【国際プロレス伝】語り草となった「田園コロシアム・こんばんは事件」
【第8回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
ラッシャー木村はエースとして国際プロレスを牽引するも、1981年に会社は解散という結末となった。新たな戦いの場となったのは、アントニオ猪木を筆頭に絶大な人気を誇る団体「新日本プロレス」。木村はアニマル浜口たちと「国際軍団」を結成し、アントニオ猪木との抗争を開始する。初めて上がった新日本のリング。そこでラッシャー木村が放った第一声とは――。
連載第1回から読む>>
田園コロシアムに乗り込んだアニマル浜口(左)とラッシャー木村(右)国際プロレスのエース・ラッシャー木村(3)
国際プロレス――インターナショナル・レスリング・エンタープライズ株式会社は1981年8月9日、北海道・羅臼(らうす)で最後の大会を行ない、9月30日に倒産した。
社長だった吉原功(よしはら・いさお)は新日本プロレスとの対抗戦を模索し、10月8日に東京・蔵前国技館で開催される「新日本プロレス対国際プロレス全面対抗戦」のポスターには、国際プロレス所属だった多くの選手のリングネームが掲載されていた。
だが、新日本参戦を拒否したマイティ井上が冬木弘道(サムソン冬木)、米村天心、菅原伸義(アポロ菅原)を引き連れ、さらに阿修羅・原も少し遅れて全日本プロレスに移籍。鶴見五郎は西ドイツ、マッハ隼人と高杉正彦はメキシコ、そして若松市政はカナダへと渡り、グレート草津と秋吉豊幸は団体崩壊と同時に引退した。最後に残ったのは、ラッシャー木村、寺西勇、そしてアニマル浜口の3人だけだった。
「当時、僕は長期欠場していて、そのころの状況がよくわかってないんです。何で選手がバラバラになってしまったのか。おそらく、”自分たちの道”ということで、それぞれに決めたんでしょうけど。
僕は吉原社長によく可愛がってもらったし、好きでしたからね。だから、『社長が敷いてくれた路線を行こう』『社長の意向に沿ってやろう』という想いしかなかった。吉原社長が発表されたように、新日へ乗り込むのがごく自然だと思っていました」
木村、寺西、浜口は「国際軍団」を結成。「我々は第3勢力となる」と宣言した。
そして、あの伝説の「田園コロシアム、こんばんは事件」である。
「JR大久保駅と新大久保駅の間にあった新宿区百人町のスポーツ会館で、木村さんと寺西さんと僕の3人は一緒に練習しましたよ。そこは、もともと木村さんがサンボの練習をしていたところでね。また、埼玉県の秩父で合宿をやったり、空手の指導者から空手チョップを教わったり、河原でナチュラルトレーニングをしたり。木村さんは大きな自然石を担ぎ上げて、頭にぶつけて頭突きの練習をしていました。
それで、10月8日に行なわれる蔵前国技館大会の前、9月23日に田園コロシアムに乗り込んだんです。僕たちの存在をアピールするためにね。そのとき、なぜか寺西さんはいなくて、木村さんと僕のふたりだけだったな。秩父から東京・大田区まで電車に乗って行きました」
9月23日の秋分の日、会場には1万3000人を超す大観衆が詰めかけ、全国ネットのテレビ中継もあった。カードは、藤波辰爾とタイガーマスクがメキシコのマスクマンと対戦。セミファイナルには日本のプロレス史上最強の外国人戦「アンドレ・ザ・ジャイアントvsスタン・ハンセン」の激突も行なわれた。
「異常な雰囲気でしたね。まさに、空前絶後のド迫力マッチ。アンドレとハンセンが戦うのですから。熱狂したファンの拍手、歓声、どよめきが飛び交って、見ていた僕も圧倒され、身体が震えたのを今でも覚えています。その一方で、僕たちは潰れた会社の人間ですから、みじめな想いも抱いていてね。
そんな試合の後、僕と木村さんが敵のリングに上がったんです。メインで戦うタイガー戸口選手とアントニオ猪木さんがいました。山本小鉄さんもいたな。
リングアナが木村さんにマイクを渡したんです。そうしたら、木村さんの第一声が、『こんばんは』。会場からドッと笑いが起こりました。失笑です。当たり前ですよ。普通は啖呵(たんか)を切って、猪木さんに殴りかかって、蹴っ飛ばして、マットにねじ伏せて、『ぶっ殺してやる』とやってもいいところでしたから。でも、木村さんはそうしなかった」
木村自身は、「初めてのところに行って、きちんと挨拶するのは当然なのに、なんで笑われなくてはいけないんだ」と怒っていたという。
細かいことだが、「こんばんは、ラッシャー木村です」というのは、ビートたけしが面白おかしく、わかりやすくギャグとして創作したもの。事実は、「こんばんは」だけだ。
敵も、そのファンも、ズッコケさせたんだから、作戦は成功だ――。
当時から、プロレスファンのなかには、そうした意見も多かった。
「いや、それは違います。木村さんはそうじゃないんですよ。あれは作戦でも戦法でもなく、礼儀正しく挨拶をした。それだけ。木村さんにとって、普通のことなんです。あれだけ緊張した場面で、アントニオ猪木さんを目の前にして、それでも木村さんは、”ラッシャー木村らしさ”を貫いた。
『国際プロレスでは見られないような満員の観客の前で、ラッシャー木村はアガってしまったんだろう』などと言う人がいるが、冗談じゃない。木村さんは普通じゃ考えられないような、スケールの大きな人なんです。人間としてすべてを貫いた木村さんは、『お見事』のひと言。悟りの世界なのかなぁ、木村さんの勝ちですよ。
だから、お客さんたちに笑われるのはいい。しかし、新日本プロレスの選手たちに戦う前からナメられたら、おしまいだ。だから僕は、木村さんを後ろから突っつきました。『ダメですよ、木村さん』とね。とにかく、この場の空気を変えなきゃいかんと思ったんです」
それでも、木村はマイクを握りしめ、ゆっくりと続けた。
「あのですね……、10月8日の試合、私たちは国際プロレスの名誉にかけても必ず勝ってみせます。またですね、その試合のために今、私たちは秩父で合宿を張って、死に物狂いでトレーニングをやっていますので、必ず勝ちます」
会場を埋め尽くしたファンの笑いは、止まるどころか大きくなるばかり。業(ごう)を煮やしたアニマル浜口は、マイクを握った。
(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
■プロレス記事一覧>>
