「いえいえ、そんなことないです。CMの影響だと思いますよ」

 テレビで見ない日はないですね、という本誌記者の言葉に、控えめにそう答えたのは、お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹(51)だ。

“破竹の快進撃” と言っても過言ではない。地方局を含め、テレビのレギュラー番組が7本、出演するCMが4社。さらに、俳優として連続ドラマにも出演。いまや、“超” がつく売れっ子だが、本人はいたって普通。

「俺ね、ソーセージが大好きなんです。この前もスーパーで、賞味期限間近のものが30%引きで売ってたので、ピーマンと炒めようと思ってカゴに入れたんです。そしたらおばちゃんに、『(番組の)ロケ?』って言われました(笑)。今日食べるなら問題ないし、割引商品は全然平気ですね」

1992年「La.おかき」結成当時

 芸能界入りは1990年。最初に組んだコンビはわずか1年で解散。1992年に、村山ひとし(現放送作家)と「La.おかき」を結成する。

「村ちゃんは、おもしろいやつだったんです。でも、まったく趣味が合わない。村ちゃんはアイドル好きのインドア派で、俺はアウトドア派。まだイチローさんがオリックスにいたころ、東京ドームのチケットが手に入ったんで、村ちゃんを誘って行ったんですよ。

 イチローさんがバッターボックスに入って、ドームがウォーっと盛り上がってるのに、まったく興味がない。『あのビールの売り子の女のコ、不動産系のCMに出たらいいな』と、ずっと言っているみたいな……」

 そんな村ちゃんとは、5年で解散することに。申し出たのは村ちゃんだった。

「『飯尾さん、夢ありますか? 僕はもう夢がない』って言われて。『俺はテレビのセットの中とかで、コントをやりたいな』って話したんですけど、村ちゃんは『お笑いの夢がない。ほかに好きなことが見つかったんで』と。

 村ちゃんは本当にアイドルに詳しくて、テレビ局の方に重宝されてたぐらい。だから、そっちの道が合ってたんですよね。

 でも、村ちゃんはおもしろかったなぁ。解散して仕事がなくなったときに、『ああ、村ちゃんのおかげだったんだな』って、しみじみ思いました」

 残った仕事は、1年に10日間ほど上演される事務所の先輩・関根勤(67)が座長を務める舞台と、キャイ〜ンのラジオ番組のみ。ラジオ番組は「La.おかき」として出演していたので、飯尾だけを残すのは……ということになったが、ディレクターたちが配慮してくれた。

「ギャラが出るように、“タレント兼作家” みたいな扱いにしてくれましてね。週に1度、会議に出席したあと、メシを食わせてもらったり、飲みに連れてってもらったり。交通費も出してくれました。

 もう本当に皆さんに保護され、保護され……。ありがたいですよね。家だけはあったので、なんとか大丈夫だったんです」

 飯尾はこのころ、一軒家に住んでいた。しかも、間取りは4LDK。

「祖母が亡くなったあとに空き家になった母の実家に、管理人代わりに住むことになりまして。風呂完備、テレビは3台、湯沸かしポットに、ホットプレートつきです。

 キャイ〜ンと同期なんですけど、ウド(鈴木)も天野(ひろゆき)も、売れる前は四畳半の風呂なしアパートから。ワンルームに引っ越すなんていったら、もうお祝いです。その次が1LDK。

 なのに俺は、最初から成功者みたいな暮らしをしてました。だからハングリー精神がなかったんじゃないか、ってね(笑)」

「みんなでスベって、ウケた30年に『ぺっこり45度』」

 最初こそ「成功者の家」にひとり、優雅に暮らしていたが、「家賃が払えず大家に追い出された」という後輩に、「タダだから来れば?」と声をかけていたら、1人、2人と引っ越してきた。のちに相方となる、やすも加わり、ついには6人での共同生活となった。

