【ピカピカのアマゾンは記憶の証】ボルボ・アマゾン123GTと122S 前編
細部まで鏡のように輝くボルボ123GTtext:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
トランスポーターがゆっくりと私道に入ってくる。サイドドアが開くと、手塩にかけられたデクラン・バークのボルボ・アマゾン123GTが、姿を顕にした。
パールホワイトで塗装された、ボディの仕上がりは完璧。鏡のように磨き込まれ、クリスタルのように光ながら、周囲の景色を写り込ませる。
ボルボ・アマゾン123GTボディパネルの隙間はミリ単位で整えられ、クロームメッキのパーツはくすみ1つない。インテリアは、真新しい深い赤のレザーが張り込まれ、ガラス越しにも艷やかな香りが漂ってくる。
フロアやエンジンルームも、汚れ1つないホワイト。スウェーデンのイエーテボリに降り積もった雪のようだ。1968年に工場のラインを離れた時以上に、美しい姿に違いない。ちなみに、スウェーデン以外ではアマゾンではなく、120シリーズと呼ばれていた。
このクルマの水準まで仕上げるのは、簡単なことではない。クルマへ興味を持たない人からすれば、異常と感じるほど、細部にまでこだわっている。デクランを越えるには、膝をついて、歯ブラシでタイヤに付いた砂粒を払い落とすくらいのことは必要だろう。
デクランが最高のボルボ・アマゾンを所有したいという願いは、父、トニーの影響だ。16万kmを走ったボルボ・アマゾン122Sをベースに徹底的な仕事を施し、自動車コンクールで数々の賞を獲得したほどの人物だった。
狂ったようにボディを磨いた父
「父は、アマゾンの製造品質や美しいボディラインを大変気に入っていました。そんな風にクルマへ愛情を注ぎ始めたのは、1983年頃からでした」 と振り返るデクラン。
「クラブ・メンバーのバリー・ユニコムが所有する、赤いボルボ121に影響を受けたようです。父は自身のアマゾンのボディを、レストアしました。綺麗に仕上がりましたが、次のレベルへ到達するには、シャシーも同じ水準にする必要があると指摘されたのです」
ボルボ・アマゾン122Sと父のトニー「そこで父は仕事を半年も休業し、クルマをリフトで1mほど持ち上げ、アンダーコートを丁寧に金物で剥がしました。フロアやフェンダーの内側も丹念に作業し、塗装の下地を整えました。もう一度、同じ塗装をするために」 笑いながら話すデクラン。
「塗装を終えると、友人のクリスから、色味が少し違うといわれたようです。でき栄えには納得していませんでした」 父の完璧を求める気持ちは、強くなる一方。そして、大きな自動車コンクールでの受賞を狙い始めた。
1980年末には、ロンドン西部、サイオン・パークで開かれた国際コンクール選手権と、ベンソン&ヘッジス・マスターズクラス・チャンピオンシップで、見事優勝。伝説的なアマゾンへと仕上げていった。
「父はコンクールやショーでの準備に数日を投じ、狂ったようにボディを磨き込みました。父はメカニックとエンジニアでもありましたが、アーティストでもあったといえますね」 とデクランは話す。
目標を達成し売却されたボルボ
「ずっと高価なジャガーEタイプやアストン マーティンにも、レストアの完璧さでは勝っていました。でも使えるお金に余裕はありません。自由に使えるものといえば、自分の両手くらいでした」
ところが1990年代半ばになる頃には、自動車コンクールへの関心は薄れ始めた。長年手間暇をつぎ込んできたアマゾン122Sを、妻のワゴンと一緒に売りに出した。
ボルボ・アマゾン122S「父は満足していたのでしょう。目標を達成したと、感じていたんだと思います。綺麗に仕上げるという作業自体が、趣味だったんです。アンティークの時計でも同じことをしていました。父はクルマを売ると、庭に池を作り鯉を育て始めました」
アマゾン122Sは、英国南部のボーリュー・ガレージに買い取られる。そこで南カリフォルニアのエド・カーターが購入し、ワゴンと一緒にアメリカへ渡った。父のアマゾン122Sと、英国のボルボ・オーナーズクラブとの結びつきも途絶えてしまった。
デクランの父は、2014年にこの世を去る。最愛のボルボ・アマゾンとの再会は、ないまま。しかし息子のデクランは、その思い出を大切に心に残していた。
「父が亡くなってから数年後に、アマゾンを買おう、と決心したんです。探したのは123GT。珍しいアマゾンで、ボルボが製造したのは1500台ほど。右ハンドル車は300台くらいしかありません。英国に残っている白色のGTは、6・7台だけだと思います」
手に入れたのはスクラップ状態のボルボ
2枚ドアのクーペスタイルを持つ123GTが登場したのは、1967年。10年ほど前に発売されていた、86psの4気筒1583ccエンジンを積んた平凡な4ドアサルーン、122Sとは一線を画すアップグレードを受けていた。
123GTのエンジンはB18B型と呼ばれる1778ccの高圧縮ユニットで、スポーティな1800S譲り。フォグライトやドライビングライト、フェンダーミラーも装備されていた。
ボルボ・アマゾン123GTきれいに仕上げられた車内には、レカロ製のリクライニング・シートと、新しいステアリングホイールを採用。ダッシュボードには、レーシーなレブカウンターがマウントされた。
「ボルボは当時、ファイナルレシオが若干異なり、最高速度や0-100km/h加速でわずかに優れると主張していました。でも実際はメーカーのごまかし。最高出力は116psで、エンジンはすでにパワフルとは呼べませんでした」 とデクランは説明する。
「レストア前提のわたしが手に入れたGTは、スクラップ状態。ガレージ付きの家へ引っ越し、修復を始めました。父の古い道具を使い、すべて自分で進めました。小さい頃から父から学び取ってきたことを、実践できるか確かめる意味もあったと思います」
レストアは、父以上に大々的なものへと展開した。「気がつけばクルマをリフトに上げ、フロアパネルとリアのクォーターパネルを切り取っていました。荷室のフロアも、再制作の必要がありました」 と、作業を振り返るデクラン。
「ドアは、オランダまで行って買い付けました。英国西部のデボン州へも、見つからない部品を探しに行きましたね」
この続きは後編にて。
