京王線車内で起きた刺傷事件で、窓から避難する乗客(写真:@siz33さんツイッター動画より引用)

10月31日、走行中の京王線特急列車内で発生した刺傷事件。国土交通省は列車内での警戒強化と対策の検討を始めた。ただ、同省は8月6日に小田急線車内で発生した傷害事件を受けて、9月24日に対策をまとめたばかり。その対策が行き渡らぬ途上で起きた事件に、関係者は焦りを隠しきれない。

国土交通省は11月2日、JR各社、大手民鉄16社など32社の安全統括管理者との緊急会議をオンラインで開いた。上原淳鉄道局長は冒頭の挨拶で「鉄道事業がこれまで前提としてきた常識や想定がもはや通用しないことを念頭に置きながら対策を検討してきたが、今一度警備の強化、被害が発生した際の情報共有、乗客の安全確保について、警察との連携、乗客心理に十分考慮したうえでの対応の見直し、訓練の決定など、さらなる再発防止策を事業者として検討し、当局に報告していただくようにお願いする」と、出席した関係者らに語りかけた。

扉を開けないのが原則だった

京王線の事件は、小田急線での事件にはない新たな課題を突きつけている。


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特急0082列車の運転士は車内非常通報装置の鳴動や、運転室後方の仕切扉を叩く乗客の行動で異常を察知。通常は特急が停まらない最寄りの国領駅に停車した。しかし、駅に到着したにもかかわらず扉は開かず、乗客が窓から脱出することになった。

この事件を教訓に鉄道局と鉄道各社が了解したこと、それは次の点だった。

「乗客を扉を開けてきちっと逃がす、これを指示した。窓より扉から逃げたほうが安全に決まっているので、ホームでは扉を開けて逃げられるように」(鉄道局・木村大総務課長)

世間の注目は事件発生時になぜ扉を開けなかったのか、という点に集中するが、これは従来、鉄道事業者の緊急時対応では「常識」だった。

鉄道事業者が常識としてきたこととは何か。国交省と京王電鉄が事件の概要を説明する中で、その一端が見えた。

「今までは原則は降ろさない、ということだったのです。線路上に降りてしまう可能性があると危ない」(木村課長)

斉藤鉄夫国交相は列車が緊急停止後に扉を開けなかった理由について、会議に先立つ同日の閣議後記者会見で言及している。


記者会見する斉藤鉄夫国交相(筆者撮影)

「正確な調査をしているところだが、特急は本来通過予定なので、いったん手前に止まって、所定の位置までゆっくりと動き出して止めるというやり方だそう。(事件では)止まるべき位置でないところで非常用ドアコックが操作されていたことから、車両の機能上、列車を動かすことができなかった。また、車両ドアとホームドアの位置がずれていたことから、当初は転落のリスクなどを考慮して開扉操作は行わなかったという報告を受けている」

車掌の判断は、この原則に沿ったものだった。緊急停止した国領駅にはホームドアがあるが、京王電鉄はホームドアと車両ドアのずれが前後50cmの範囲にとどまっている場合に車両の扉を開くことになっている。0082列車が止まった位置は、停止位置目標の手前2mと遠かった。

事態の把握は困難だった

しかし、乗客が切りつけられようとしている切迫した事態を前に、避難の際の安全性を優先すべきなのか、というわだかまりが利用者には残る。この点も会議で議論になった。運転士や車掌は、事件発生時にどんな問題に直面していたのか。

乗務員が異常を察知したのは調布駅出発から2分後の19時56分。車内に設置している非常通報装置が鳴ったことだった。車掌はすぐに応答したが、乗客からの反応はない。その1分後の19時57分、さらに多数の車両の通報装置が鳴動するが、やはり乗客からの反応はなかった。

同時刻に運転士側と車掌側に乗客が殺到し、この時点で切迫した事態が起きていることを乗務員は認識したが、何が起きているかを正確に把握できたわけではなかった。起きている事態がわからないときには何をすべきか。乗務員が対応すべき方向性はこれまで示されていなかった。

現状、ほとんどの列車は車内カメラを備えていない。車内の防犯カメラといわれるものは事件の検証のために設置されているものが多く、列車内をリアルタイムに把握できるカメラの設置は一部に限られている。


国交省が11月2日に開いた緊急会議(筆者撮影)

「これだけの事件に直面しているのになぜ」というのは、発生後だから言えることで、状況を把握できなかった事件当時の乗務員の判断は、これまでの緊急対応の方向性から保守的にならざるをえなかった。そこで11月2日の会議では、次のような指針が示された。

「危険が差し迫っている場合には乗客との通話は困難であるとの想定の下で、複数の非常通報装置が押された場合など、通話ができない状況でも緊急事態と認識する」

想定が通用しないことを前提に

鉄道事業者は扉を開けることを躊躇する。避難した乗客がほかの列車にはねられるなどの二次被害が想定されるからだ。安全のためには周囲の列車を止めなければならず、それができるのは運行を制御する運輸指令所と、列車を停止させる防護無線の発報だけだ。しかし、正確な状況把握ができない現状ではこの判断も難しく、切迫した事態には間に合わない。また、最寄り駅で停車できない場合の判断は、さらに難しくなる。

そこで会議では、前述の緊急事態の認識を前提として次のことが合意された。

「防護無線の発報により他の列車の停止措置を行ったうえで、(事件が起きている)当該列車についても速やかに停車させるなど、緊急対応することを基本とする」

また、事件は車内のドアコックを操作すると列車が停止する仕組みについても課題を突きつけた。結果的には、一刻も早い避難を求める乗客のドアコックの操作が、列車をホームドアの位置に停車させるための微調整を妨げることになったが、乗客の安全を考えた安全設計とはどうあるべきか、今回のような理不尽な事件を受けた検証が必要だ。

「常識や想定がもはや通用しない」事件の連続を受けて、緊急時には「扉を開けて乗客を逃がす」ことで方向性が一致したが、これは対策の第一歩にすぎない。