「阿部慎之助事件」の本当の原因はAIではない…「道具に使われる人」と「道具を使う人」の決定的な差
■18歳の長女が頼ったのはAIだった
5月25日、多くのプロ野球ファンが驚く、衝撃のニュースが流れた。読売ジャイアンツの監督である阿部慎之助氏が、長女(18)への暴行容疑で逮捕された。
今回の事件の経緯はこうだ。長女がAIを使った結果として児童相談センターに相談、センターは警察に通報。そして、通報を受けた警察が阿部氏の自宅に行き、阿部氏を現行犯逮捕した。
事態を重く受け止めた阿部氏は、巨人の山口寿一オーナーに辞任を申し入れ、監督の座を失うことになった。当面、橋上秀樹オフェンスチーフコーチが監督代行として指揮を執ることになった。

今回、長女は、母親や家族ではなくAIに相談した。その点についてはさまざまな意見があるようだが、AIが発達した現在、18歳の長女としては相談しやすかったことは確かなのだろう。また、長女はAIの指示に従った。それが、阿部氏や家族、球団(経営サイド、選手やスタッフ)、プロ野球業界、ファンなど幅広い人たちに重大な影響を及ぼすことになった。
■考える力がないと道具に使われる
AIは使い方次第で、社会に大きな影響をもたらす一例といえるだろう。欧米では、AIが提供した情報によって、銃撃事件などの事件も起きた。AIには、ユーザーが入力した情報を、想定外の文脈で処理する懸念もある。それを鵜呑みにすると、当事者が想定もしないような結果を招くことも考えられる。そのリスクは頭に入れておくべきだ。
AIの回答が本当に適切か。自分や周囲にどのような影響をもたらすか。それを自分でしっかり考える力の重要性は高まっている。そして、AIが発達しても、自分の意見を明確に伝えることの重要性はむしろ高まっている。
AIは便利なツールではあるが、それは道具でしかない。自分がしっかりしていないと、道具が人間を使うことになってしまう。それは、避けなければならない。
■父親は長女の胸ぐらをつかみ、倒した
5月25日、東京都渋谷区にある阿部氏の自宅で姉妹は喧嘩をした。阿部氏は、姉妹に「静かにしなさい」などと注意したようだ。
長女は阿部氏に言い返した。口答えされた阿部氏は、かっとなり長女の胸ぐらをつかんで倒した。公表された長女の手紙によると、殴る・蹴るなどといった暴力はなかった。
父親と大がかりなけんかになったのは、今回がはじめてだったという。長女はチャットGPTに相談した。AIは、「匿名で相談できる児童相談所というものがありますよ」と回答したようだ。AIの回答に従い、長女は児相に電話をかけ、「どのようにすればいいかわからない」といって相談したという。
児相の対応は、長女にとって想定外だったようだ。自身の意向を尋ねられることはなく、警察に通報されたという。自宅を訪問した警視庁渋谷署員は、阿部氏を現行犯逮捕した。「警察が来て一番驚いているのは自分自身」と手紙にあったように、長女としても親子のけんかで、阿部監督が逮捕されるとは想定していなかったようだ。
■AIの回答から始まった「想定外の連鎖」
その数時間後、阿部氏は釈放された。26日に阿部氏は監督の辞任を発表し、謝罪会見を行った。長女は、記者会見で代理人弁護士が読み上げた手紙を自らの意思で書いたという。それほど、AIの回答に従った後の展開は長女の想像を超えたものだったことが窺われる。
長女のけがは確認されていない。過去に家族から警視庁への相談はなかったとも報じられた。
長女が自分で考えた場合、自らの意思で警察に通報した可能性は低い。生成AIの回答が、児相への相談、児相から警察への通報、逮捕、辞任、さまざまな影響の起点になった。阿部監督辞任にAIが重大な影響を与えた点は冷静に考える必要性が高い。
■「昭和から変わっていない」球団に悪印象
今回の騒動で、阿部氏はジャイアンツの監督から離れることになった。それによって、阿部氏の家庭内にも不安心理が伝播したことは想像に難くない。ジャイアンツ球団にも、相応の影響が出た。
交流戦開幕直前のタイミングで監督が突如辞任したことで、選手やスタッフに動揺が走っただろう。阿部監督が行った、70億円の大型補強がどうなるかわからなくなったとの指摘もある。球団の経営戦略は、重大な制約に直面したといえる。