「俺は寂しがり屋で、しょっちゅう、ウドの家に泊まりに行ったりしてたんで、共同生活は楽しかったです。

 ただ、驚いたのが水道代。みんな、今まで銭湯通いだったんで、毎日、風呂に入るんですよ。しかも入るたびに、お湯を入れ替えるから、水道代が月に4万円超えちゃいましてね。

 当時は給料制で、4万円払ってちょっと使ったらなくなっちゃう。事務所から前借りをすると、明細のところに『あまり奢りすぎちゃダメよ。経理・中村より』なんて書いてあって(笑)。

 それからは、月に5000円ほどの光熱費だけは、(同居人たちから)もらうことにしました」

 住む家には困らないが、事務所からの前借りを返しては、また前借り。借金が減らない日々を過ごすが、飯尾は先輩芸人。後輩には奢らないといけない。

「やっぱりそこは芸人ルールでね。そのころ、ありがたかったのがロケ弁当。ウドが、テレビ局の弁当を持って帰ってきてくれて、家にタクシーで届けてくれましてね。

 俺を飲みに連れて行ってくれるときも、タクシーで迎えに来てくれて、同居人の後輩たちのために弁当を持ってきてくれる。みんな、ウドが迎えに来るってわかると、家の前でタクシーが来るのを待っていて、『ウドさーん、そんなそんな』って言いながら、弁当を受け取る。

『お笑いトキワ荘』なんて言われてましたけど、誰もヒットしてないじゃないか、アシスタント止まりじゃないかって。みんな、伸び悩んだ時期だったんですよね。本当に、ウドと天野には助けられました」

 寂しがり屋の飯尾にとっては、心地いい共同生活だった。だが、厳しいお笑いの世界。「食っていけないから」と夢を諦め、実家に戻って家業を継いだり、サラリーマンになったりと、お笑いトキワ荘から1人、また1人と去って行った。

「送別会が、本当に寂しくてね。みんなで飲むんだけど、朝起きると、出て行くやつがいなくなってるんですよ。6人いたのに、最後は俺とやすだけ、ぽつんと残っちゃった」

2000年結成の「ずん」。飯尾は、「やすは、おもしろい存在」と話す

「だからというわけではない」が、飯尾とやすはコンビを組むことになる。当時、やすは別のコンビで売れかけていたが、相方が家業を継ぐことになり、ひとりになったタイミングでもあった。

「『最後の在庫品で組むか』ってことになって。関根さんや小堺さんやキャイ〜ンは喜んでくれました。

 ただ、やすは『自分も仕事がゼロだから、飯尾さんもゼロにしてほしい。同じ気持ちじゃなきゃコンビは組めない』って言いましてね。当時あった関根さんの舞台と、キャイ〜ンのラジオの仕事をやめてほしいと。

 その話をした帰り道、公園で缶コーヒー飲みながら考えたんですよ。『面倒くせえ』ってちょっと思って、ピンでやっていくかと。そうしたらスイッチが入って、コンビニに寄って、ノートとシャーペンを買って、ピンネタを考え始めました。

 4LDKの家にホットプレートまであったから、真剣になるのが遅すぎたんです」

「忍法〜メガネ残し!」

 ところが、お笑いトキワ荘で同居していた後輩が、「絶対に飯尾さんと組むべき」と、やすを説得。2000年、「ずん」を結成する。飯尾は32歳、やすは31歳のときだった。

「うちの両親は公務員なんです。親父は『30歳まで好きなことやってもいい』と言ってくれてたんですが、32歳、2年も過ぎてから好きなことを始めちゃいました」

 同居していて気心も知れている、やすとのコンビ。滑り出しは順調と思われたが、なかなかそうはいかなかった。

「 “リンスとリンスが組んじゃった” って感じで、まったく泡立たない(笑)。艶だけはよくなりましたけど、ベタつくだけ。さらにタチが悪いのは、“違う香りかよ” って。

