“野球を賭けの対象にしない”はなぜ変わったのか NPBが“野球くじ”へ舵を切った理由
7月16日に開かれた日本野球機構(NPB)のオーナー会議。議題に上ったのは「野球くじ」の導入である。
【写真を見る】あり得ない格好で接客… 野球賭博で巨人をクビになった後「ホスト転身」で関係者を閉口させた元選手
これまで球界は一貫して慎重な姿勢を維持してきた。それだけに、今回のオーナー会議で前向きな議論が行われたことは、大きな方針転換と受け止められている。
もっとも、この話は決して"降って湧いた"ものではない。振り返れば、この10年間だけでも2度、大きな山場があった。そして今回が3度目の挑戦となる。背景には、スポーツ振興を支える財源問題、違法オンラインカジノを巡る社会情勢、そして半世紀以上にわたり球界が背負ってきた「賭博」との距離感が複雑に絡み合っている。

「黒い霧」が残した傷痕
野球くじ導入論が本格化したのは2015年だった。
スポーツ紙ベテラン記者が解説する。
「当時、超党派のスポーツ議員連盟は、2020年東京五輪を控え、新競技場の建設費捻出やスポーツ振興財源の拡充策を模索していました。その中で浮上したのが、プロ野球をスポーツ振興くじの対象に加える構想だったのです」
サッカーくじ「toto」は制度開始当初こそ伸び悩んだものの、その後「BIG」のヒットなどもあり、年間1000億円規模を売り上げる一大事業へと成長した。収益はスポーツ振興基金などを通じ、競技団体への助成やジュニア育成、地域スポーツ施設の整備などへ還元されている。
「“そこにプロ野球が加われば、スポーツ界全体への還元額はさらに増える”という期待が、スポーツ行政にはありました」
しかし、最大の壁はNPBだった。
「球界には“野球を賭けの対象にしてはいけない”という空気が根強く残っていましたからね」
その原点となったのが1969年から71年にかけての「黒い霧事件」だった。複数球団の選手が八百長や暴力団との関係を疑われ、永久追放処分も出た。球界は社会的信用を大きく失い、その反省から“野球と賭博を切り離す”ことを長年の原則としてきた。ゆえに、野球くじ構想が浮上するたび、この歴史が必ず議論になったという。
構想は2度も頓挫
2015年、スポーツ議連の提案に対してNPB側が消極姿勢を示し、計画は棚上げとなった。しかも、
「この年の秋、巨人の複数投手による野球賭博事件が発覚。現役選手が野球賭博に関与していたという事実は世間に大きな衝撃を与えました」
頓挫した計画に冷水を浴びせるかのような事件が発覚した3年後の2018年、スポーツ議連は再び野球くじ導入へ動き出す。2015年よりも構想は具体的となり、NPB内部でも中期経営計画小委員会が制度を検討し、各球団への説明も行われた。
さらに議論されたのは、勝敗を予想する方式ではなく、「非予想型」の導入だった。サッカーくじ「BIG」のように、コンピューターが自動で組み合わせを決定する方式である。これなら購入者が勝敗を予想するわけではなく、八百長リスクも抑えられる。
ところが、この構想も実現しなかった。
「理由は一つではありませんでした。制度設計や収益配分を巡る調整に時間を要したことに加え、“本当に野球ファンが受け入れるのか”“収益はどのように還元されるのか”“球団側のメリットは十分なのか”といった課題が整理し切れず、再び議論は止まってしまったのです」
風向きが変わった理由
“三度目の正直”となる今回は何が変わったのか。
「2、3年前から球界を取り巻く環境は大きく変化していました」
そう語る記者によると、背景には三つの要素が重なっていた。
「まず第1に“スポーツ振興財源への危機感”、第2に“振興くじ制度への信頼”があります」
少子化による競技人口の減少、地方球場の老朽化、女子野球や障害者野球への支援、地域クラブへの助成――。スポーツ振興に必要な資金は年々膨らむ一方である。その一方で、スポーツ振興くじ制度は20年以上運営され、一定の社会的信頼を獲得してきた。スポーツ振興のための制度として国民の理解も広がり、制度そのものへの評価は導入当初とは大きく変わっていた。
さらに見逃せないのが、
「“海外スポーツベッティング市場の急拡大”です」
日本国内では認められていない海外サイトを利用したスポーツベッティングは、インターネットの普及によって身近な存在となった。違法市場へ資金が流れる現状を前に、“健全な制度の中でスポーツ振興へ還元する仕組みを考えるべきではないか”という議論が以前より現実味を帯びてきたのである。
制度の検討が進められる一方で、公表のタイミングはより慎重さが求められた。
「一昨年、水原一平元通訳による違法賭博事件、昨年の複数のプロ野球選手によるオンラインカジノ関与が明らかになり、違法賭博への社会的関心はかつてなく高まりました。そんな状況で“野球くじ”を打ち出せば、“違法賭博を容認するのか”と誤解されかねない状況でした」
唐突にも思われる今回のタイミングが、実は周到に計算されていたことがわかるだろう。
「予想させない」ことが最大の特徴
今回、導入が想定されるのは、2018年に検討された時と同様、いわゆる“予想系”のくじではない。オーナー会議でも、勝敗予想型ではなく“非予想系”を前提に検討が進められるとの説明があった。具体的には、サッカーくじ「BIG」と同様、コンピューターがランダムに組み合わせを決める方式が有力だ。
「球界としては、勝敗予想を前面に出さないことで、八百長リスクをできる限り抑えたい考えです」
もっとも、この方式にも大きな課題がある。
「野球ファンほどデータ分析を楽しみ、自ら勝敗を予想したい人は少なくありません。その楽しみを切り離した商品がどこまで支持を集めるのかは未知数です」
黒い霧事件から半世紀余り。2015年の野球賭博事件、近年のオンラインカジノ問題を経て、球界は“野球を賭けの対象にするのか”という問いから、“どうすれば公正さを守れる制度をつくれるか”という新たな段階へ踏み出そうとしている。
「野球くじは、早ければ2028年シーズンからの導入を目指しているとのことです」
その成否を左右するのは、制度そのものへの信頼、そしてファンが“投票したい”と思える魅力を備えられるかどうかである。
デイリー新潮編集部