プロ野球業界にも、ネガティブな影響が及んだ。AIの問題よりも、暴行に注目が集まったことで、球界は旧態依然といった偏った見方が各種報道で取り上げられた。それは、ファンの離反要因になるだろう。
放送業界にも影響は及んだ。スカパーJSATは、交流戦の一部の試合でファンが試合中にアプリでチャットできる機能を停止した。理由は明らかではないが、阿部氏の暴行問題に関するチャットが入り乱れ、ネット炎上やトラブルを防ぐためだったようだ。
■AIによってみんなが損をしたケース
今回、AIが児相への相談を提案したのは、“ガードレール”機能によるものだったようだこの安全機能は、自殺、暴力、テロなどに関する質問、会話に関して、早期に専門家に相談するようユーザーを促すためのものだ。状況によっては、AIが警察に通報することもあるという。その目的の一つは、AI企業が事態を見逃した責任を問われる法的リスクの軽減ともいわれている。

しかし、今回のケースを考えると、AIは個人、企業、ファンなどの人々のメリットを高めたとは言いづらい。むしろ球団にも関連業界にも、マイナスの影響が及んだ。ゲーム理論では、ゲームに参加したすべての人物の利得がマイナスになることを、“マイナス・サム”と呼ぶ。今回の例は、そうしたケースともいえそうだ。
一般論として、AIは、使い方次第で社会に重大なマイナスの影響を与える恐れを持つ。経済の分野での変化は、雇用喪失だ。中国、米国、わが国などで若年層からシニア層まで、AIがヒトに代わって業務を行うことが増えた。
こうした問題が続くと、やがてAIによって、社会心理が悪化する恐れもある。経済の専門家の中には、開発段階も含め、明確なルールがないままAIの利用が加速度的に進むことは世界にとって潜在的な脅威と危惧する者もいる。
■「感情も配慮もない道具」を信じるリスク
私たちは、AIを道具として、賢く、上手に使うことを学ぶ必要がある。AIの回答を鵜呑みにして行動し、マイナスの状況に直面したとしても、失ったものは戻ってこない。AIをどう使い、社会と経済のプラスの価値を、より効率的に創出するかを考えるべきだ。その方策はあるはずだ。
その対策の一つは、自分のしっかりした意見を持つことだ。阿部監督辞任にも当てはまるが、AIの回答を鵜呑みにするのは危険だ。人間には感情がある。“カッとなる”ことは、だれしもある。
一方、AIに感情はない。入力内容に対して、ユーザーの精神状況や思いを配慮せず、機械的に回答を提示する。今回の問題のように、児相に相談するというような制度、技術上可能な方策は提示する。それが常に、より良い選択肢とは限らない。
■人間側が知見を磨き続ける必要がある
AIとの会話が長引くと、ハルシネーション(でたらめな回答の提示、幻覚)の発生確率も高まる。これを防ぐ方法は、かなり複雑といわれている。AIが間違いを犯したり、適切ではないアドバイスを行ったりする恐れは高い。それを理解することは、AIを安心、安全に利用する出発点だろう。
その上で重要なことは、自らの知見、センスを磨き、意思決定に責任を持つことだろう。そのためには、世の中で起きていることを理解する必要性は高まる。AIを使うと、最新の理論などを理解しやすくなったが、そこで止まるのは十分ではない。
人と人が相対して会話し、意見を交換する。それによって新しい価値観に出会う。その上で、AIなどを使って会得した考え方が持続可能か、あるいは自他にプラスの効果をもたらすか、検証する。
他の人との議論によって理解は深まり、自分なりの意見、価値観は徐々に形作られることもある。そうした機会を持つことで、AIをより上手に、安全に使うことはできるだろう。未成年や社会に出て間もない人こそ、今回の問題を教訓に、自分の頭で考え、他者の共感を得ることを大切にしてほしい。
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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