 鉛筆と消しゴムで組めばいいのに、消しゴムと消しゴムで組んじゃったもんだから、チャンスを消してくみたいな。しかも砂消しですよ、下地まで消しちゃう」

 飯尾が今でも忘れられないのは、初めての舞台。デビュー戦での、やすの姿だ。

「俺は朝からメシが喉を通らなくて、どうなるんだろうって。そしたら、やすが『相方よ、落ち着いてくれ。ボケとアドリブさえ考えてくれたらいいから』って言うんですよ。

 俺は中高の部活動が野球とバレーボールで、自分のエラーは誰かがカバーしてくれた。でも、やすはずっと柔道をやっていて、柔道の推薦で大学に行くぐらい強かったんです。『やっぱり個人で勝負をしてきた男は違うな、やすと組んでよかったな』って思ってたんですよ。

 ところが、いざ本番が始まったら『どうも〜、ずんです』という挨拶を『どうも〜、どんです』って噛んだんですよ。驚いて横を見ると、下唇を噛んで耳まで真っ赤にしている、やすがいた。

 無事に舞台を終えてからツッコんだら『やっぱり柔道とは違うな、あははは』って豪快に笑ってて。やすは本当にすごい。ああいう存在は、助かります」

 コンビを組んで20年。『やすと組んでから、いい風が吹いてきた』と話す。ここ数年は俳優としても存在感を発揮。連続ドラマ『私の家政夫ナギサさん』(TBS系、9月1日に最終回放送済み)には、医薬品卸売会社の営業課長役として出演した。

「多部(未華子)ちゃんに情報を教えてあげる役なんで、顔を近づけてコソコソ話すシーンが多いんです。ドラマを観たおふくろが電話をかけてきて、『和樹って、こんなに顔が大きかったっけ? って思っちゃったわよ。あははは。まあ頑張ってね』って、電話切られましたけど(笑)。

 のんきな役とか、自分に近い役は楽しくていいですね。『寅さん』(『男はつらいよ』)を観てたので、渥美清さんとか、笑わせてくれる役者さんは大好きでした。喜劇とかいいですね〜」

 飯尾と同時期にデビューしたお笑いコンビには、キャイ〜ン、ナインティナイン、くりぃむしちゅーなどがいる。かなりの遅咲きである。一気に売れちゃうと、生活が変わったりとか……。

「まったくないですね。時計や貴金属が好きなわけじゃないし、免許を持っていないので高級車もないです。

 免許は出川さんから、『飯尾くん、免許取ってよ』と言われましたが、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)が特番からレギュラー枠になるときに、やっと原付の免許を取っただけですから(笑)。

 そうだ、後輩を旅行に連れて行けるようになりましたよ。飲みに行くときも、『後輩が8人か』って、人数を見てドキッとすることはなくなりましたね。以前だったら『月曜日と水曜日な』と、4人ずつ分けて連れて行ってましたから」

 バラエティにドラマに映画にエッセイ。多方面で活躍する飯尾に、今後やってみたいことを聞いてみた。

「やっぱり、お笑い番組をやりたいですね。バカバカしくてなんか笑える『ザ・お笑い』というのを、やりたい。

 それでまた、みんなでスベった、ウケたって言いながら、ガハハって笑いながら飲みたいです。冠番組ですか? そんなそんな。冠番組なんて、めったに持てないですから。でも、もしお話がきたら、もちろん二つ返事でお受けします」

 どこまでも控えめ。彼がこんなにも多くの人に求められるのは、ぺっこり45度の人柄ゆえだろう。

いいおかずき
1968年12月22日生まれ 東京都出身 1991年デビュー。2000年にやすと「ずん」を結成。『これって私だけ?』『ノンストップ!』(フジテレビ系)の木曜日コーナー「ワリカツ! 〜おトクな割引生活〜」レギュラー出演のほか、『私の家政夫ナギサさん』に出演。エッセイ『どのみちぺっこり』(PARCO出版)発売中

(週刊FLASH 2020年9月15日号)