について考えました。しかし、警察は右前頸部の銃創が射入口であり、その弾が右上腕骨にあったと話している。これではどうしても説明がつきません。医療関係者は“どこか前提が間違っているのではないか”と話していましたが……」

 すでに安倍元首相の遺体は荼毘に付され、再検証することは叶わない。裁判ではこうした疑問点が解消されるのだろうか─。

 2年続けて政府要人を狙った犯行が続くが、テロ対策に詳しい公共政策調査会の板橋功氏はこう警鐘を鳴らす。

「国民の安全を担う日本の行政庁の長が殺害されれば、行政が停滞したり安全保障や外交上の問題に発展したりする可能性がある。だからこそ今回の事態を重く受け止め、今後の首相および現職閣僚の選挙遊説は、屋内で手荷物検査ができる状況を確立するべきだ」

 2度と同じ悲劇を繰り返してはいけない。