鈴木福、“元子役”からの脱却 『惡の華』で傷を背負った複雑な人物を成立させた俳優としての進化
●不在の仲村(あの)の存在感を浮かび上がらせる
少年・少女の「不安」「葛藤」「痛み」を描くテレビ東京のドラマ『惡の華』(毎週木曜24:00〜)の第10話が、11日に放送された。
今回は、このエピソードがどれほど重要だったかということや、それを演技という力で体現してみせた、俳優・鈴木福について考えてみたい。

鈴木福 (C)「惡の華」製作委員会2026 (C)押見修造/講談社
○【第10話あらすじ】ついに春日と常磐が結ばれるが…!?
常磐(中西アルノ)が書く小説の主人公にかつての自分の姿を重ね、続きが見たいと言う春日(鈴木福)の熱い想いに、常磐は小説を書き進めようと決意する。心を通わせ始めた2人。その帰り道、常磐と一緒にいた春日は佐伯(井頭愛海)と偶然再会。連絡先を交換することに。
改めて会うことになり、お互いの近況を報告していると「仲村さん(あの)は?」と聞かれる。「あれから一度も会ってない」という春日。その言葉を聞いた途端、佐伯の様子が一変する。祭りのやぐらの上で、心中しようとしていた春日と仲村。だが仲村は春日を突き落とした。
その意味を問う佐伯は、「常磐さんのことが好きなの?」と尋ねる。「彼女の小説が読みたいだけ」と言う春日に佐伯は「嘘つき。あの子も不幸にするの?」と問い詰める。「仲村さんの代わり。自分を慰める道具でしょ」と。懸命に否定するも「都合よく使っていらなくなったら捨てる。そうなるよ。だって。あの子は仲村さんじゃないから」──。
そしてクリスマスイブが訪れる。仲直りした常磐と彼氏の後ろ姿を目撃し、自宅にこもって物思いにふける春日。そんな時に、自分の影が話しかけてくる。影は言う。「お前が仲村さんと向き合おうとしなかったから、全部壊した」。その幻想から抜け出そうとする春日は、妄想の中の常磐に、懸命に伝える。
──「君はずっと一人で悩んで。ずっと自分を押し殺して…。僕にはできない。一生、幽霊の世界で行きていくなんて!」
仲村の影から逃れようとしていた春日は、常磐に、まるで幽霊のように生きる自分と仲村の両方を重ね、そして決意する。常磐に想いを伝えることを。そして常磐と彼氏がバイトしている店へ行き、営業中にもかかわらず叫ぶ。「好きだ。僕とつき合ってくれ!」
この唐突の行動に、常磐の心も動く。その場でバイトを辞めると、春日とともに夜の街へと飛び出した。走り、立ち止まり、そしてハグする2人。春日の心が幸福感で満たされていく…。「春日くんが生まれた街を見てみたい」という常磐。だが春日は逃げるように「何もなくてつまらない街だよ」と吐き捨てる。
そして転機が訪れる。春日の祖父が倒れたというのだ。故郷に戻る準備をしている父と母。「お前は来なくていい」と気を遣われた春日だが「僕も行く」と宣言する。

