─今回は韓国国内からの投票と、それ以外の国々からの「グローバル投票」の2種類があり、国内票50%、グローバル投票50%の割合で換算されるルールでした。日本と中国を含む他地域からの票に比べ、韓国国内のポイント比率が高いという仕組みです。序盤は残るメンバーのKCJの人数の比率も均等になるような仕組みになっていましたね。

松本:韓国は、中国や日本と比べると人口が少ないので、そこで不平等が生じないように制約や傾斜を設けたのだと思います。また一方で、Kメンバーに有利になりすぎてしまうと、それはそれで「グローバル」の意義がなくなるので、舵取りが難しかったことは想像できます。最終的なデビューメンバーについても、たとえばCやJのメンバーがゼロという結果は避けたかったはずです。

─当然ながら結果を直接「操作」することはできないわけですから、投票制度や番組進行の仕組みを調整することで、コントロール不能な投票結果をコントロールしようとした、と。

松本:そう思います。その結果、仕組みが複雑になりすぎたことや、投票に偏りが生まれるかもという懸念で批判が集まったわけですよね。

しかし問題は、そもそもこうした運営による「調整」が、「視聴者投票型のサバイバルオーディション」のコンセプトと根本的にバッティングしてしまっているということです。

投票の仕組みを調整することで結果を一定の範囲に収められるのであれば、そもそも「投票数が人気を反映している」という建前自体が崩れます。もっといえば、「グローバル投票では人気だけど韓国国内ではそうでもない」という結果が票差という形で極端にあらわれてしまったときに、そのメンバーは果たして「人気」と表現できるのか。

別の言い方をすれば、いままでの『プデュ』シリーズの投票制度は、シンプルであるがゆえに理不尽が受け入れやすかったとも言えます。本来は優劣をつけられないものを、「無理矢理」視聴者投票で決めるということに意味があったというか。今回は複雑になりすぎた結果、視聴者投票が本来もっていた不完全さが浮き彫りになってしまったような印象です。

■字幕や通訳の問題。それぞれの文化的差異について理解を促してほしかった
─菅原さんはいかがですか?

菅原:運営サイドの問題点という意味では、通訳や翻訳でも課題があったように感じます。練習中に専門の通訳が常駐していなかったことによる練習生の負担は大きかったと思いますし、放送の字幕が発言のニュアンスを拾い切れておらず、視聴者に誤解が生じたり悪意的に受け取られたりしてしまうような局面もありました。

─3か国合同ならではの面白さもあった一方で、それゆえに起きる事態へのケアが足りてなかったということですね。

菅原:そうですね。言語以外の面でも、K-POP的な練習の進め方に沿わない参加者に対してネガティブに映りかねない編集が施されていた場面もあったと思います。

『ガルプラ』はK-POPグループ結成を目指すオーディションなので、K-POPの規範が基準となるのは納得できることです。しかし、参加者も視聴者もトランスナショナル性が前提となっているオーディションにおいて番組側がローカルな評価軸を強調するような演出をしてしまうことは、「グローバルグループの結成」という目的意識の不徹底さを感じました。

それどころか、各参加者の言語や文化を背景にしたファンダムとそうでないファンダムとで大きな見解のズレが生じ、論争が起こってしまうケースも見られてしまった。参加者にフェアな競争の場を用意し、また余計な摩擦を予防するためにも、運営はむしろそれぞれの文化的差異について理解を促してほしかったです。