急増する「子供が嫌がることはさせない」親のせいで 「失われた30年」はこれからも延々と続く
子供が望まないことはさせない親
先のFIFAワールドカップで、日本代表は明らかに強くなっていた。以前なら強敵だったはずのチュニジアに圧勝し、優勝候補の一角でもあったオランダにも負けない。決勝ラウンドの初戦で強豪ブラジルと当たってしまったのは不運だったが、32強のなかには日本が勝てるチームが多かったと思われる。
強くなったのは、全国にJリーグの下部組織としてのユースチームができ、かなり若いころから、高い水準で試合を重ねるようになったこと、若いうちからヨーロッパの強いチームに行き、スピードや強い当たりに慣れる選手が増えたこと、などが挙げられる。平たく言えば、それぞれの選手が、持てる力を最大限に伸ばし、発揮できるようになった、ということだろう。

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このようにスポーツの分野だけ見ていると、日本は今後、いま以上に世界に伍していけるはずだと期待が高まる。しかし、こと勉強に関しては、能力がある子も学力を十分に伸ばすことができず、全体の学力はどんどん低下するのではないか。結果として、国力の低下につながるのではないだろうか。
そう思うのは、そうした親が目立つようになった、と教育現場から聞く機会が増えたからである。嫌がる子供に無理強いしない、というレベルの話ではない。子供にやりたいかやりたくないかを聞いて、「やりたくない」という返事だったら、もうやらせない、という事例が目立つのだ。
勉強することのおもしろさはもちろん、勉強の意味さえ、幼いためにまだわからない小学校低学年の子供が、「やりたくない」といったらやらせないのでは、子供が持てる能力を十分に伸ばすことなど、とてもできない。
伸びるチャンスを奪う親
東京都内で個人塾を営む男性がいう。ちなみに、珍しい例として話すのではなく、最近、同様のケースが多いなかの一例として挙げるのだという。
「小学校2年生のよくできる男の子に、少し多めに宿題を出していたんです。多めといっても、余計にかかる時間は10分程度。その子は週2回ちゃんとこなしてきて、学力も着実に伸びていました。ところがある日、おかあさんがその子に『宿題をたくさんやるのと、あまりやらないのと、どっちがいい?』と聞いたんです。そうしたら、その子は『あまりやらないほうがいい』と答えたそうです。そりゃ、どっちがいいかと聞かれれば、ほとんどのお子さんは、あまりやらないほうがいいと答えますよ。そうしたら、おかあさんは『子供が嫌がっているから、あまり宿題を出さないでください』といってきました。私は、せっかく頑張って宿題をこなしていて成果が上がっているのに、やる気を削がないほうがいい、と話しました。そうしたら、『塾をやめます』とのことでした」
また、この男性は、中学受験をさせる親の取り組み方が、明らかに変わってきたと感じているという。
「子供に無理をさせたくない、という親が増えました。以前は、子供の学力を顧みず、難関校を受験させたがる親が多かったのに対し、最近はがつがつ勉強させず、子供が嫌にならない程度に頑張らせて、入れる学校に入れればいい、という親が多いのです。しかも、途中で子供が『やりたくない』といったらやめればいい、というスタンスの親が目立ちます。あまり伸びしろがない子に無理をさせない傾向は、悪くないと思います。ただ、ポテンシャルが高い子、学力がすごく伸びそうな子の親までが、わざわざ先回りをして、子供に『無理しなくていいのよ』と声をかけ、伸びるチャンスを奪ってしまっているのは気になります。伸びしろがある子は、勉強しているうちにどんどんおもしろくなって、意欲も出てくることが多いです。それなのに、勉強がおもしろくなる前に、そうなる可能性を奪ってしまっているんです」
急増する小学生の暴力行為との関係
この個人塾経営者が話す最近の子供の傾向は、以下に示すデータと、じつはつながっていると思われる。文部科学省の調査によると、2024年度に小学校、中学校、高等学校で発生した暴力行為の件数は12万8859件で、3年連続で過去最多を更新したという。なかでも小学校での発生件数は10年で7倍に急増し、2014年には中学生のものが全体の約66%を占めていたのが、2024年には小学生が約64%に達したという。
もちろん、統計上の増加には、学校が従来よりも細かな事案まで把握し、報告するようになった影響も考えられる。また、この数字だけで、子供の忍耐力が低下したと断定することはできない。それでも、感情を抑えたり、望まないことにも一定時間取り組んだりする経験の不足と、無関係ではないのではないかと考える。
世の中、自分の思い通りに進むことのほうが少ない。だから腹が立ったり、気持ちが沈んだりすることはある。そんなときに自分の気持ちを適切にコントロールできる力を、子供のころから少しずつ身につけていくべきで、具体的には、小さいときからがまんすることを学ぶことが大切だ。
