上越新幹線は群馬県と新潟県、すなわち上越国境を長いトンネルで抜けて、首都圏と越後を結んでいる。

【現地の画像】「じつは駅名で大モメ」“ナゾの途中駅”JR燕三条駅には何がある?高速ICは本当に「三条燕」だった

 新潟県内に入ってもしばらくは山の中。スキーや温泉で有名な越後湯沢や、コシヒカリの魚沼盆地を通って長岡までやってくると、あとはトンネルなしで一直線に新潟駅へと駆けてゆく。どこまでも田んぼが広がる日本一の米どころ・越後平野だ。

 そんな越後平野のド真ん中、長岡〜新潟間のおおよそ中間にあるのが、燕三条駅だ。東京からは1時間半〜2時間弱。通過する列車もあり、燕三条駅には1時間に1本ほどしか停まらない。新幹線の中ではどちらかというと小規模な駅のひとつである。


上越新幹線の“ナゾの途中駅”JR燕三条駅には何がある?

 とはいえ、新幹線は新幹線。いかにも頑丈そうで立派な高架のホームを持っている。降りる人はまばら……というよりはいるだろうか。長岡と新潟の間の町に用がある人は、燕三条駅を使うのだ。

JR燕三条駅には何がある?

 ホームから階段を降りていちばんに目に飛び込んできたのは、でっかいナイフとフォークのオブジェ。その脇には、「ようこそ燕市へ」と書かれたつば九郎の写真パネルも飾られていた。

 つば九郎というのはもちろんアレだ、あの東京ヤクルトスワローズのマスコット。燕市とスワローズはどちらも“ツバメ”ということで交流事業を行っていて、つば九郎は「燕市PR隊鳥」も務めているのだとか。

 東京から新幹線に乗ってトンネルをいくつも抜けてやってきた町で、東京ヤクルトのつば九郎がお出迎え。なんだか不思議な気持ちになって、燕三条駅の改札を抜けることになる。

 改札のあるコンコースはまだ地上2階で、駅の外に出るにはもうひとつ階段を降りねばならない。2階部分にはコンビニや待合室、また在来線、JR弥彦線に向かう乗り換えルートもこのフロアだ。弥彦線方面には、彌彦神社をイメージしたのだろう、真っ赤な鳥居を潜って向かう設えになっている。

「新三条駅にして欲しい」駅名でモメた

 そしてもうひとつ、燕三条駅の2階には三条市や燕市の特産品を展示しているコーナーもあった。言わずもがな、三条と燕はどちらも日本を代表する「金物の町」だ。江戸時代に町鍛冶として興ったのがはじまりで、戦後は洋食器などの生産で大きく成長したのだとか。高度経済成長期には工業団地も形成されて人口も大きく増え、いまや県下屈指の工業地帯だ。

 ところが、だ。同じ地場産業を抱える隣町という三条と燕、長年のライバル関係にあるという。江戸時代から三条は商人の町、燕は職人の町というように性質が異なっており、ときにライバル意識が過熱してしまうこともあったとか。そのひとつのエピソードとしてよく語られるのが、燕三条駅の駅名に関する一悶着だ。

 燕三条駅は、工業都市として発展して人口も増加していた三条・燕両市のどちらからもアクセスしやすい中間地点、信濃川と中ノ口川に挟まれた中洲のような場所に設けられた(駅の開業は1982年)。

 建設段階の仮称は「燕三条」。燕市はもちろんそのまま正式な駅名に、と思っていたわけだ。ところが、燕市の後塵を拝することになる三条市はすんなりとは納得せず、「新三条駅」を望んだのだとか。

 結局、新幹線開業の4年前に完成していた北陸自動車道のインターチェンジが「三条燕」だったこともあってか、駅名は燕三条に落ち着いた。ちなみに、ICは“三条”が先だが所在地は燕市で、両市に跨がる駅は“燕”が先でも駅長室が三条市にあるからという事情で住所は三条市だ。

 たまたまたそうなったのか、それともなんらかのバランサーが働いたのかはわからない。いずれにしても、燕三条駅がなんとも微妙な問題を孕んでいたことは、単なる都市伝説ではなさそうだ。