(C)「惡の華」製作委員会2026 (C)押見修造/講談社
○元有名子役の多くが抱える悩みとは
第10話は、一見すると春日と常磐の関係が大きく前進する回である。しかし、その実、物語の中心にいるのは常磐ではない。むしろ画面上にはほとんど姿を見せない仲村佐和だ。
佐伯との再会、自身の影との対話、そして常磐への告白。春日の行動はすべて現在に向かっているようでいて、その根底には常に仲村の不在が横たわっている。本作の興味深いところは、仲村という存在が物理的には退場した後も、なお春日の内部で生き続けていることだろう。
ドラマ版では原作以上にその構造が際立っている。というのも、原作では常磐の中に仲村の残像を感じさせる描写が少なくない。しかしドラマ版においては、仲村を演じるあのと、常磐を演じる中西アルノの持つ個性があまりにも異なる。
あのが体現するのは破滅と混沌であり、中西がまとっているのは光と透明感だ。そのためドラマ版では、常磐の中に仲村を見るのではなく、春日の内面に残る仲村の痕跡を描く方向へ舵を切っているように見える。
そして、その橋渡しを担っているのが鈴木福の演技である。
先述した通り、この回に仲村はほとんど登場しない。それにもかかわらず、佐伯に追及される場面でも、自身の影と向き合う場面でも、常磐に想いを告げる場面でも、春日の心のどこかには常に仲村の存在が残り続けているように感じられる。
画面には映っていない。だが確かにそこにいる。鈴木福は、その不在の存在感を極めて繊細に表現している。それは単なる感情表現ではない。春日という人物の中に残り続ける記憶や執着、あるいは消化しきれない傷そのものを演じる作業と言っていいだろう。
かつて元有名子役で、女優として復帰した某人物にインタビューをしたことがあるが、その際に彼女はこう言っていた。
「子役の時は、子役らしい芝居を求められる。そしてそれが身についてしまい、周囲のイメージも合わさって、そこから抜け出すのは難しい。私はたまたま一度芸能界を離れ、社会を経験したことで、イメージを刷新してまた世に出ることができたが、こういった悩みを、多くの元有名子役は抱えて生きていくのではないか」
この言葉は、そのまま鈴木福にも当てはまるのではないだろうか。国民的子役として知られた彼にとって、その成功体験は勲章であると同時に、常に比較され続ける宿命でもある。
だが『惡の華』で彼が演じているのは、かつて多くの人が知っていた“鈴木福”ではない。欲望と自己嫌悪を抱え、過去の亡霊に取り憑かれながら、それでも前へ進もうともがく春日高男である。
第10話を見ていて感じたのは、そのことだった。ドラマ終盤に差しかかり、そこにいたのは元子役としての鈴木福ではない。一人の俳優として、春日高男という複雑な人物を成立させている鈴木福の姿だったのである。
●春日が告白したのは、本当に常磐だったのか?

(C)「惡の華」製作委員会2026 (C)押見修造/講談社
第10話が視聴者の心をつかんだ理由は、こうした演技論だけではない。クリスマスイブ、突然の告白、結ばれ逃亡する2人、そしてハグ…。SNS上では、「青春がまぶしかった」「学生時代を思い出した」「キラキラしていて胸が苦しくなった」といった感想も数多く見られた。
実際、この回の演出は極めて王道だ。ここだけを切り取れば、まるで青春恋愛ドラマのクライマックスのようですらある。だが、本当にそうだったのだろうか。第10話を見終えた後、どうしても心に残るのはその違和感である。
なぜなら春日は、告白に至るまでの時間のほとんどを仲村の亡霊と向き合うことに費やしているからだ。佐伯からは「常磐さんのことが好きなの?」と問われ、「あの子も不幸にするの?」と責められる。そして春日は、自らの影を通じて何度も仲村と対話を繰り返している。
つまり、この回の春日は常磐へ向かって走っているように見えながら、その実、ずっと仲村の周囲を旋回している。だからこそ、あの告白は美しい。そして同時に、どこか危うい。
春日は本当に常磐へ告白したのだろうか。あるいは、自分を縛り続ける仲村という亡霊から逃れるために、常磐へ手を伸ばしたのだろうか。おそらく、その答えを春日自身もまだ持っていない。だが、この曖昧さこそが『惡の華』らしさでもある。
純粋な恋愛ドラマであれば、告白は感情の到達点として描かれる。しかし本作において告白は、感情の整理ではなく、むしろ混乱の始まりとして存在している。
常磐への想いは本物だろう。だが同時に、仲村への執着もまた終わっていない。鈴木福の演技が見事なのは、その矛盾を矛盾のまま抱え込んでいるところにある。常磐に惹かれる春日。仲村を忘れられない春日。未来へ進みたい春日。過去に囚われ続ける春日。
その相反する感情が同時に存在しているからこそ、クリスマスイブの告白は単なる青春の名場面では終わらない。キラキラと輝いて見える。しかし、その光の奥には確かに影がある。そしてその影は、これまで春日が封印していた過去・故郷への扉が開いたことで、再び春日の前に立ちはだかろうとしている。
過去と直接向き合うことになりそうな春日。その痛みと混乱を、鈴木福がどう体現していくのか。終盤へ向かう『惡の華』の大きな見どころになりそうだ。