ところが近年、子供にがまんすることを教える親が急減している。いい方を替えれば、子供がなにをしても叱らない親が急増している。その結果、子供ががまんすることを学ぶ機会が失われてしまった。
なぜそうなったのか。複雑な要因がからみ合っているとは思うが、あえて主要な要因だけを抜き出せば、1つは1990年代に「ほめて育てる教育」が欧米から輸入され、急速に普及したことが挙げられる。「日本の子供は自己肯定感が低いので、ほめて育てて自信をつけさせるべきだ」と声高に叫ばれ、それが大流行になった。
「ほめて育てる」教育の落とし穴
子供を叱るにはエネルギーが必要だ。叱らずに済み、そのほうがむしろいいといわれれば、親にとってはありがたい。だから急速に浸透したのだろう。だが、「ほめて育てる教育」を日本に輸入する際、大事なことが抜け落ちていた。
筆者は仕事柄、欧州とのあいだを往復しているので感じるが、欧州では子供をほめながらも、子供に厳しい。歴史的に個人主義が根づいているので、親は幼少時から子供を自分と別人格としてあつかい、子供が公の場で他人に迷惑をかけないように、日本よりずっと腐心している。また、成績が悪ければ小学校でも落第するように、社会全体が子供を厳しく育てている。厳しい実社会を生き抜く耐性を身につけるためだが、社会が子供に厳しいので、親は子供が自己肯定感を失わないように「ほめて育てる」必要がある。
ところが、日本では欧米の前提を無視して、「ほめて育てる」という表面だけを輸入してしまった。だったら、学校現場だけでも厳しさを保っていればいいが、1990年代の後半から、モンスターペアレントという言葉や現象が注目され、親の行きすぎたクレームを避けるために、学校現場でも子供を叱る機会は急速に失われていった。
そうこうするうちに、2010年前後からハラスメント意識が急速に浸透し、学校現場でもいままで以上に、怒ったり叱ったりすることが制限、または忌避されるようになった。いま小学生の暴力行為が急増するなかで、授業中に騒いだり、席を立ったり、暴れたり、ほかの子供や教師に暴言を吐いたりする子供が増えているが、それでも教師は叱ることができない。むろん親も、学校からそういう報告を受けたとしても子供を叱らない。
子供が嫌がることはさせない、という誤解
子供が叱られなくなってもう三十数年。いまや親世代にも叱られた経験がない人が急増しており、そういう親は子供を叱ることができない。
叱るとは暴力やハラスメントとは似て非なるものだ。子供がまちがったことをしたとき、つまり協調性が大切な社会でそれを乱したときや、子供自身の成長を阻んでしまいそうなときに、親や教師が子供を正しく導いてあげるのが「叱る」という行為である。親子、または教師と親とのあいだに信頼関係が築けているかぎり、子供のために「叱る」行為は、ハラスメントと同列に判断されるべきものではない。
ところが、いまの親の多くは、自分自身が叱られた経験がない。このため親自身が、だれかに叱られると過度に落ち込んでしまいがちで、ましてや子供を叱ることなどできない。また、2002年度から小中学校で導入されたゆとり教育では、子供に無理をさせないことが奨励された。子供を叱らない。子供に無理をさせない。そんな流れを受け、教育現場や家庭では、「子供が嫌がることを無理にやらせず、好きなことを伸ばす」という風潮が生じた。それ自体、文科省が定めた方針ではないが、「無理をさせない=嫌な気持ちにさせない」と誤解されてしまった。
先述した個人塾経営者が指摘した状況、すなわち、子供が少しでも嫌がったらやらせない、という風潮は、こうして生まれたと思われる。サッカーのように「好きなこと」なら、とことん伸ばしていいと思っている親が多いから、すぐれた選手が輩出するのかもしれない。一方、遊びの延長ではじまるサッカーと違って、勉強を最初から「好きだ」「おもしろい」と感じる子供は少ない。だが、やっているうちに「おもしろい」と感じるようになる子供は少なくない。おもしろいとまでは思わなくても、意欲が生じるケースは多い。意欲が生まれれば、忍耐できるようにもなる。
だが、子供がそれに気づく前に、親が先回りして子供の可能性の芽を摘んでしまうのである。叱られたことがない若者が厳しい社会に適応できない、という事例はよく耳にする。今後の社会が心配になるが、加えて、せっかくポテンシャルがあったのに、能力を十分に伸ばす機会が得られない子供が急増するとしたら、その子にとって不幸なのはもちろん、それもまた日本社会にとって大きな損失である。このままでは、日本が「失われた30年から」から回復できるとはとても思えない。
香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部
