ベビーパウダー使用の美容部員に“アスベスト労災”認定…「知らず知らず吸い込んでいる可能性は誰にでも」専門医が教える“気を付けるべき”初期症状とは?
アスベスト(石綿)の被害といえば、建設現場や解体工場を思い浮かべる人が大半だろう。しかし、その「常識」を揺るがす前例のない労災認定が下された。
1970年代に化粧品販売員として働いていた女性(2024年死去、当時68歳)が中皮腫(※)を発症。その原因について、商品として扱っていた化粧品やベビーパウダーに混入していた石綿(アスベスト)を吸い込んだ可能性を排除できないとして、2025年12月仙台労働基準監督署が労災を認定した。
※胸部や腹部の臓器を覆う中皮と呼ばれる膜(胸部では胸膜、腹部では腹膜)に発生する悪性腫瘍(がん)。アスベストが原因で発症するとされる。多くは胸膜に発生し、以前は「悪性胸膜中皮腫」と呼ばれていたが、現在では単に「胸膜中皮腫」と呼ばれる。
身近で肌に直接触れる製品から発生した、全国初の「化粧品販売員」への労災認定。これには消費者からも「子どもの頃はお風呂あがりにベビーパウダーを使っていた記憶があるんだけど、、」「多くの消費者も吸ってしまっていると思う」など不安の声があがっている。
専門医はアスベスト疾患の初期症状は「空咳や胸の痛み」だと説明するが、一方で「自覚症状がないうちから過剰に心配する必要はない」とも話し、消費者らに冷静さを求めた。中皮腫のメカニズムや現行の補償、今後の課題について、専門家に見解を聞いた。(ライター・佐々木佳)
「化粧品販売員として初」のアスベスト労災認定労災が認定されたのは、1974年から77年にかけて化粧品会社で販売員(美容部員)として働いていた宮城県内の女性。約50年後の2024年4月に悪性胸膜中皮腫と診断され、療養中に労災申請を行ったが、同年10月に亡くなった。
患者支援団体「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」のサポートで遺族が請求を引き継ぎ、2025年12月に労災と認められた。同会によると、元化粧品販売員にアスベストに関する労災が認定されたのは全国初の事例だという。
今回のケースが明らかになったのは2026年3月。同会にはかつて化粧品販売員だった人から多くの相談が寄せられているという。SNSでも不安の声が上がり、化粧品各社は「現行製品はアスベスト非検出」という発信を相次いで行った。
身近な製品に潜むリスクをどのように捉えれば良いのか。そして、万が一自分や家族がアスベストを原因とする疾患になった時の対応は。
長年アスベストが原因とみられる呼吸器疾患の診断・治療に取り組み、中皮腫手術の第一人者としても知られる産業医科大学病院(北九州市)の田中文啓(ふみひろ)前院長(現在は北九州総合病院・特別顧問)は「発症数は多くないので、過剰に心配する必要はない」としたうえで「体調に違和感を覚えたら早期に受診を」と呼びかける。
田中医師:まず、胸膜中皮腫と診断された時点でアスベストが原因と考えられる。肺は空気を吸う袋状の器官で、胸膜は肺の表面を覆う膜。アスベストは極めて細い繊維状の鉱物で、肺の胸膜を突き抜けてしまう。呼吸器疾患にはタバコの煙をはじめさまざまな原因があるが、アスベストは胸膜を突き抜けて中皮腫を発症させる主な原因物質と考えられている。
そのうえで、アスベストを吸い込んだのが過去の職業によるものかが労災認定の際の論点となる。化粧品やベビーパウダーには、アスベストが直接使われているわけではない。だが、原料のタルク(滑石)を採掘する際に混入の恐れがある。こうしたリスクはかなり以前から知られていたが、国が各メーカーにアスベストの混入がないことを確認するよう通知したのは1987年で、女性が働いていた時期から10年以上も後のことだ。
今となっては、女性の扱っていた製品にアスベストが含まれていたかを証明するのは困難だが、被害者救済の観点から労災が認められたものと受け止めている。
田中医師:国内のアスベスト被害としては建材によるものがよく知られてきた。これまでの労災認定も、建設業や解体業等に従事していたケースが多い。だが、アスベストの危険性が認知され規制の動きが始まった1980年代より前は、建材以外にも幅広い製品に使われていた。このため職場で知らず知らずのうちにアスベストを吸い込んだ可能性は、特に50歳代以上であれば、誰にでもあると推測され、実際に幅広い業種で労災が認定されている。