(C)「惡の華」製作委員会2026 (C)押見修造/講談社
衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら
少年・少女の「不安」「葛藤」「痛み」を描くテレビ東京のドラマ『惡の華』(毎週木曜24:00〜)の第10話が、11日に放送された。
今回は、このエピソードがどれほど重要だったかということや、それを演技という力で体現してみせた、俳優・鈴木福について考えてみたい。

常磐(中西アルノ)が書く小説の主人公にかつての自分の姿を重ね、続きが見たいと言う春日(鈴木福)の熱い想いに、常磐は小説を書き進めようと決意する。心を通わせ始めた2人。その帰り道、常磐と一緒にいた春日は佐伯(井頭愛海)と偶然再会。連絡先を交換することに。
改めて会うことになり、お互いの近況を報告していると「仲村さん(あの)は?」と聞かれる。「あれから一度も会ってない」という春日。その言葉を聞いた途端、佐伯の様子が一変する。祭りのやぐらの上で、心中しようとしていた春日と仲村。だが仲村は春日を突き落とした。
その意味を問う佐伯は、「常磐さんのことが好きなの?」と尋ねる。「彼女の小説が読みたいだけ」と言う春日に佐伯は「嘘つき。あの子も不幸にするの?」と問い詰める。「仲村さんの代わり。自分を慰める道具でしょ」と。懸命に否定するも「都合よく使っていらなくなったら捨てる。そうなるよ。だって。あの子は仲村さんじゃないから」──。
そしてクリスマスイブが訪れる。仲直りした常磐と彼氏の後ろ姿を目撃し、自宅にこもって物思いにふける春日。そんな時に、自分の影が話しかけてくる。影は言う。「お前が仲村さんと向き合おうとしなかったから、全部壊した」。その幻想から抜け出そうとする春日は、妄想の中の常磐に、懸命に伝える。
──「君はずっと一人で悩んで。ずっと自分を押し殺して…。僕にはできない。一生、幽霊の世界で行きていくなんて!」
仲村の影から逃れようとしていた春日は、常磐に、まるで幽霊のように生きる自分と仲村の両方を重ね、そして決意する。常磐に想いを伝えることを。そして常磐と彼氏がバイトしている店へ行き、営業中にもかかわらず叫ぶ。「好きだ。僕とつき合ってくれ!」
この唐突の行動に、常磐の心も動く。その場でバイトを辞めると、春日とともに夜の街へと飛び出した。走り、立ち止まり、そしてハグする2人。春日の心が幸福感で満たされていく…。「春日くんが生まれた街を見てみたい」という常磐。だが春日は逃げるように「何もなくてつまらない街だよ」と吐き捨てる。
そして転機が訪れる。春日の祖父が倒れたというのだ。故郷に戻る準備をしている父と母。「お前は来なくていい」と気を遣われた春日だが「僕も行く」と宣言する。