「三条口」「燕口」均等に均等に…

 そんな事情を踏まえて、駅の外に出るべく2階から1階に降りる。それなりに賑わっていた2階と比べ、1階は自動販売機がいくつか置かれているだけのがらんどう。わざわざこのフロアに留まる人もいないから、誰ひとりいない空間が広がっていた。

 出入り口は階段を降りて向かって右が「三条口」、左が「燕口」。どちらにも大きな駅前広場があって、タクシーが何台も客待ちをしていた。ビジネスホテルも両側にちゃんとある。正確なことを言えば、駅を境にきっちり三条市と燕市が分かれているわけではないのだが、とにかく隣り合うふたつの町に、均等にアクセスできるように配慮されていることがよく伝わってくる。

 1982年の秋に燕三条駅が開業した当時、すでに完成していた北陸自動車道の高架がすぐ脇を通っている以外は、田んぼが広がるばかりだった。この駅は、田んぼの中に新たに生まれたふたつの都市のターミナル、というわけだ。

 だから、駅周辺は開業以後に開発されたまったく新しい町である。区画整理された、よく整った大通り沿いを中心にビジネスホテルや飲食店などが建ち並ぶ。駅の北には弥彦線が通り、それを潜った先には三条燕インターチェンジだ。

 インターチェンジには国道289号が張り付き、その先の三条市側には国道8号が南北に走る。国道8号に沿って、おなじみのチェーン店の看板がズラリ。駅からほんの5〜10分足らずという場所なのに、駅前よりもよほど国道沿いの方が栄えているような印象だ。

 駅ではなく、国道を中心軸に市街地が形成されてゆく……。1980年代後半から1990年代にかけて新しく発展した地方の町は、どこもこんな感じなのだ。駅にやってくるのは新幹線に乗るときくらい。日常的な移動はほとんどがクルマだから、東京など大都市圏のように駅やその周辺が人が集まるポイントになることはないのだ。

燕市側は開発がちょっと遅れた

 燕市側には国道8号は通っていないが、代わって国道289号が同じような役割を果たしている。駅前広場から高速道路の高架をくぐった先が、ビジネスホテルや地場産業振興センター、そしてイオンモールが集まる市街地に。周辺には一戸建て住宅が集まるエリアもあって、住宅地という一面も持っているようだ。

 いくらか開発が遅れていた南側には、まだまだ田んぼも目立つ中に「そよら三条須頃」というイオン系列のショッピングモール、また新潟県央基幹病院や三条市立大学といった施設が新しくできている。

 40年ちょっと前に燕三条駅が開業した当時は、一面の田園地帯だった。そこからどんどん区画整理と開発が進み、田んぼが減って町ができてゆく。いまもまだ駅の近くに空き地もあるし、田んぼもあるから、開発は道半ばなのだろうか。三条市と燕市、それぞれの昔ながらの“町の顔”を見たければ、駅前からタクシーにでも乗って古くからの市街地に行くべきなのだろう。

幻の“燕三条市”「住民投票でNO」

 2000年代前半には、三条市と燕市の合併に向けた動きもあったようだ。三条市側は前向きだったが、燕市の住民投票では僅差で否決。結局、“燕三条市”が誕生することはなかった。

 それでも昔のような火花を散らすライバル関係というのは解消されてきているらしい。燕三条青年会議所は、遠くない将来の合併も目指しているという。いまは“ふたつの町のターミナル”の燕三条駅も、合併が実現すれば文字通りの燕三条のターミナルとして存在感を一層増すことになるのだろうか。

 ところで、燕と三条といえば、ラーメンも有名だ。灼熱の真夏の光線にさらされながら歩き回ったあとにラーメンはちょっとキツい。なので食べられなかったが、三条はカレーラーメン、燕は背脂ラーメンでいまや全国に名を轟かせている。

 いつの日か両市が合併することがあっても、ラーメンばかりは一緒になることは難しそうだ。信濃川と中ノ口川という、巨大な川に挟まれて向かい合うふたつの町と、その中間の新幹線駅・燕三条。その物語は、これからもまだまだ続きそうである。

撮影=鼠入昌史

(鼠入 昌史)