それでも全ての人が中皮腫にかかるわけではなく、むしろ発症の確率は高くない。代表的な呼吸器系疾患である肺がんは国内で年間10万人以上が罹患する一方、中皮腫と診断されるのは年間約3000人で、疾患としては希少な部類だ。症状がないうちから過剰に心配する必要はない。
田中医師:胸の中に水がたまり、空咳や胸の痛みが自覚症状として現れることが多い。進行すると呼吸が困難になっていく。
診断には、全身麻酔をかけて胸膜の一部を採取して顕微鏡で検査する比較的大掛かりな方法(胸膜生検)が確実な方法だが、最近では診断技術の進歩により、胸の水を抜いて検査する体への負担が比較的軽い方法(胸腔穿刺)でも診断が可能にもなりつつある。
進行すると血液中の腫瘍マーカー(SMRP/可溶性メソテリン関連ペプチド)が上昇することが知られているが、残念ながら早期には正常であることが多いため中皮種の診断における有用性は低い。
田中医師:中皮腫は肺がんなどに比べると治療方法がまだまだ少なく、早期の発見と治療が特に重要だ。以前は抗がん剤を投与しても1年ほどしか生きられないと言われてきたが、最近では免疫治療や肺を温存して病巣のみを取り除く手術(胸膜切除/肺剥皮術、P/D)といった技術の進歩もあり、希望が広がりつつある。空咳や胸の痛み、息苦しさなどを感じたら早めの受診をおすすめする。
中皮腫と診断された場合、職場でのアスベスト暴露歴があり労災認定されれば、本人や遺族はさまざまな保険給付が受けられる。職業上のアスベスト暴露歴が不明確等の理由で労災認定されない場合でも、国の石綿健康被害救済制度の対象となるため補償から取り残されることはない。ただ、補償額や補償範囲は労災と大きな隔たりがある。過去の就業歴などから、心当たりがあれば患者支援団体に相談してほしい。
アスベストによる健康被害を巡っては、「建設アスベスト訴訟」をはじめ被害者救済への運動が長年にわたり続けられ、全国の弁護士も携わってきた。アスベスト被害賠償金・給付金請求に取り組んでいる河野翔平弁護士にも見解を尋ねた。
河野弁護士:アスベストは国の規制が強化される1980年代以前は建材や自動車部品などさまざまな製品に用いられてきた。今回は化粧品販売に従事していた人で初めてのアスベストによる労災認定となり、建設業や工場以外でも健康被害を受けた可能性があると知られるきっかけとなったのではないか。
河野弁護士:肌に触れる製品で不安で生じるのは当然だが、数十年前に使用していた化粧品にアスベストが含まれていたか、また実際にその製品を使用していたかを立証するのはきわめて難しいため、万が一症状があった場合にも関係がない、仕事との関係を立証できないと諦めてしまうかもしれない。ただ中皮腫と診断されれば、国が設けている「石綿健康被害救済制度」の対象にはなり得る。
同制度は、労災保険の対象にならない周辺住民や消費者を迅速に救済することを目的として作られた。しかし、労災保険と比較すると、その給付額は高額な医療費をまかなうには不十分だ。医療費の自己負担分や一定の救済給付金は支給されるものの、労災のような休業補償など、生活を支える給付はない。
消費者などに健康被害が生じていたということが明らかとなった場合にどう救済するかは、今後の大きな課題だろう。
河野弁護士:中皮腫は一般に20~50年の潜伏期間があると言われ、患者数はこれからピークを迎えるとみられる。多くの被害者の救済につなげるためにも、残された時間は多くない。化粧品会社や業界団体などは製品へのアスベストの混入リスクをあらためて検証し、調査結果を速やかに公表すべきだ。
■佐々木佳
1990年宮城県仙台市出身、在住。フリーのライター、インタビュアー。金沢大学地域創造学類卒業、東北大学公共政策大学院修了後、「岩手日報」記者、社会福祉法人の広報職などを経て独立。東北地方をはじめとする地方圏の社会、経済、カルチャーなどを取材。地域経済を支える企業などの情報発信も手掛ける。主な執筆媒体は『仙台経済界』『ウラロジ仙台』など。