○元有名子役の多くが抱える悩みとは
第10話は、一見すると春日と常磐の関係が大きく前進する回である。しかし、その実、物語の中心にいるのは常磐ではない。むしろ画面上にはほとんど姿を見せない仲村佐和だ。
佐伯との再会、自身の影との対話、そして常磐への告白。春日の行動はすべて現在に向かっているようでいて、その根底には常に仲村の不在が横たわっている。本作の興味深いところは、仲村という存在が物理的には退場した後も、なお春日の内部で生き続けていることだろう。
ドラマ版では原作以上にその構造が際立っている。というのも、原作では常磐の中に仲村の残像を感じさせる描写が少なくない。しかしドラマ版においては、仲村を演じるあのと、常磐を演じる中西アルノの持つ個性があまりにも異なる。
あのが体現するのは破滅と混沌であり、中西がまとっているのは光と透明感だ。そのためドラマ版では、常磐の中に仲村を見るのではなく、春日の内面に残る仲村の痕跡を描く方向へ舵を切っているように見える。
そして、その橋渡しを担っているのが鈴木福の演技である。
先述した通り、この回に仲村はほとんど登場しない。それにもかかわらず、佐伯に追及される場面でも、自身の影と向き合う場面でも、常磐に想いを告げる場面でも、春日の心のどこかには常に仲村の存在が残り続けているように感じられる。
画面には映っていない。だが確かにそこにいる。鈴木福は、その不在の存在感を極めて繊細に表現している。それは単なる感情表現ではない。春日という人物の中に残り続ける記憶や執着、あるいは消化しきれない傷そのものを演じる作業と言っていいだろう。
かつて元有名子役で、女優として復帰した某人物にインタビューをしたことがあるが、その際に彼女はこう言っていた。
「子役の時は、子役らしい芝居を求められる。そしてそれが身についてしまい、周囲のイメージも合わさって、そこから抜け出すのは難しい。私はたまたま一度芸能界を離れ、社会を経験したことで、イメージを刷新してまた世に出ることができたが、こういった悩みを、多くの元有名子役は抱えて生きていくのではないか」
この言葉は、そのまま鈴木福にも当てはまるのではないだろうか。国民的子役として知られた彼にとって、その成功体験は勲章であると同時に、常に比較され続ける宿命でもある。
だが『惡の華』で彼が演じているのは、かつて多くの人が知っていた“鈴木福”ではない。欲望と自己嫌悪を抱え、過去の亡霊に取り憑かれながら、それでも前へ進もうともがく春日高男である。
第10話を見ていて感じたのは、そのことだった。ドラマ終盤に差しかかり、そこにいたのは元子役としての鈴木福ではない。一人の俳優として、春日高男という複雑な人物を成立させている鈴木福の姿だったのである。
●春日が告白したのは、本当に常磐だったのか?

第10話が視聴者の心をつかんだ理由は、こうした演技論だけではない。クリスマスイブ、突然の告白、結ばれ逃亡する2人、そしてハグ…。SNS上では、「青春がまぶしかった」「学生時代を思い出した」「キラキラしていて胸が苦しくなった」といった感想も数多く見られた。
実際、この回の演出は極めて王道だ。ここだけを切り取れば、まるで青春恋愛ドラマのクライマックスのようですらある。だが、本当にそうだったのだろうか。第10話を見終えた後、どうしても心に残るのはその違和感である。
なぜなら春日は、告白に至るまでの時間のほとんどを仲村の亡霊と向き合うことに費やしているからだ。佐伯からは「常磐さんのことが好きなの?」と問われ、「あの子も不幸にするの?」と責められる。そして春日は、自らの影を通じて何度も仲村と対話を繰り返している。
つまり、この回の春日は常磐へ向かって走っているように見えながら、その実、ずっと仲村の周囲を旋回している。だからこそ、あの告白は美しい。そして同時に、どこか危うい。
春日は本当に常磐へ告白したのだろうか。あるいは、自分を縛り続ける仲村という亡霊から逃れるために、常磐へ手を伸ばしたのだろうか。おそらく、その答えを春日自身もまだ持っていない。だが、この曖昧さこそが『惡の華』らしさでもある。
純粋な恋愛ドラマであれば、告白は感情の到達点として描かれる。しかし本作において告白は、感情の整理ではなく、むしろ混乱の始まりとして存在している。
常磐への想いは本物だろう。だが同時に、仲村への執着もまた終わっていない。鈴木福の演技が見事なのは、その矛盾を矛盾のまま抱え込んでいるところにある。常磐に惹かれる春日。仲村を忘れられない春日。未来へ進みたい春日。過去に囚われ続ける春日。
その相反する感情が同時に存在しているからこそ、クリスマスイブの告白は単なる青春の名場面では終わらない。キラキラと輝いて見える。しかし、その光の奥には確かに影がある。そしてその影は、これまで春日が封印していた過去・故郷への扉が開いたことで、再び春日の前に立ちはだかろうとしている。
過去と直接向き合うことになりそうな春日。その痛みと混乱を、鈴木福がどう体現していくのか。終盤へ向かう『惡の華』の大きな見どころになりそうだ。





(C)「惡の華」製作委員会2026 (C)押見修造/講談社
衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら
